あなたにあえて はだい悠 わたしが結婚したのは、今から三十年前、たしか二十五歳の秋だったかと思います。近所の酒屋のおばさんが持ってきた見合いの話がきっかけでした。(このおばさん、そのときまでは町内の評判どおりに、世話好きな明るいおばさんとして、わたしの目にはうつっていたのですが、それ以後、年を重ねるにつれてだんだん単なるおせっかい婆に変身していき、その九官鳥のようなおしゃべりがたたって、わたしの反感を買うようになり、ときおり嘘付きババアとか、クソババアという罵りをわたしから浴びせられるはめになったのですが) それは、父が死んで、母一人で切り盛りをしなければならなくなった家業の総菜屋を手伝うようになってから、三年後の事でした。それまでわたしは何をしていたということですが。ほとんど記憶にないくらいですから、たぶん何も考えずに、だらしのない毎日を送っていたのだと思います。 まず高校を卒業すると、いちおう希望通りに当時は一流と言われていた会社に就職しました。だが、工場でのロボットのような単純作業にはどうしても労働意欲がわかず、とてつもなく退屈な仕事でしたので、とうてい私の人生の目標と結びつくような事はなく、わずか二年で辞めてしまいました。その後はトラックの運転者、ガードマン、道路工事、日本料理屋と職を転々としましたが、まだ若かったのでしょうか、それほど切羽詰った感じはなく、なんとなく身が入らず、結局どれもものになりませんでした。母の手伝いをするようになっても、これを自分の天職だと思うような気持ちはさらさらなく、多少遊び半分でやっていたように思います。ですから、その当時はだいぶ母の足手まといになっていたことはたしかで、今では大変申し訳なかったと思っています。 そんなときでしょうか、見合いの話が持ち込まれたのは。わたしはまだ二十五歳だからもう少し独身でいたいとか、もう少し遊んでいたいとか、という気持ちは、ほとんどなかったのですが、その話しにはあまり乗り気ではありませんでした。でもやはり男としての好奇心が強く働いたのでしょうか、その話がすすめられることに積極的に賛成はしませんでしたが、かといって反対もしませんでした。 わたしは顔色をうかがわれるのが嫌だったので、一人になったときにこっそりと見合い写真を開いてみました。顔は十人並み、年は二十三。男なら誰でも、写真を見る直前まで、絶世の美女を心に描いて胸をときめかせているものでしょうが、わたしもその例に漏れませんでした。でもこれといって何の取り得もない総菜屋の息子には、まあ、こんなもんかな、割れなべに閉じぶたという奴か、などと思いながら、それほどがっかりはしませんでした。それにその時は写真を見る前からすでに、相手の容姿のよしあしを理由にして、見合いを断る事はしないと固く決めていましたから、美人じゃないといって、その見合いを断ろうなどとはまったく考えていませんでした。 それよりもむしろ、もし写真に、本当に若くてみずみずしい絶世の美女が映っていたのなら、かえって怖気づいて断っていたかもしれません。なぜなら、なんかいわくありげで、ちょっと気味が悪いじゃないですか。地位も名誉もお金もない平凡な男のために、その若さといい、その美しさといい、こんな残り物に福があるわけないじゃありませんか。 見合いは淡々と進み何事もなく終わりました。たぶん周りから見てもごくありふれたものに映ったと思います。ただ、わたしにとって、見合いというものは、あとにも先にもその一回きりでしたから、正直言ってどう云う物がありふれたものなのか今もって判らないのですが。 わたしにとっても、初めのほうはお互いにロ数が少なく退屈なくらい静かなものでした。しかし、少し時間がたってから、ふと感じたある疑惑に、その後はずっと気持がうばわれていました。家に帰ってきてからも決してその疑惑は晴れる事はありませんでした。むしろ風船のようにどんどん大きくふくらんでいき、ますます確信に満ちたものになっていきました。 