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    芸術論第一章(岡村孝子論)

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          真善美







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   宇宙の本質は静寂や穏やかさであり、
   その現われはひたむきさや悲哀である。


   ときとして天空を支配する最高神(天帝)は、
   その愛娘をこの地上に舞いおらせることがある。


   そのあまりの出来のよさを地上の人間たちに
   見せびらかしたいがためである。


   芸術は人間の精神活動によって生まれるが、
   その本源は不合理性や反自然性や非現実性にある。





     *   *   *   *


 私たち生き物は、宇宙生成以来、その物質性として、重力や電気や電磁波、そして空気振動である音などの物理性と密接に関わりあいながらここまで進化してきた。
 だから私たちはその物質性や物理性のもつ合理性や自然性や現実性にいやおうなく支配されがんじがらめにされている。
 この世に生まれて死ぬまで私たちは誰ひとりとしてその苛烈な制約から逃れることはできない。
 だがそのような生き物は人間となるまでの進化の過程で、精神と云うものを芽生えさせ発達させて、それが肉体とはまったく別物であるかのようなものとして獲得した。
 そして精神は、本来肉体(自然的合理的現実的なもの)もとで成り立ち、ほとんどその制約下にあるにもかかわらず、自分は肉体の制約を受けているどころか、自分は肉体から独立してだけではなく、あたかも自分がが肉体を支配しているかのように勘違いをするようになってきた。
 だがそれは迷妄である。
 そのことによって私たちはどんなに痛い目に合わされてきたことか。
 精神はその進化の過程で何度も自然の物質性に押しつぶされ叩きのめされてきたに違いない。だがやがて、知性と想像力が達していくにしたがって、人間は自然を支配し利用するようになり、人間の精神は自分が肉体や自然からは独立していて自由であること、そして自由な精神を持つことが人間性の本質であり証であることを信じるようになって行った。そのことに大いに寄与したのが人間の想像する力の確立とその発達であった。
 その後想像力は知性と協力しながら世界各地に文明を興しさまざまな文化を発展させていくことになる。

 さて精神が自由を獲得していることに自信を持ったとしても、思い通りには行かない現実の生活や、物質の消滅である肉体の死によって起こる精神の消滅の恐怖からは逃れることはできなかった。
 そのままでは人間は苦悩と恐怖に打ちひしがれ、その精神には絶望しか残らないはずであった。
 もし私たちの先祖たちが、そのとき自分たちは自由な精神を持った人間であることを放棄してしまったら人間は再び動物のように生きていかなければならなくなったに違いないのだが、でも先祖たちは、その自由な精神活動の結果としての様ざまな芸術活動や宗教活動に力を借りることによって、その精神の崩壊の危機を乗り越えることが出来たに違いなかった。

 このように精神は無意識のうちに自然や肉体の支配や制約を受けていることに不満や苛立ちを感じてはいるが、獲得した知性や想像力によって宗教や芸術を生み出すようになった。
 やがて芸術や宗教は精神の不満や苛立ちを和らげるようになり、それによって人間は慰藉され洪水のようにおしよせる苦痛や不安から開放されようになり、精神は自分があたかも自然の物質性や周囲の物理的世界から自由になっているかのように感じるようになっていった。


     *   *   *   *


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  では具体的には
  不合理性や反自然性や非現実性としての芸術とは
  どういうことなのだろうか?


[詩の場合]


 このような詩がある。

   ----赤い鳥小鳥
        なぜなぜ赤い
          赤い実を食べた----
                   (北原白秋)

 この詩を意味としてみた場合は次のようになる。

    目の前に赤い羽根をした小さな鳥が
    存在しています。
    なぜ羽根が赤いんだろうと疑問を持ちます。
    推測するにたぶん赤い実を
    食べたからでしょうか

 そしてこれを合理的な表現とすれば次のようになる。

    目の前に赤い羽根をした小さな
    鳥が居ます。
    なぜ赤い色をしているのかとても不思議です
    おそらく赤い実ばかりを食べている
    からでしょうか----

 だが作者が赤い小鳥を見て伝えたかったのは
 このような意味であろうか?
 それは違う、それでは詩にはならない。
 作者が詩として伝えたかったのは赤い小鳥を
 見たときの詩興である。
 それは次のようなものだったに違いない。 

