ひぐらし



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        はだい悠 







  問題用紙の上を走るシャープペンシルの音だけが耳に届く、静かな夏の日の午後。
 家の外から母親のかん高い声が聞こえてくる。
「トモ!彼女が遊びに来てるよ。」
「カノジョ?彼女なんていないよ。」
 奥まった部屋で、机に向かっていたトモエイは、勉強が邪魔されたような気がして、少し腹を立てながらそう言った。
 母親のヨウコが、昼はずっと開けっ放しの玄関の外から、さらに話しかける。
「なあ、トモ、どうするの?ミホちゃんとマホちゃんが待っているよ。」
 少し間をおいてトモエイが答える。
「だって夏休みの宿題があるじゃないか。」
「午前中にやらなかったの。」
「やったよ、これは昨日の分だよ。」
「あれ、昨日の午後にやったんじゃなかったの?」
「やれる訳ないじゃないか。あんなに引っかきまわされて。もうズタズタだよ。ほんとうに大変だったんだから。だってぜんぜん言うことを聞いてくれないんだよ。」
「えっ、あの二人が、ちっともそんな風には見えないけどね。」
「とんでもない、猫なんとかっていうじゃない、、、、」
「猫かぶってる?」
「うん、それだよ。それに超生意気って言うか、、、、あんなの見たことないよ、ジコチュウが激しいって言うか。」
「自己主張ね。都会の子だから。」
「激しすぎるよ。ぼくは男の子だよ。そのうえ五つも年上だよ。普通あのくらいの女の子はもう少し言うことを聞くもんだよ。それが全然なんだ。はじめは小さいからってなんとか我慢してたんだけど。そのうちどんどん調子に乗ってきて、どんなに切れそうになったか。とにかく乱暴な言い方をするんだ。オメエとかテメエとかってさ。女の子の癖にさ。もう嫌だよ。」
「まあ、そんなに嫌なら仕方ないけどね。」
 いつのまにか玄関に入ってきていた母親のヨウコがそう言いながらさらに続ける。
「でも、よかったね、裁判がうまくいって。それにしても何も今日中に帰らなくともいいのにね。」
と小さくつぶやくように話しながらふたたび外に出て行った。その雰囲気にトモエイはなんとなく気になり、勉強を止めて机を離れた。そして縁側の引き戸の影からそっと外の様子をうかがった。

 午後の日差しを受けて外は一段とまぶしい。
 マホとミホが、家の前の畑のわきを流れる小川を覗いている。ヨウコが二人に近づいていく。そしてなにやら話したあと、ふたたび二人から離れていく。それでも二人の女の子は、草をちぎっては小川に投げ込み、それを目で追いかけたりして、いっこうに帰る気配を見せない。
 トモエイ激しく迷った。行くべきか、放っておくべきかと。というのも昨日の嫌なことが頭に浮かんできたからだ。
 それは昨日の午前こんな風にして始まった。

 小学六年生であるトモエイが、今日の分の夏休みの宿題をやっていると、母親のヨウコが外から縁側のところにやってきて、トモエイに話しかけた。
「ねえ、トモ、ちょっと話があるんだけどなあ。」
「なんだよ、いま忙しいのに。」
と少し怒ったようにトモエイは答えた。ヨウコはそれを無視するかのように話し続ける。
「木村さんちに東京から親戚が遊びにきてるの知ってるよね。」
「うん、知ってるよ。」
「二人の小さな女の子、可愛い女の子知ってるよね。」
「、、、、うん、知ってる。」
「いま、外にきてるの、いっしょに遊んでくれないかなあ?二人のお母さんが昨日から東京に行ってるし、木村のおばちゃんも昼まで用事があっていないんだって。それでトモに遊んでもらえないかと思って。」
「なんでオラなの?おかあちゃんがやれば?」
「おかあちゃんには畑仕事があるじゃない。」
「こっちにだって宿題があるよ。」
 そう言いながらトモエイはだんだん苛立ちをあらわにした。というのも、トモエイは夏休みの宿題を計画的に毎日きちんきちんとやっていたので、それが狂うことがとても我慢できなかったからた。
 ヨウコがそっけなく言った。
「午後にやれば。」
「だって、おかあちゃんは、朝の涼しいときにやるようにっていつも言ってるじゃない。」
「たまには良いんでねえの。」
「なに言ってるの。木村のおばちゃんの家には他にだれもいないの?おじちゃんは?」
「病院。シンイチ君はお兄ちゃんと同じでクラブ活動でしょう、、、、」
「もうやだやだ。どうしてオラが。ねえ、二人のお母さんどうして東京に行ったの?」
「なんか裁判してるみたいで、、、、」
「サイバン、、、、親戚ってどういう親戚なの?」
「シンイチ君の、ひいおじいさんの、妹の孫にあたるのがあの子たちみたいよ。」
「うわあ、なんか遠くてよくわかんないよ。
「遠いね。でもね、たとえどんなに遠くても、事情があるときはどうしても頼らなければならないときがあるのよ。
「ああ、嫌だ、嫌だ。ねえ、その人たちってずっとこっちに住むの?」
「裁判が終わったら、外国に商売をやっている友達がいるみたいだ、そっちに行くって言ってたけど、、、、それじゃ頼んだね。」 「うえっ、、、、」
と、トモエイは、断ったのか引き受けたのか、どっちとも取れるようなよくわからない声を出した。やはりどうしても計画が狂うことが嫌だったからだ。かといって母親のの頼みを断ることもできなかったからだ。
 トモエイは紺色の野球帽をかぶって外にでた。