その疑惑というのは、もしかして見合い写真に映っていた女性と、実際に見合いの席にやってきた女性とは違うのてはないかということでした。写真の顔は、眼は一重で細く、あごは狭く色白で、全体としてはどことなく頼りない印象でした。だが、目の前に現れたのは、眼は二重で大きく、あごも広く、全体としては骨太な感じでした。そして見合いの写真と何よりも違うのは、明きらかに容姿が劣るという印象でした。目、鼻、ロと、その一つ一つを取ってみれば決して悪い形をしてないのですが、その配置とバランスの悪さが、百人並み、いや千人並みの容姿にしているようでした。まったく仕草や表情に可愛らしさがない落ちついたおばさんという感じでいた。わたしは確かめようとしましたが家にはすでに写真はありませんでした。うかつにも名前も記憶していませんでした。母に聞いてみる事も考えました。でも、やめました。なぜなら、その事には母は気づいた気配をまったく見せなかったからです。それにもしそれが本当なら、かえって母に余計な心配をかけるだけだと思ったからです。夜、寝床に入っても色々な事が頭に浮かんできて、なかなか寝付けません出した。それは、この事はいったい誰と誰が知っていた、誰と誰が知らないのか、首謀者は誰か、共犯者は誰か、などと疑心暗鬼になり、いったいどういうつもりで後でばれるような見え透いた手を使ったのか、それとも私には、ばれないとでも思ったのだろうか、もし仮にばれても、まあ、まあと、ごまかしが聞くとでも思ったのだろうか、もしそうなら私もずいぶんなめられたものだ、バカにしおってと、大変悔しい思いをしたからです。 でもその一方では、もしかして私一人だけがなんにも知らないのではないかと思ったりして、そんな無茶なと苦笑いをしたりしました。でも最後には、あの酒屋のおばさんがすべてを知っていると思うと、無性に腹が立ってきて、天井に向かってののしっていました。しかし、そんな怒りも長くは続きませんでした。なぜなら、当たり前の事ですが、その見合い話を断ればいいのだということに気づいたからです。それで何もかもおしまいだ、もう疑心暗鬼になって悔しい思いをしたりする事はないのだという事に気づいたからです。するとだいぶ気が楽になりました。 そして気が楽になったついでに、なんで俺が貧乏くじを引かなければならないのかとか、俺はあんな残り物はごめんだとか、そもそも、もしかしてすべて俺の勘違いだったかもしれないとか、いや、そんな事よりとにかく断ればいいのだ、絶対に断ってやる、あんなクソババアになんの貸し借りもないのだ、見合い相手になんの義理立てもする必要がないのだ、誰にも気兼ねする事はないのだ。明日の朝一番にクソババアに二度とくるなと言って断れば良いのだ、そうすれば何もかもうまく行くのだ、などと思うと、ますます気が楽になっていきようやく眠る事が出来たのでした。 しかし、次の日、朝目覚めると、昨夜の意気込みは夢のように消えていました。不思議でした。たぶん、今後どうするかの最終判断は、完全にわたし自身に任されており、周りの誰にも遠慮することなく、私個人の力で決定できるということに気づいていたからだと思います。つまり私は自由である事を発見して安心していたのだと思います。その証拠に私はその日から正式に返事を出す三日後まで、暇さえあれば、自由、自由、私は自由なんだ、とつぶやきながら、晴れ晴れとした気分ですごしていました。 ところが当日になり、いざ断る段になると、なぜか決断がつきませんでした。というのも、それまでは、写真と違う女性が見合いの席に現れたということが、詐欺であり社会的道義に反するとして、断るための充分な正当な理由になると思っていたのですが、というより思い込んでいたと言ったほうがいいでしょうか、その一方、時間がたつにつれて、はたして本当にそうだろうかという疑念がひそかに芽生えていて、正直言って自分でも何がなんだか判らなくなっていたのでした。 