     詩人は日常の雑事に煩わされることなく
     心の平穏を保ちながら開放的に生活している
     そんなとき籠に入った赤い羽根の
      小鳥を目にする。

     詩人の曇りない目にはそのいたいけで
     可憐な生き物は新鮮に映る。
     小鳥は人間からみれば取るに
     足らない存在であるが、
     詩人は人間と同じように知恵を持っている
     生き物であることに気づく、
     そして人間とはまったく違う外見、
     しかも鮮やかなほどに赤い体色をしている
     にもかかわらず人間と同じように自分を
     持って生きていることに共感しながら
     その存在の不可思議さに驚き感嘆する。
     そしてこのような小さな生き物だけではなく
     人間を含めたすべての生きとしいけるものが
     何か人知では推し量ることが出来ないような
     天の理法や造物主の意思のもとで
     生かされているに違いないと
     それらの驚嘆を天啓のように受け取る----

 そしてこのような興奮や感動を表現するには以下のようなものにならざるを得ないのである。

        ----赤い鳥小鳥----

  意味としては、反自然的で不合理な
  繰り返しであるが、
  それによってただならぬもの何か
  尋常でないものを
  指し示そうとしていることが判る。
  今目の前にいる赤い小鳥は日常
  普通に目にしている
  単なる赤い小鳥ではないということを
  強調しようとしている。

       ----なぜなぜ赤い----

   この"なぜなぜ"の繰り返しは
   自然的合理的な解答をを排除
   していることであり、
   そのことによって今沸き起こっている
   昂ぶる詩情を詩として
   成立しうると感じている詩人の直感
   によるものである。

       ----赤い実を食べた----

   "なぜ赤い"という問いには、
   字義的にはその答えは環境的にとか
   遺伝的にとかという
   科学的なものになるはずのものなのだが、
   詩であろうとする限りそうはならない、
   それでは味も素っ気もない、
   今感じている驚きや感動を詩として
   伝えるには、
   誰もが考えるような自然的合理的な
   答えではなく、
   まったく思いもよらないような答えがが
   ふさわしいのである。
   それが真実である必要はないのである。
   つまり"赤い実を食べた"から赤くなったのだ
   という妄想と思えるほどに児戯的で
   非科学的なことを信じたいくらいに、
   もうありきたりで自然的な表現では
   納得できないくらいに
   詩人の驚きや感動は深遠で
   あったということなのである。
   そしてこのような芸術的な表現は
   何万を語を費やすよりも
   はるかに読者の心に訴え、常日頃合理的
   なものにがんじがらめにされ
   頑なになっている私たちの心を解きほぐし
   豊かにするものなのである。


     *   *   *   *


[絵の場合]

     割愛。
     余裕があるときにいずれまた。


     *   *   *   *


[ダンスの場合]


     割愛。
     余裕があるときにいずれまた。


     *   *   *   *


[スポーツにおける芸術性]


     割愛。
     余裕があるときにいずれまた。


     *   *   *   *


 [音楽の場合]


   音とは、
   空気の振動を耳の鼓膜で受け止め、
   それを電気信号にかえて脳に送り、
   そこでその振動の強さ弱さや
   高さ低さを認識することである。

 と言ってしまえばそれまでであるが、
 これはあくまでも科学的な見解で、
 ほんとうに退屈でつまらない。
 それに音がどのように精神(心や意識)に
 働きかけるかを知るにはこれでは不十分である。

 視覚の働きは可視光線の媒介によって
 遠くのものまではっきりと認識することが出来る。
 でもある意味限定されているといってもいいだろう。
 それはほとんどが前方だけであるし暗闇では機能しないからである。
 それは感知する空間が限られていることを意味している。
 そしてそれは目に見えている限られた空間だけが
 現実的な意義を持っていることを意味している。