 はるか遠くには藍色の澄んだ山々が、周囲を取り囲むようにして連なり、そして点在する農家の周りにもなだらかな起伏が走り、所々に雑木林と田んぼと畑が、モザイクのように散在する田園風景が広がっている。
 トモエイが日差しのまぶしさに目を細めてかづいていくと、ヨウコが、
「ほら、トモエイおにいちゃんがきたよ。遊んでもらってね。」
と言って、そのまま二人から離れていってしまった。
 マホ六歳、ミホ五歳。二人の姉妹。そして十歳のトモエイ。三人は無言で向き合う。でことなく誇りっぽい感じのする田舎の女の子とはまったく違うものを、トモエイは反射的に感じた。そのきめ細かい白い肌や赤みがかった透き通るような髪の毛に。
 トモエイは動揺したが、そのことを悟られまいと必死に隠そうとした。そして、なんとか自分から先に声をかけようとして言葉を探したがなんにも頭に浮かんでこなかった。すると姉のマホが小首をかしげながらトモエイを見上げるようにして言った。
「ねえ、名前なんていうね?」
 トモエイはいままでの経験から、自分の名前を言えば絶対にくすくす笑いをされるか、それとも変な顔してもう一度聞かれることがわかっていたので、小さな声で自信なさそうに言った。
「、、、、トモ、トモエイ」
 それを聞いて妹のミホがいまなんて言ったのというような顔して、姉のマホの顔を覗き込んだ、するとマホはちょっと馬鹿にしたような笑みを浮かべて、
「やっぱり、トモエイだった、変な名前。」 と言って同じような顔をしているミホと顔を見合わせた。マホはさらに続けて、
「あたしはマホちゃんね、それから、」
「うん、あたしはミホちゃんよ。」
と、二人ともその小さなあごを前に突き出しながらいった。
 これからそう呼べってことだなと、トモエイは心の中でつぶやいた。トモエイはいままで見たこともないような女の子の様子に戸惑いながら、これからどのように接していけばいいのだろうかと不安になった。するとまたもやマホが先に言った。
「ねえ、ウサギを見せてくれるんだって?」
 トモエイはなんとなく救われたような気分になって言った。
「うん、良いよ、こっちだ。」
 そう言いながらトモエイは、二人の女の子を納屋の一角に設けられたウサギ小屋に案内した。

 トモエイは二メートル四方のウサギ小屋の扉をあけて、夫婦のウサギと子ウサギを納屋いっぱいに放し飼いにした。二人の女の子はなんとかウサギを捕まえようと、奇声をあげながら追いかけまわした。
「ねえ、なに食べるの?」
と、やっと捕まえて自由に触れるようななったマホがトモエイに聞いた。
「これだよ。」
と言って、トモエイは棚の上にあったクローバーをひとづかみして二人に差し出した。二人はそれを受け取るとウサギに与え始めた。
「いっぴき欲しいなあ。」
とマホがトモエイに聞こえるように言った。
「これボクのじゃないんだ。コウジ兄ちゃんのなんだ。」
「なんだ、オメエのじゃないのか。」
とマホが急に人が変わったように荒々しく言った。
 なんて乱暴な言い方をする女の子なんだとトモエイは驚いた。そのとき後ろのほうで不穏な物音が響いた。振り向くと妹のミホが、
「おい、食べろよ、好き嫌いなんかしないでたべろよ。」
と激しくしかるように言いながら、手にしているクローバーの束でウサギをたたいていた。トモエイは一瞬自分の目を疑ったが、すぐミホの所に近づき、そして諭すように言った。
「だめだよ、そんなことしちゃ、やさしく可愛い可愛いって言ってなでてあげないと。」
 するとミホは、
「うるさいよ、オメエは黙ってろ。関係ねえだろう、オメエのじゃないんだから。食べないこいつが悪いんだよ、オラ、わがまま言うなよ。」
と言って、逃げまわるウサギをなおもクローバーでたたきながら追いかけまわし始めた。それを見て、姉のマホも嬉々としてすぐさま同じように追いかけまわし始めた。トモエイは兄のウサギに万が一何かがあっては大変と思い、急いでウサギを二人から離して小屋に戻した。すると二人は、
「あう、なんだよ。」
「なんか、つまんないの。」
と怒ったように叫びながら納屋から出て行った。
 トモエイはウサギ小屋にカギをかけ、納屋の扉を閉めて二人のあとを追った。