というのは、その事は詐欺かどうかは別としても、明きらかに社会的道義に反する事は確かなようです。では、その事によって私は、実際にいったいどんな迷惑や不利益をこうむったのでしょうか。見合い写真を見てその後一度も会うことなく結婚したら、その相手はまったく違う女性だったと言うのなら、これは明きらかにだましであり社会常識の上でも絶対に許されない事でしょうが、写真とは違っていたが、現実に見合いをした女性と付き合い、そして結婚するということに、いったいどれほどの問題があるのでしょうか。つまり、この事が果たして、見合い相手を断る正当な理由になりうるのでしょうか。ということは、私は別のところに、つまり、私がだまされたと思いバカにされたと感じ、たいへん腹を立てた事に、その正当な理由を見出していたようです。 しかし、もし見合いの席に写真よりも器量の良い女性が現れていたらどうでしょう。私はだまされたと言って腹を立てるでしょうか。写真よりも悪い女性が現れたからこそ、私はだまされたバカにされたと思ったのではないでしょうか。だが、それでは見合い写真を見る前に決めていた事、容姿のよしあしを理由にして断ることはしないということと、矛盾することになるのです。 さらに私は考えました。見合い写真はあくまでも男女を結びつけるきっかけでしかないのであって、重要なのはその後の実際に見合いをして結婚するかしないかを決めるために、何度か付き合って、相手の性格や人柄を知るという過程なのであって。それをしない事は、それこそ社会的道義に反する事ではないかと。しかし、そうは言っても、わたしはどうしても納得でないものを感じていました。それは感情的なものだったと思います。つまり、つき詰めるとどうしても容姿の悪さに突き当たるのです。でも、かといって、それを理由として決断する訳にもいきませんでした。 私はどうすればいいのか判らなくなりました。と同時に、私はそれまで自分はてっきし自由だとばかり思っていたのですが、そうではなくなっていた事に気づきました。なぜそうなったのか、そのときの私には理解のしようがありませんでした。そしてさらにある考えがわたしを混乱に落とし入れました。それは、もし仮に私が、相手の器量の悪さを明確にして十分すぎるくらいの正当な理由として認め、今後付き合う事を断ったとしたら、その後わたしは、自分の力で、自分の判断で、自分の責任で、相手の性格や人柄はさておき、まずは、より器量のよい女性を何が何でも、明確にして当然過ぎる義務のように見つけなければならなくなるという事に気づいたのです。それは私の考えに反するばかりではなく、その後の私のやる事を窮屈なものにし、むしろ不自由なものにさせる事になるのです。 私はもうどうでも良いことのように感じ面倒くさくなりました。そしてますます判らなくなり、もう自由なんかどうでも良いから、誰かかってに決めてくれと思うようになり、ハッキリとした返事はしないでいました。そのうちになんとなく二人だけであって見ることになりました。お互いにロ数は少なく、苦痛なほどちぐはぐでした。性格や人柄は悪そうではなかったのですが、若さや明るさは少しも感じられず、容姿もスタイルも決して私の注意を引くものではありませんでした。私はなるべく彼女を見ない事にし、その代わり頭のなかでなんて不細工な、なんて不恰好な、とつぶやくことにしました。 そして、その後も退屈しのぎに何度も何度もつぶやいているうちに、ふとわたしの心の中である変化が起こりました。それはそう言いながら、彼女の器量の悪さを理由ににして、嫌な顔をしたりそっけなくする事がとても悪い事をしているように思われたのでした。ですから、それからあとは出来るだけ感情的な反感は抑え、理性的に振舞うように気をつけました。ましてや不細工を理由にして断るなどということは極悪人のする事のように思えてきたのです。 私はますます判らなくなり自分ではどうする事も出来ないようになっていきました。