 では音の場合と云うと、
 それは前後左右暗闇に関係なく全方位的に音と云うものを認識できる。
 自分を取り囲む全空間で起こっていることが自分と関わりあっていることであり、精神にとってはそのことは視覚とは比べ物にならないくらいに重要な意義を持っていることを示している。
 たとえば大勢人がいるところで誰かが声を発すれは、それは自分だけではなく、他のすべての人にも聞こえているはずである。
 それはつまりは周りの大勢の人たちと、その声を共有していることを意味している。そしてその音によって自分と周りの大勢の人たちがいっしょに同じことを感じ同じ気持ちになっている、いわば共感していることでもあり、そのことは意識の共同性にもつながっているのである。もし誰かが喜びの声を上げればその感情は周りに伝わり、その場の雰囲気は喜びに満ちたものになるだろうし、もし逆に悲しい声を上げれば周りの者たちは不安になその場は沈んだものになるだろう。その点視覚の場合は何かを目にしているものだけしか判らないので、その出来事の意味の伝播性は遥かに低いのである。そのため視覚が意識の共同性や共感性に果たす役割は聴覚よりも遥かに低くそれほど重要性を持たないのである。
 聴覚の全方位性とは、意識を取り囲む物質的全世界とのかかわりを意味し、精神にとっては重要な意義を持っている。
 その意義とは共同性や共感性であるが、それは視覚などよりも遥かに強く精神に組み込まれていて自動的無意識的に起こるものであり、私たちの精神の本質といってもよい。言い換えれば人間の共同性は生まれつき備わっているといっても良いのである。音は視覚のように単純に物の存在を知らせるだけではなく、むしろ人間の感情を知らせることで重要な役割を果たしてきたようだ。

 たとえばサルの群れのように、危険を知らせる声を発すればその声は群れ全体伝わり、群れ全体で警戒するようになる。そして意味なく興奮したサルが奇声を上げればその声は群れ全体を不安にして興奮したものなりだろう。
 だが人間の場合、音は危険や興奮の知らせる物理現象というよりは、むしろそれを楽しむ芸術として進化を遂げて行ったようだ。


 音階は周波数の違いである。
 ハーモニーはその音階の組み合わせである。
 そこには法則性があり合理性があり科学的に解析できる。

 でも自然には音階はなくハーモニーもない。
 人間だけがそこに価値を意味を見い出し楽しんでいる。
 どのような音の組み合わせがメジャーとなりマイナーとなるか、科学的には解析できる。
 だがなぜ、それに楽しさや悲しさを感じるかは、科学では判らない、私たち人間がそう感じるからそうなんだとしか言いようがない。

 音楽は時代とともに進化発展してきた。
 現代ではリズムが特に重要視されるようになって来ている。
 それにはアフリカ系の人たちの関与が大きかったようだが、かといって、大地で踊るアフリカ人たちのダンスを見て、その独特のリズム感のよさから、リズムは自然なものだと考えてはいけない。自然には音楽に見られるようなリズムはない。彼らのリズムは高度な精神活動の結果なのである。そしてそれがどれほど彼らに喜びや勇気や夢を与えていることか。
 もしわたしたちの世界が合理的説明できるだけものだったら人類はとうの昔にその物理的外界に押しつぶされ死滅していただろう。
 未発達な知性や想像力は返って人間を不安にさせ憔悴させたに違いなく、もう動物に戻ることの出来ない人間にとっては絶望しかないからである。

 私たちにとって、音楽を聴くとは、そこに表現されている様ざまな感情や思いや感覚に、私たち自身がひきつけられとらわれ、そして心からそれに身をゆだねることである。それはほとんどの場合は共感であるが、個人的な好みだけからそうするのではない。それは音が先験的に持っている共同性によるものである。つまり今聴いている音楽は自分だけが聞いているのではない、他の多くの人たちも聞いているのである。だからいま自分は、その多くの人たちと同じ気持ちになって何かを共有していると感じているのである。

 これらから音とはその場の空間を占めている誰にも聞こえているものであり、その場の誰にも同じような情報を与えるとともに、その場の誰にもおなじような感情を呼び起こすのある。つまり精神的には音=集団性であり、その内容によっては、集団を異常に興奮させる可能性をつねにはらんでいる。

 そのような音の持つ特性を芸術的に発展させてきた音楽は、1960年代その発展の速度を急速に速めていった。
 その内容は、それまでなかった新しい感覚のものや新しい思想や情感が表現されたものだった。
 それを支えたのは主に天才的な作曲家や演奏者であったが、メディアの発達と普及によるおかげでもあった。ラジオ、テレビ、レコード、テープレコード、有線放送の普及は全国的なものとなり、音=集団性は全国規模となり、その共有性や共感性の規模は日本人の数を無意識のうちに含むものとなった。
 だがそれだけではなかった。それらのメディアによって外国映画や音楽がどんどん流されることによって、音=集団性、そしてその共有性や共感性は世界的規模にまで広がった。