 彼女たちは今度は、庭先の花壇の朝顔を見ていた。
「なんで咲かないの?」
と言いながらマホがしぼんだ花びらの中に指を入れて、無理やり開こうとしていた。それを見てトモエイはあせった。そして、
「これはね、朝顔といって朝して咲かないの、だからそんなことしちゃだめ。あっ、だめだって、そんなことしたゃ。」
 トモエイは叱るようにそう言いながら、両手を広げて朝顔と二人のあいだに割って入った。すると彼女たちはそれをやめるどころか、トモエイノ両腕をかいくぐるようにしてさらに勢いよく、しかも乱暴に花びらに触ろうとした。トモエイは、これは母親のヨウコが大事にしているんだと言う思いから、両腕に力をこめて必死に二人の攻撃を防いだ。すると二人は満足したのか、そのしかめっ面の中にかすかな笑みを浮かべて急に別の花のところにいった。
 なんて滅茶苦茶な女の子なんだろうとトモエイはあきれかえった。それでも、どういう訳かまだ腹を立てるまでにはいたらなかった。しかしこのままでは、また何かをやらかすに違いないと思うと、いったいどうすればいいんだろうと途方にくれた。
 日差しの強さだけを感じてトモエイの体から汗が吹き出した。
 どうしようもなく不安な気持ちで、二人の様子を目で追っていたトモエイは、ふとあることに気がついた。二人はまだ小さいから、きっと絵本でも読んで聞かせてやればおとなしくなるんではないかと。

 トモエイはさっそく二人を家に入れて絵本を読んで聞かせた。
 だが二人はまったく興味を示さなかった。それどころか二人は、トモエイの本棚や机の中を勝手に物色しては、そこから興味ありそうなものを断りもなく取り出していじり始めた。トモエイは、これは完全に二人になめられている、いまここで怒らなければという思いから、それまでにないくらいきつく叱るように言った。
「だめだよ、人のものを勝手に触ったりしちゃ。」
 そして二人の取り出したものを手荒に取り上げ元に戻した。しかし叱り方が悪かったのか、二人はそれでもやめようとしなかった。いままでほとんど怒ったことのないトモエイにとって、それは人生最大の怒りの表現だったのだが。
 どんなに止めようとしても、二人はやめるどころかますます暴走していくだけだった。トモエイはどうしてよいか判らなくなり泣きたい気持ちになったが、もしかしたら二人はやめさせようとするから、それに反発するように、かえってむきになってやるんじゃないかという気がしてきた。そこで何も言わずに黙って見ていることにした。
 二人はせっんく取り出しても、すぐ飽きてしまうので、部屋の中はだんだん雑然としてきた。
 やがて二人は、トモエイの兄コウジの部屋に行き、同じことをやり始めた。トモエイは、もし二人に兄が大切にしているものを壊されでもしたら大変なことになると思ったが、下手に注意すればますますエスカレートするだけだと思うと、どうしてよいか判らなくなり絶望的な気持ちになった。そこでトモエイは、この窮地から抜け出そうと必死に考えた。そしてこれなら二人が何をやろうと心配することはないと思い、冷や汗をぬぐいながら訴えるように言った。
「ねえ、フナとかドジョウとかカエルとかアメンボウとか見たくない?捕まえられるんだよ。」
「カエル、見たい、見たい。」
「それじゃ、外に出よう。」
 トモエイは二人の女の子が嬉しそうな顔をするのを見て、いきなり目の前に天使が現れたように思われ、今までの苦労が報われたような気がして救われたような気持ちになった。
 そして二人を、家から百メートルほど離れた小川の水溜りに、虫取り網を持って案内した。
 そこに着くと二人は、さっそく虫取り網を奪うようにしてすくいはじめた。トモエイは自分の計算どおりになっているなと思い、だんだん穏やかな気持ちになって言った。