そして、そういう曖昧な態度が結婚を承諾したと受け取られたのでしょう。その後、話はとんとん拍子に進み、結婚式の日や新婚旅行先まで、これといった相談もなく決められてしまいました。 わたしたちは新婚旅行に行きました。だが、打ちとけるにはほど遠く、相変わらずちぐはぐでした。そこにはわたしたちの他にもたくさんの新婚カップルが来ていました。私は当然目移りしました。どのカップルも格好よく、明るく若々しく、楽しそうでした。いっしょに話すことも、いっしょに歩くことも、いっしょに食べることも、何をやっても、きっと彼らは楽しいんだろうなあと、うらやましく思うと同時に、わたしはだんだん気がめいっていくのを感じていました。 そのうち、私を絶望的な気分にさせたことが起こりました。それはホテルのドアのガラスに映ったわたしたち二人の姿を見てしまったためでした。秋の日差しを受けた二人はどことなくよそよそしく、そして野暮ったく、田舎物でした。どう見ても新婚旅行というより家族旅行に来ている不格好なおじさんとおばさんのようでした。日差しのまぶしさで不機嫌そうに眉間にしわを寄せた下駄のように四角い顔の男と、眼は大きいがゴリラのように顔がごつい女、どうみてもブスと野牛だった。 わたしはますます気が滅入ると共に不機嫌になり、いら立っていきました。そしてそのあと、レストランに行き、席につくのにも、もたもたしていたり、なかなか注文ができないのを見ているうちに、だんだん、お前は鈍いのかそれとも動じないのかなどと思いながら、怒りが込み上げてきて、そして私はついに、「なにをもたもたしているんだ、なにを迷っているんだ、なんでも良いではないか、お前は鈍いんだよ、お前は不細工なんだよ、」と思いっきり頭の中でつぶやいたあと、早く決めなさいと言おうとしたとき、その一方で私の胸を締め付けるようなある思いがふつふつと沸き起こってきました。それは女性の器量の悪さを理由にして、嫌な顔をしたり、冷たくしたりする事は罪深いことだという思いでした。ですからこの場合、それを理由にして罵ったり怒ったりすることは、とてつもなく悪い事になるはずで、強迫観念というやつでしょうか、私はもう声に出して怒れなくなりました。そして、これからは何があっても、つねに冷静に理性的に振舞わなければならないと思いました。 食事をしながら妻ははじめて笑みを浮かべて、うれしそうにして私に話し掛けました。私はそのなれなれしい態度になんとなく反発を覚え、私はとっさに、「お前のようなブスには笑顔は似合わないんだよ、お前に、」と、そこまで思ったとき、また、あの例の強迫観念が頭をもたげてきて、まったく不本意ながら、つい私も作り笑いを浮かべて応えてしまったのでした。そのときからでしょうか、思った事をそのまま言えないという不正直者になったのは。 そしてその後も、相変わらずなんとなく、どことなくしっくりしないまま新婚旅行は続き、ついに最後の日となりました。夕方海岸沿いの曲がりくねった道を車で走っているとき、妻は助手席で安心したように鼻息も荒く眠っていました。私はその打ち解けた態度をいまいましく思うと共に、かつて感じた事のないような憂鬱な気分になりました。そして私はカーブを曲がるたびに何度もこのままガードレールを突き破って海に飛び込もうかと考えたほどでした。 わたしたちの生活が始まりました。母を交えての三人の生活が。生きるための真の生活が。死ぬまで続く働いて食べて眠るという生活が。後で何が起こり何があったかはっきりと思い出せないような単調な毎日が続く生活が。 私はそれまで遊び半分にやっていた総菜屋の仕事を真面目に取り組むようになりました。なぜなら妻はその仕事をあまり苦にしてない様だったので、このままでは追い抜かれると思ったからです。そうなると一家の主としては威張っていられなくなりますからね。そして、それまで私はたかが総菜屋と思っていたのですが、真面目にやっているうちに、けっこう奥の深いものだと感じるようになり、手が抜けない反面、生きがいのように楽しいものに変わって行ったのでした。