 当時の音楽はどんなに新しく創造的であっても、そのような時代状況にあわせもの、また商業主義の要請に応えた流行的なものであった。
 そのためか70年代に入るとその発展と勢いはその後の絶頂期を目指して猛進を始めた。
 いつしか音楽業界は花形産業になっていた。
 新旧を問わずどんなジャンルの音楽にも勢いがあった。
 現在では想像も出来ないほどのさまざまなジャンルの音楽がすべてのメディアを通じて終日あふれるように流されていた。
 クラシック、ジャズ、演歌、歌謡曲、青春アイドル歌謡、民謡、ポップス、フォークソング、ニューミュージック、シャンソン、カンツォーネ、ボサノバ、アルゼンチンタンゴ、コンチネンタルタンゴ、ギターやバァイオリンの独奏曲、そしてイージーリスニングを演奏する多くの楽団などなど。

 だがどんなに日々の生活に音楽があふれていても私にとってはそれは重大な関心事ではなく、あくまでも移り行く時代の背景に過ぎなかった。だから私が隆盛を極める当時の音楽に耳にしていても、その演奏会に出かけるとか、レコードを買い求めると云うことはまったくなかった。
 80年代になった頃、私は次第にそのような音楽に距離をとるようになったいた。このことは私個人だけではなく、社会にもそのような傾向があった。60、70年代に隆盛を極めた音楽の熱狂や興奮から覚めていくような雰囲気があった。
 かといってまったく興味を失ったと云うわけではなく、〈現在流行っている歌〉といことで楽しみながらテレビを見ていた。もしかしたら私は当時心の底から興味を抱いて、そのような音楽を聴いていたのでなく、世界を巻き込む音楽の興奮性や集団性に浸っていたのかもしれない。なぜならその集団性は帰属性をも意味しているからである。いかに当時の私が日本の現状(広くは世界)に批判的で反社会的な考えを持ちながら自分の存在を成り立たせていても、それだけでは現実の社会の構成員としては生きにくい、そんな時音楽による興奮性や共感性に身も心もゆだねることは、無意識的にはいま自分はこの世界(日本)に帰属していると云う事を意味することになるので、そのことによってある程度の精神の安定を得ていたのかもしれない。

 このころまでにどのような曲想(楽器と編曲)で、どのような歌詞を盛り込めばが流行るかがすでに確立されていた。
 それまで音楽の発展を支えてきた有能な作曲家や作詞家はその要請に応えることが出来ていたからである。
 そのマンネリズムと商業化が私を音楽から遠ざけて行ったおもな理由かもしれない。その決まりきった歌詞や曲想に飽きが来たと云うことで。
 しかし流行を引っ張利、流行り続けることが運命付けられているものなら、そこには必然的に変化が伴っていた。それまでとは違う何か新しい曲想(楽器と編曲)やリズムのものへと。
 たしかにそのようなものは新しい感覚として魅了する。評論家の小林秀雄はジャズには観念(思想)がないといった。でもジャズにはそれまでにはなかった新しい感覚があり常に隠れた思想が示唆されていた。

 音楽における新しい感覚は精神を更新させる。
 もちろん有能な利害関係者はそれに応えることが出来ていた。ただ相変わらす歌手の歌唱力はそれほど問題ではなく、相変わらずメディアに取り上げられる話題性や新奇性が大きな比重を占めていた。

 私が音楽に覚めていくようにメディアもその取り上げ方に少しずつ変化をして行ったようだ。
 なぜなら新しい音楽と云うものは時代とともに古くなっていくものであるからだ。
 それでも勢いが衰えないものもあった。アイドルと演歌であるが、何十年たっても今もって曲想と歌詞内容はそれほど変っていない。青春アイドル歌謡と演歌は永遠に不滅だろう。
 歌謡界はいつの時代も新しい曲想や感覚を提供できる天才によって繁栄してきているのであるから、あのどのような楽曲が流行るかがすでに確立されていた80年代もある意味新たな才能の出現を待ちわびていた時代なのかもしれない。


     *   *   *   *


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 私が最初に姫女たちを見たのはテレビのザベストテンと云う番組だった。
 たしかそれまでにラジオか何かの情報番組で姫女たち《あみん》を知ることができていた。
 どこかの音楽祭でグランプリを受賞したデュエットであると云うこと。

 初めてその曲を聞いたとき、私は姫女たちが持っている感性が、少し前の時代の若い女性たちがもっていた感性に近いものを感じた。
 少し前の感性を判りやすく言い換えると、戦後の女性たちの感性、または田舎娘たちの感性と言い換えてもよい。皮肉っぽく言うと、六十年代までは数多く生存していたが、それ以降急速に数を減らして行き、今では絶滅危惧種となってしまった女性たちの感性である。