   トモエイはふと気づいた。こんな強い日差しのもとでは、あとで大変なことになるに違いない、二人に帽子を持ってこなければと。
 いったん家に帰り帽子を持ってきたトモエイは、二人に帽子をかぶせようとすると、マホはそれを手で払いのけながら荒々しく言った。
「なにすんだよ、じゃまだよ。」
「あとで頭が痛くなるからね。」
 トモエイが穏やかにそう言いながら再び帽子をかぶせようとすると、マホは再びそれを激しく手で払いのけながら言った。
「うるさい、邪魔くさいんだよ。」
 マホは苛立ち不愉快そうな表情を見せつづけた。妹のミホも決してかぶろうとしなかった。トモエイはお前たちはいったい何様なんだよと初めて激しく腹を立てた。そしてほんとうに泣きたくなった。
  水の中を夢中ですくいあげていたマホが大きな声で言った。
「おい、バケツないのか、持って来いよ。」
 トモエイは少しむかつきながら、なんでオラがお前たちの命令を聞かなければならないんだよと思ったが、結局、持ってくることにした。
 トモエイが家に帰り、バケツを持って再び家を出ようとすると、母親のヨウコが虫取り網を持って家に帰ってきた。
「木村のおばちゃんが迎えにきて、二人を連れて行ったからね。」
 それを聞いてトモエイは、なにか自分を苦しめていたものから解放されたような気がして心からほっとした気持ちになった。
 これが昨日の一部始終だった。

 トモエイは、小川を覗いたりして無邪気に遊んでいるマホとミホのいかにも女の子らしい表情を見ていると、もしかしたら二人は昨日と違う人間になっているのではという気がしてきた。そしてもう決して昨日のような態度はとらないように思えてきた。
 昨日のようにトモエイは二人の帽子を持って外に出た。
 近づいてくるトモエイに気づいてマホが言った。
「トモエイ、遊びにきてやったぞ。」
 その小さなあごをしゃくり上げて言う様子に、トモエイは冬の冷たい川に突き落とされたようなショックを受けた。なんにも変わっていないじゃないか、やっぱり来るんじゃなかったと激しく後悔した。しかしなぜかトモエイはそれを表情には出さなかった。そして何事もなかったかのように穏やかに言った。
「今日はほんとうに熱いからさ、帽子をかぶらないとね。あとでほんとうに頭が痛くなるからね。」
「いやだよ。おまえは、うるさいよ。ねぇ、、、、」
 そう言いながらマホは同調を求めるような顔をしてミホを見た。するとミホも同じような顔をして応えた。トモエイは仕方なさそうに二人の帽子をポケットに押し込みながら言った。
「そうだ、今日は山にいこう。山に虫取りに行こう。とっても涼しいからさ。カブトムシやクワガタがたくさんいるよ。」
 それを聞いて二人は少しも不満そうな表情を見せなかったので、トモエイは二人の先頭にたって、家の裏にある雑木林に向かって歩き出した。
 雑木林に走るとトモエイはだんだん不安になってきた、それはカブトムシやクワガタは昼間は見つかりにくかったからだ。それに男の子と違い女の子は果たしてカブトムシなんかに本当に興味があるんだろうかと思ったからだ。
 雑木林は下草が刈り払われ、きちんと管理されていたので歩きやすかった。だが、思った通り虫はなかなか見つからなかった。やがてマホが、太陽と木の葉で作るまだら模様を顔に写しながら不服そうに言った。
「おい、トモエイ、どこにいるんだよ?」
「早く見つけろよ。」
とミホも同調するように言った。

 二人の攻勢にトモエイは、あせり、不安になり、なんであんなことを思い付きで言ってしまったんだろうと激しく後悔した。そして、こうしてぶらぶら歩いているうちに、二人が虫のことなんか忘れてくれることをひたすら願った。
 やがて三人は、シイタケが栽培されているところにたどり着いた。思惑通りだった。二人がそれを見て興味を示した。トモエイは全身の汗が引くぐらいほっとした。
 マホがトモエイに聞いた。
「これ、なに?」
「シイタケって言うんだ。」
とトモエイは先生になったような気持ちで、落ち着いてゆっくりと話した。すると今度はミホが聞いた。
「たべられるの?」
「うん、食べられるよ。、、、、あっ、だめだよ、そんな取りかたしちゃ。取るときはチャンと根元から取るようにしないと。」
「良いじゃない、どうだって。」
と言いながらマホは、しいたけを叩き落すかのように手でたたき始めた。ミホもさっそくそれを真似た。
「だめなんだってば、そういう取りかたしちゃ。」
 トモエイは叱るようにそう言った。しかし、二人の女の子は、それを聞いてやめるどころか、ますます強く乱暴にたたき始めた。また同じことの繰り返しかよ、少しも変わっていないじゃないか、なんで判ってくれないんだよと、トモエイはいまにも泣きそうになりながら思った。そして涙を必死にこらえながらトモエイは、そっちがその気ならもう判った、勝手にしろ、ボクはもう何も言わないから、と固く決心した。

