青い影

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               はだい悠



 西の空の赤みはすでに薄い青色に変っていた。
 ほとんどの部室は校舎の東側にあった。
 今は女子しかいない演劇部のドアは、夏以降、いつも開っ放しにされていた。
 目隠し用の青いレースのカーテンが掛けられてはいたが。

 そのカーテンが大きく揺れる。
「またあいつらよ。ホッケー部の連中。あんなことやっているからいつまでたっても試合には勝てないのよ。わざとステックで引っ掛けて、覗いていくのよ。なんか今日はもやもやして変な感じ、いつまでたっても体が火照ったまま。」
「問題じゃないね。外に出れはすぐ冷えちゃうよ。昨日なんか、びっくりするくらいヒヤッとしたもんね。もう夏は完全に終わったという感じ。」
「日差しはまだ強いのにねえ。あたし今日は裏庭の木の下で発声練習してたのよ。そしたら草が刈られていて、青臭いっていうか、夏のにおいがぷんぷんしてた。」
「やった、予定表完成。どうやら間に合ったようね。さあ、帰るわよ。ああ、何やっているのミサキ、信じられない。着替えてないの。そのまま電車に乗るつもり。」
「げっ、忘れてた。最後の授業が体育、それで楽だったので、そのままにしてた。」
「さあ、早く着替えて、間に合わなかったら大変よ。ぴったり七時で校内の全部の電気が消えるんだから。ほんとに真っ暗になるのよ。それだけじゃないの、それまでにもんから出てないと、守衛のところで学年とクラス名と名前を書かされるのよ。そして次の日の朝は職員室に呼ばれて、みんなのいる前で嫌味を言われるのよ。時間を守れないような人間はクラブ活動をやる資格はないって。ぐちゅぐちゅと。」

 また青いレースのカーテンが大きく揺れた。
「ねえ文子、今の誰。」
「走って行った。急いでいるんだ。ホッケー部のアイツ、リュウ、ちょっと気になるアイツかな。」
「あたしはバリバリ気になるわ。昼間練習しているとき、アイツわざわざあたしのとこに近寄ってきて、言うの、『君は夏痩せしないんだな。』って、腹立つ、だから言ってやったの、『練習をサボっているとレギュラーにはなれないよ。』って。そしたらにやにやしていた。」
「それで。」
「あたしは無視して練習続けたわ。」
「リュウはきっと話したかったのよ。」
「だれと。」
「ミサキと。」
「まさか、あたしと、ありえない。」
「もしかしてチャンスだったんじゃないの。」
「なんの。」
「友達になれるチャンスよ。」
「うっひゃあ、どうしよう。」
「私には判るのよ。ミサキ、リュウに興味あるんじゃない。このあいだ試合を見に行ったでしょう。」
「ちょっと応援に行っただけよ。いつも負けてばっかりいるからね。でもつまんなかった。試合には負けるし、関係ない他校の女子は来てキャアキャア騒ぐしさ。」
「さあ、出て、鍵をかけるから。」

 ミサキが廊下の奥のほうに目をやりながら言う。
「電気がついてる。あそこの部屋ね。覗いてこよう。」
「ミサキ、何やっているの、そんな時間ないよ。わたしは先に行くよ、もうどうなっても知らないから。」

 ミサキがホッケー部の部室の前に立ち、急いで着替えているリュウの上半身に目をやりながら言う。
「わりと良い体してるじゃん。」
「びっくりしたなもう、覗くなよ。時間ないんだから。」
「いつも覗かれているから、仕返しだよ。」
「俺は覗いてないよ。お前帰れよ。これからクライマックスなんだから。」
「オマエじゃないよ。」
「ミサキだろう。」
「どうしてあたしの名前知ってるの。」
「好みだから。」
「へえ、そんなことあっちこっちで言ってんだろう。」
「言ってないよ。」
「あたしだって知ってるよ、リュウだろう。でも勘違いしないで、他校の女子みたいに浮き上がってはないからね。それで、いま、電気を消したらどうなるんだろう。」
 ミサキがスイッチを押す。
「あっ、何やるんだよ。真っ暗じゃないか。しょうがない奴だ。」

 リュウは電気をつけ再び着替え始めた。
「わあ、見ちゃった。」
「まだ居たのか、帰れよ。もう怒ったからな。やっ。」
 リュウはミサキをめがけて力任せにバスタオルを投げた。だがミサキはすばやく身をかわしたのでバスタオルは壁に当たり廊下の床に落ちた。そのとき校内のすべての電気が消えた。

 正門を少し離れたところで校内が真っ暗になったことに気づいた文子は
「やっぱり間に合わなかった。もう何が起こっても私とは関係ないから。」
とつぶやきながら怒ったような表情で歩みを速めた。

 どうにか着替えを済ませ暗闇にも眼が慣れたリュウは放り投げたバスタオルを拾おうとした。するとバスタオルは床を這うように移動した後浮き上がった。リュウはすぐにこれはミサキの仕業だと判った。リュウは取り返そうとしたが、ミサキは笑って逃げた。リュウは追いかけた。ミサキは外へと逃げた。リュウはなおも追いかけた。薄暗くてもリュウは、青白いブラウス姿のミサキをはっきりと捕らえることが出来た。リュウは揺れるバスタオルをようやくつかんだがミサキはそれを離してなおも逃げた。リュウは裏庭の芝生の上で、やや逃げるスピードが遅くなったミサキにようやく追いついた。リュウが腕をつかむと、ミサキは転ぶようにして倒れた。リュウはその上に覆いかぶさるようにすると、力いっぱい抵抗するミサキがもう逃げられないように、脚と腕を絡ませた。そして懲らしめるかのように乱暴に力を込めた。ミサキの動きが止まるとリュウは力を緩めた。だが腕も脚もミサキの体に絡ませたまま。そして今度は抱きしめるように力を入れた。ミサキもリュウに抱きつくように腕をまわすと二人ともお互いの荒い息づかいと鼓動を感じながらそのままの姿勢を保ち続けた。
 二人とも眼を閉じお互いの温もりだけを感じ続けた。そのうち二人はお互いに抱きしめているというよりも、人間ではない何か温もりを持った大きなものに抱きしめられているように感じ始めていた。そして二人の呼吸も鼓動も穏やかになっていった。やがて二人は離れ仰向けになった。
 ミサキは枯れ草のにおいに感じながら昼間の彼取られた草のみずみずしさを思い浮かべ、リュウは空の淡い藍色を感じながら昼間見た雪のように白い雲を思い浮かべていた。リュウが先に話し始めた。
「演劇部には男子は居ないよね。」
「居ない。」
「僕が入っても良いかな。」
「ええ、どうして、ホッケー部クラブやめるの。」
「うん、なんか限界を感じて。」
「きっとみんな大歓迎ね。」
「ところで私たちどうなるの。帰れないよ。」
「大丈夫、フェンスなんて簡単に乗り越えられるさ。」










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