 姫女が《あみん》として初めてそのザベストテンと云う番組に登場したとき二人は司会者であ久米ひろしと黒柳徹子に挟まれていた。そのとき黒柳徹子は聴視者の質問として二人に次のように問いかけた。
「二人は暗いんですが・・・・・」と。
 そのとき私はドキッとした。そしてとっさに思った。なんて事を訊くんだと。私はテレビ局や二人の司会者の無神経ぶりに怒った。まあ、繊細さのかけらもない司会者だからしょうがないのかなとも思った。
 でも私にはその後の記憶がない。姫女たちがどう答え、どんな表情をしたのかも。  おそらく私はその様子をを聞きたくも見たくもなかったので、チャンネルを変えるか、トイレにでも立ったのだろう。

 たしかに彼女たちの雰囲気には違和感があった。
 というのも当時の時代の要請する女性たちのイメージというのは、より積極的に自分を表現するものへと変化してたからである。
 さらに当時は奇才タモリなどによって《ネグラ》と云う言葉が姫女たちのような性格の人を揶揄する言葉として言い広められていたせいもあったのだろう。
 それに比べて彼女たちは本当に控えめで大人しかった。少し怯えているようにも見えた。雰囲気としては絶滅危惧種の女性たちとして、視聴者の眼に映らざるを得なかったのは仕方がないことだったかもしれない。

 だから私にとってこれが姫女をテレビで見る最後となった。

 私はテレビ番組のそう云う扱い、と云うよりも当時の社会の姫女たちに対するそう云う扱いに対して、憤慨落胆しながらも、時代の流れなのだから仕方がないのだと自分に言い聞かせてはいたが、その反面《少し時代遅れな乙女心を歌う可愛らしい美少女たち》と云う話題性で売れているんだなと思いながら、いずれはその絶滅危惧種的な性格が理由で、そのうちに忘れ去れていしまう存在だろうと、なんとなくも感じていた。
 そのとおりであった。それから数年私は偶然とも思えるように衝撃的な出会いまでほとんど姫女のことは忘れていたのである。


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 最初にして最後に姫女をテレビて見て以来、姫女について何の情報も得られなかった私は、やはり予想通り時代の要請に応えることが出来るような音楽家には成れなかったなと思った。
 それが絶滅危惧種的な性格によるものか、才能の無さによるものかは判らなかったが、音楽に対する私の興味の変化からすれば、それほど関心のあることではなかった。

 その時期は八十年代後半、当時私は四十歳を前にしてなんとか《地獄のような青春》切り抜けるとともに、社会との折り合いも付き、ようやく自分も人並みに生きていけそうな自信を獲得しつつあった。
 そして歌謡界には六十七十年代のような闇雲な熱狂や興奮はなくなり、それとは別の洗練された熱狂というべきようなものに少しずつ変化して行った。
 その主流を成していたものが、新しいファッションの似合うような新しい町並に流れる新しい感覚、あたかも時代を先取りするかのようなそれらの音楽はオシャレでかっこいい音楽として主に若い世代に熱狂的に支持されていた。これと永遠に不滅な青春アイドル歌謡と演歌が当時の流行りの主流となって音楽業界を牽引していた。それでも私は音楽に対してもほとんど興味はなくなり、途切れることなくメディアから送り出される音楽も長足の勢いで移り行く時代の背景を、通り過ぎるように飾る装飾に過ぎなくなっていた。

 そして私は偶然のように姫女と出会う。

 穏かな秋の日、私はのんびりと午後のワイドショウを見ていた。

 そして何となく聞いていたエンディングの歌に私は心を奪われた。
 その歌から私はどこまでも広がろうとする心情の豊かさや、情感の細やかさや深さが感じ取られた。
 それはそれまでの歌謡曲にはまったくないものであった。
 翌日もエンディングまで待ってその曲を聴いた。
 曲名は《夢をあきらめないで》作詞作曲歌は姫女とわかった。
 もと《あみん》のどちらかであることも判ったが、でもそのときはどうでも良かった。
 私は生まれて初めてレコード(このときはカセットテープ)を買い求めることを思いついた。
 そして私は町のレコード店で姫女のアルバム《After tone》を買った。