 そのとき家のほうから、トモエイを呼ぶ声が聞こえてきた。トモエイが二人をその場に残して走って家に戻ると、祖母のキクがトモエイに言った。
「とうもろこしが煮えたんで、持っていってさ、二人に食べさせてな。」
「えっ、あいつらに。」
とトモエイはあからさまに不満そうな顔をして言った。というのも、せっかく持っていっても、二人はきっと何か文句を言うだろうと思ったからだ。それでもトモエイはとうもろこしを三本ビニール袋に入れて、二人のところに持って戻ることにした。途中少し遠まわりをしてスイカ畑に立ち寄ると、手頃なのを一個もぎ取り袋に入れた。
 戻ってきたトモエイを見て、マホが責めるように言った。
「遅いよ、どこに行ってたんだよ。」
 トモエイはとうもろこしを一本ずつ二人に差し出すと、すぐ食べるように促した。
 受け取った二人はさっそくそれを食べ始めたが、マホが予想通りしかめっ面して言った。
「うっ、まずい。」
「まずいね。」
と妹のミホも同調したが、かといって決して食べることはやめようとしなかった。
 トモエイにとって二人の反応はほとんど気にならなかった。というのも、持ってきてのは良いが、どうやってそのスイカを割るかで頭がいっぱいだったからだ。そこでトモエイは突然のように両手でスイカを少し持ち上げ、それに自分の頭を強くたたきつけた。二度三度と屋ってスイカは割れた。それょみて、マホとミホはキャッキャッと引きつるように全身で笑った。ちょっと空腹だったせいもあり、トモエイは二人に何を言われようがどんなに笑われようがあまり気にならなくなっていた。ときおり大人しく食べ続ける二人に目をやっては、トモエイは言葉でうまく言い表せないような不思議な心の充実感を覚えながら食べ続けた。
 三人はすべてを食べ尽くすと、ふたたびトモエイを先頭にして雑木林を散策し始めた。
 トモエイは自分が言い出した以上最初はなんとかしてカブトムシやクワガタを見つけ出そうと必死だったが、二人はそんなことを忘れたかのように、ゆっくりと歩きながら興味がありそうなものを、とりあえず手にとって触ったり眺めたり、そしてそれに飽きるとすぐ別のものに取り替えたりして適当に遊んでいるようすだったので、もし仮に発見できなくてもそれはそれでいいのかなと思うようになり、だんだん気持ちが楽になって行った。
 時間が過ぎるのも忘れて歩いているうちに、やがて雑木林が薄暗くなっているのに気づいた。
 太陽は傾き夕暮れが近づいていた。
 三人は力をあわせて小川を飛び越え雑木林を出た。そしてナスとカボチャ畑のふちを歩き出した。すると百メートルほど離れた隣の家のほうから、女の人の叫び声が聞こえてきた。 
「マホちゃん、ミホちゃん。」
 三人がいっせいにその方向に目をやると、一人の大人の女性がこっちに向かって歩いてきた。それを見て、マホとミホは何のためらいもなくいきなり駆け出して、その女性のほうに向かって走っていった。
 それを見ていたトモエイは、なあんだ二人のお母さんか、と思い、少しも表情を変えることなく自分の家のほうに向かって歩き出した。 二十歩ほど歩いて、後ろを振り返ってみると、二人とも目のあたりを手でこすりながら、必死に何かをその母親らしき女性に訴えている様子だった。
「ふん、きっと、オレにいじめられたんだとか言って、泣いているんだろう。」
とトモエイはそれを見てつぶやいた。

 トモエイはもう振り向くこともせず自分の家のほうに向かってひたすら歩き続ける。小川を飛び越えて直角に曲がると、雑木林が陰となってさえぎり、振り返ってみても、もうマホたちの姿を見ることはできない。
 ネギ畑のふちを歩きながらトモエイは、こんなにもたくさんのヒグラシが、うるさいくらいに鳴いているのに、初めて気づいた。
「あいつらが、さよならなんて言うはずないよな。」
 もう遅れた夏休みの宿題のことで頭がいっぱいになりかけていたトモエイは、急ぎ足で歩きながらそう思った。
                                                          








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