ですからいっしょに生活するうちに、妻は普段はメガネをかけているということや、年も実際は私と同じであるということなど、その他にも妻に関して知らなかった事や意外な事がわかってもそれほど気にもなりませんでしたし腹も立ちませんでした。もうどうでもよかった事なのでしょう。それに年齢に関しては確かめようがありませんでした。初めから不確かでしたから。 娘が生まれました。幸いにもわたしたちの悪いところは一つも引き継いでいませんでした。 私が自分でも仕事に自信が持てるようになった頃、母が突然なくなりました。しばらくざわざわしていましたが、また元の単調な生活に戻りました。 そして周りから見てもきっとそのまま順調に進むに違いないと思っていたでしょが、しかし、私の頭の中ではある大きな変化が起こっていました。それは私がいままでに一度たりとも満たした事がなく、かつ長い間心の奥底に潜んでいた欲望が、風船のように大きく膨らんできているという事でした。 父の代に始まったわたしたちの店は、町の繁華街からは少し離れていましたが、他にも様々な店がたくさん立ち並び、朝夕には一段と人通りが激しさを増す、車が一台通れる位の狭い路地に面していました。私は主に調理で妻は店先でお客の相手でした。通りは色々な人々が通ります。店にも色々な人々がやって来ます。仕事をしながら妻はお客と話をするのが楽しみのようでした。 私は手があいたとき、表を通る若くて美しい女性を見るのが好きでした。特に、季節の変化に合わせて服装が薄くなったり厚くなったりするのを見るのがこの上なく楽しいものでした。そしていつ頃からだったかはハッキリしませんが、色々な妄想をするようになっていきました。 もしあの美しい女性が私の恋人であったなら、思うだけでとろけそうな気分になり、会うことを楽しみに夢のような毎日を過ごすことが出来るだろうとか、もしあの美しい女性が私の妻であったなら、いっしょに居てじっと眺めているだけで胸がときめき、会話も打ち解けたものになり、じゃれあい甘えあい、この上なく幸せな生活が送れるだろうとか。 そしてまた町の噂で、美人で評判の人妻が、夫の暴力や浮気やギャンブルで悩んでいるとか、困っているとか、挙句の果てにそれが原因で別れたとか別居したとか、ということを聞くと、なんてもったいない事をするんだろう、私なら仕事も家事もさせないただ居るだけで良い、好きな事は何でもやらせてやる、ましてや暴力を振るったり、浮気をしたりギャンブルにのめりこんだりして心配させたりする事は絶対にしない、それなのにどうして美しい女性たちはそういう男だもを選ぶのか、世の中にはやさしくて真面目な男たちがいっぱい居るというのにと、本気で悔しがったり不思議ががったりしました。 そんななかで、私はよく店に来る女優のように美しく、かぐわしい花のように上品で、年のころ二十四、五の女性に心を奪われました。いつも決まった時刻に来るので、その時間になるのが待ち遠しくてたまりませんでした。その時間が近づくに従って、私はそわそわするので、その事を妻に悟られまいとたいへん気を使いました。そしてごくまれに、妻が店先に居ないときにその女性が来るという幸運にめぐりあうことがあるのです。天女のような美しい声でよばれると、私は夢見ごこちで応対しました。このままずっと見つめていたいと思いながら幸福の絶頂に居る気分でした。しかし、その反面、地獄に足を踏み込んでしまったかのようなときもありました。妻とあの悪魔のような酒屋のババアとあの人が店先でいっしょになる事がありました。出来るならいまいましい妻の欠点を暴きたいなんとか悪ロを言ってくれないかと思っているときに、よりによってあの嘘つきババアは、得意げに、しかも周囲に聞こえるような大きな声で、この人は舅思いの働き者の嫁だから、このように店は繁盛し、家庭円満なのよ、などと言っては妻を褒めちぎり、挙句の果ては、世話をしたのは自分で自分の目には狂いはなかった、などと本当のことを言わずに、いけしゃあしゃあと、自慢したりするのです。なんとおせっかいなババアなんだろうと私はいつも首をしめたいほどいらいらしていました。 そしてあるとき最悪の瞬間がやってきました。私が最も恐れていた事でした。あのババアがあの人にむかってわたしたち夫婦のことを町内でも評判のとっても仲の良い夫婦なのよ、と言ってしまったのでした。私は腹が立って腹が立って、顔を真っ赤にし、頭の中でクソババア死ねと罵りながら、包丁をまな板に突き立て、その場から離れました。 その日は夜遅くまで外で飲んでいました。そういうなかで私は、私の心の奥底で風船のように膨らんでいた願望の形をはっきりと感じ取りました。その願望とは浮気でした。そして私は何の躊躇もなく実行する事に決めたのでした。 そうなるともう、仕事も手につかなくなり一刻も早く行動に移さないと、居ても立っても居られなくなりました。私は店によく来るあの美しい女性はどうだろうかと考えましたが、酒屋のおせっかいババアの根も葉もないでたらめ話に影響を受けているだろうから、私と親密になる事はおそらくないだろうと思いました。 そこで私は、その道に詳しく経験も豊かな町内会の悪友たちと積極的に付き合うようにしました。私は悪い霊に取り付かれたように毎晩飲み歩くようになりました。二週間ほど方々を飲み歩いた後、私はあるスナックで夜のアルバイトをしているという若い女性に目をつけました。なにがなんでも妻とは比べ物にならないくらいの美女である事が絶対条件でしたが、それには十二分にかなっていました。それどころか明るく華やかでスタイルもよく、どことなく品があって、可憐で年は二十二歳と、おまけに独身で恋人もいないという事でした。もう、まったく申し分ありませんでいた。 最初の頃は仲間を誘っていってましたが、そのうち一人でこっそりと行くようになりました。 私は軽ロを言わずカウンターの端で大人しく飲んでいるようなもの静かなタイプで売り込みました。それが功を奏したのか、徐々に親しくなり、いっしょに歌なども歌うようになり、それまで妻にも見せた事がないような笑顔と気軽さで、打ち解けた話をする事が出来るようになりました。私は若くて美しい女性と自由に伸び伸びと話しする事がこんなにも楽しいものだとは、そのときまで知りませんでした。 それでも私は増長することなく大人しく紳士的に振舞いました。目的を達成するためには良い印象を与え続けなければなりませんでしたから。私は服装や言葉づかいに特に気をつけました。普段どおりだと、どうしても不格好な田舎者に見えましたから。それに深酒をして見苦しいところを見せる様な事は決してしませんでした。より親密になろうとして入りびたりになることもありませんでした。しかし、忘れられない程度に、それでいて姿を見せないと心配してもらえるようにと計算づくで通い続けました。 この間、わたしの頭の中には、あの例の若い頃にしばしばおそわれた強迫観念というものが、よみがえる事はありませんでした。それはたぶん私が妻が嫌いだから不細工だから浮気するのではなく、あくまでも美しい女性が好きだから、美しい女性に惹かれるから浮気するのだと心から信じ込んでいたからだと思います。 そして、ある小雨の降る夜、スナックの客は私一人だけになったときがありました。最大のチャンスでした。ついに待ちにまったときがやってきたのです。長年の夢がかなうと思うと嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。俺にだって角度によっては女の目を釘付けにするようなところがあるはずだと思いながら、私は前々から考えていたくどき文句を頭の中で何度も何度も繰り返しました。酔いがまわり気持ちよかったせいか、ついでに、誘惑が成功して、彼女とすごす夢のような時間のことを思い浮かべました。そしてその後のことをどうするかを真剣に考えました。 娘は、娘にはたぶんますます嫌われるだろう。でも仕方がない、男の夢のためだ。妻は、妻には貸しがある。お前は昔酒屋のクソババアとグルになって俺をだまして結婚したんだから、いまさら何も文句は言えないはずだ、自業自得だ、と言ってやればいいのだ。問題は愛人のままでいるか結婚するかだ。結婚するなら妻と別れなければならない。これは何の問題もない、未練など少しもない。近所のババアどもが頭がおかしくなったときっと騒ぎ立てるだろうが、なに世間体を気にしていたら何も出来ない、人の噂も七十五日だ。いっそのこと店はくれてやる、俺は出て行く、仕事は他で探せば良いのだ。愛人のままなら店を持たせたりマンションを買ってあげたりしなければならないだろうが、そのくらいの金なら何とかなる。貯金もあるし一生けんめい働けば何とかなる。妻にはぐだぐだ言わせない、もし言ったら昔のことを蒸し返してやる。どっちに転んでもうまく行く事間違いなしだ。とわたしは気持ちよく空想にふけっていました。そして客が私一人だっただけに、やけに静かな店内を見まわして見ると、カウンターからは少し見えにくくなっている奥の準備室のようなところで、退屈そうにしている彼女の姿が目に入ってきました。 彼女はある一定の方向を見ながらロを大きく開けたり閉じたり、顔をゴムのようにゆがめたりしていました。化粧の具合いを見ていたのでしょうか。そしてテッシュペーパーを手にすると、音が聞こえるほど勢いよく鼻をかみ、そのテッシュペーパー越しに手で鼻をほじったあと、それをくるくると丸めて放り投げました。たぶんその先にゴミ箱があったのでしょう。そのときカウンターで電話がなったので彼女が出てきました。そして数秒後、受話器を置いて私のほうにやって来て言いました。「XXさんですか?」と。それは私とまったく違う名前でした。その瞬間、私は冷水を浴びせられたような気持になりました。酔いもいっぺんに醒めてしまいました。彼女が美しいのか美しくないのかも判らなくなりました。店の中も夢の空間ではなくなりました。薄暗くよどんだ空気の陰気なところとなってしまいました。 私はどうしてなのか判らなかったのですが、とにかく急に頭の調子が悪くなったみたいでした。そして少し冷静になって思いました。若さや美しさを維持するにはお金がかかるに違いない。着る物だって食べるものだって住む所だって普通というわけには行かないだろう。そもそも男が若くて美しい女に惹かれるのなら、女が見栄えのする若い男に引かれるのは当たり前のことだろう。これではとんだ美女と野獣になってしまうところだった。それにこの俺が平凡な惣菜屋ということがわかれば、女にだって世間体と言うものがあるだろうし、それよりも、この俺が従業員百名ほどの会社の社長であると言ってきたことがばれてしまうば、彼女をだましたことになるし、そう思うと浮気というものがとても面倒くさい事のように感じてきました。そして無言のまま店を出て、雨にぬれながらとぼとぼと帰りました。 再び平凡な生活に戻りました。浮気しようとした人間がこんな事思うのは虫がよすぎるかも知れませんが、私はその後の妻の相も変らぬ仕事に対するひたむきな姿や、私に対する献身的な姿を見ていると何故か無性に苛立ったものでした。でも決してその事を表情に出したり言ったりしませんでした。もちろん表を通る美しい女性たちを見る楽しみは変わりませんでした。たぶんあの時はあまりにも絶好すしぎたというか、性急すしぎたと言うか、そのためにうまくいかなかった様な気がします。しかし、私は、ひそかに狙いを定め計画的に近づいて行って浮気を使用などとは二度と思わなくなりました。そしてなにがあったかもはっきりと思い出せないような単調な生活がしばらく続いたあと、気がつくと娘が結婚する事になっていました。 そして娘が結婚して二ヵ月後妻が倒れました。そしてその二週間後妻はあっけなく亡くなってしまいました。葬式のほうは、葬儀屋と町内会の人たちが何もかもやってくれたので、どのように行われたのかはほとんど記憶にありません。あれから一年余り過ぎましたが、最近まで私は、夜中に突然眼がさめるという毎日が続いていました。いつも十時ごろパチンコから帰ってきて風呂に入り、一杯やりながらテレビニュースを見たあと、目の前にパチンコ台をちらつかせながら勝ったのか負けたのかも良く判らないままいったん眠るのですが、たぶん二時か三時ごろだと思いますが、静か過ぎる気配の中で眼がさめるのでした。そのときはいつも父や母が元気であたかもいま現実に隣の部屋で寝ているかのように思われて、自分が十代の頃の自分に戻っているような気持でした。ですからこの二十数年間の出来事が夢のように思えるのでした。そこでゆっくり薄暗い部屋に目をやるのですが、柱に張られた花模様のシールが目に入ってきます。それは娘が小さい頃に貼ったものが今も残っているものでした。窓ガラスの星模様が目に入ってきます。それは娘が小さい頃、見る角度によって微妙に変化する光具合いを発見して、私のひざの上で、お星さんお星さんと言って、指をさしながら喜んだものです。もう誰の手でも開け閉めされなくなった妻の手製のカーテンがレールからはずれてだらしなくぶらさがっています。窓ガラスには、もうだれも手をかけなくなった為に、草がはえ放題になった花壇の影が街灯の光を受けて映っています。そのほかにも妻がよく開け閉めに苦労していた家具や、よく倒していた調度品があります。そして夢ではなかったと改めて気づくのです。さらに家の中には自分ひとりしか居ないという事をひしひしと思い知らされるのです。私は昼間何もしないでボォッとしているから、夜になってよく眠れないのだと思っているのですが。それで私としても出来るだけ早く働きたいと思っているのですが。妻がなくなって一年にもなるというのに何故かいまだに仕事場に居続けることができません。たしか葬儀が住んで一ヵ月後だったかと思います、かつてのような意気込みで仕事場に入ったのですが、いきなり心臓がどきどきして胸が苦しくなってきたのです。私は急いで仕事場に出て戸を閉めました。それ以来どうしても中に入ることは出来ません。なんとなく怖いのです。ですからその後なかから物音が聞こえたりすると、お化けや幽霊に怯える子供のように本当に怖がっていました。お払いでもしてもらったほうが良いのかなあと真剣に考えた事もありました。 そんななかでつい一週間前、私はたんすの奥にしまいこんであった妻の日記を出して見てしまいました。それまでは決してみる事はないだろうと思っていたので、いざ見るとなると大変な勇気がいりました。開くとき心臓が破裂するくらいどきどきしました。生前妻が眠る前に、大学ノートに何かを書いているなということには気づいていたのですが、まさか一日も欠かさず日記をつけているとは思っても見ませんでした。毎日二三行程度、それもその日にあったどうでも良いような事をメモのように書かれてありました。そして最後の締めくくりの言葉は、今日も皆さんのお役に立てて大変幸せでした。明日もそうありますように。といつも同じでした。そして一番最後に手紙のような遺書のようなものが長々とかかれてありました。どうやら入院中に書いたようです。それにしても、どんなに近くで住んでいても人間と言うものは何を考えているのか判らないものだとつくづく思いました。妻は本当に欲のなかった女性だと思いました。医者の話だと妻の病気は本来大変苦しむらしいのですが、そうでもなかった様なので安心しました。 私は読み終わったあとなんとなく仕事場に入れそうな気がしてきました。そして思ったことを書くことは何か良いことにつながるような気がして、このように三日前からなくなった妻との事について書き始めました。思った通りでした。もう夜中に眼がさめなくなりました。それから私はずいぶん前向きな気持になりました。妻の最後の文の内容は次の通りです。 二部に続く ![]() |