 なぜ私はこの歌に魅入られたのだろうか?
 それはこの歌からあふれ出る心情の豊かさ、しかも情感の細やかさや深さに裏付けられたところの真正な《心情の豊かさ》にあるのであるが、それは言い換えれば純粋な《生の肯定》の表れのように直感したからに違いない。
 たしかにそのとき私は、それまで長いあいだの生きることへの積極的な意味を見いだせなかった時期と違って、ようやく自分も人並みに生きていけそうな自信を獲得しつつあったときであるので、私の内部にも《生に対する肯定感》が多少とも芽生えていたにちがいなく、そんな私が、どうみても人生を知り尽くしたとは思えない若い女がこんなにも自然にそして高らかに《生の肯定》歌い上げていることに驚嘆するとともに、心の底から共感したのであろう。

 ここではっきりと言っておかなければならないことは、この歌に《生の肯定》が表現されているといっても、姫女が《生の肯定》を言葉として、たとえは"生きていることはすばらしい"とかというように直接表現しているということではない、生の肯定感がその背後に感じ取られるような《心情の豊かさ》が感じ取られること、そしてこの曲を耳にする誰ものが、その情感の細やかさや深さにあたかも共鳴するかのように、姫女と同じような《心情の豊かさ》に満たされるということなのである。
 たしかに現代は、生きることの意味やその素晴らしさを説く言葉があらゆるメディアを通じて私たちの前にあふれている。でもその背後には"狙い"や"作為"や"思惑"が透けて見える。そんなものはすぐ飽きられさび付き忘れ去られてしまうのがおちである。

 私はそのアルバムを繰り返し繰り返し何度も聞いていた。
 そこ収められている姫女の曲が私を引き付けたのは、当時流行の先端を走っていたところのそのオシャレ感やカッコヨサのためではなかった。ましてやその曲のアイドル感や演歌感ではなかった。むしろ姫女のデビュー曲のように前の世代にうけいれられたような古さを感じさせるような内容だった。でも決してそれだけではなかったのだった。


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 さて心とはどういうものなのだろうか?
 心が広いとか、心が豊かとはどういうことなのだろうか?
 母親のお腹の中で羊水に包まれているとき、赤ちゃんにとって外部も内部もなく心と云うものない。音は感じているかもしれないが、それも外部でも内部でもなく、自分が、自分の心が感じていると云うものでもはない。でもそのことを敢えて心と云うなら、そのとき心と云うものは宇宙そのものかも知れない。

 その後赤ちゃんはこの世に生を受けると、その泣く声と触覚により外部と内部の境界をしる。そして間もなく光をも知るようになる。その頃には外部と内部の区別がはっきりと意識されるようになり、その内部の世界が心として芽生え始めることになる。そして味覚や嗅覚よって、その内部世界の意識が心としてさらにはっきりと確立されていき、やがてその心は《自分》として発展していくのである。
 と云うことは、心とは無限の広がりのもとに成り立っていると考えても良いのではないだろうか。物理的制約のもとで発展してきた五感の経験によって本来無限の広がりのある心に境界や制限を設けているのではないだろうか。
 もしここで、心というものをを無限の広がりのある空間と考えてはどうだろうか。そして人間が生きていく上で様ざまに経験したことが、その任意のどこかに置かれると云うことにしたらどうだろうか。視覚的にたとえると背丈ほどの小山のように、本来心は無限の広がりを持っているのであるから、子供のころ体験したことは、どんな些細なことでもそこに置かれることだろう。
 そしてみじかで重要なことは近くに、そうでないものは遠くに。
 やがて経験することも多くなってくると、似た様な経験はなるべく近くにまとめられるようになったりする。
 そして嬉しい経験や楽しい経験は、近くに、辛く悲しい経験は少し距離を取って端のほうに置かれるに違いない。なぜなら出来るだけ意識から遠ざけたいと思っているからに違いない。でもそこに存在する限り消えてなくなることはないだろう。
 経験したことを示すその背丈ほどの小山のようなものは、それぞれが決してバラバラではなく、意識のもとではみんなつながっていて《自分》として形成しているといってもいいだろう。ほとんどの楽しいことや嬉しいことの記憶は、何度も思い返すように、その背丈ほどの小山はだんだん透明になり美しい結晶に、つまり美しい思い出や記憶になると考えてよいだろう。それに反して辛いことや悲しぎることは、それほど思い返されることはなく、やがてだんだん曇って行きやがては光を通さない黒い塊となってしまうだろう。
 透明な小山と云うものは光を通すので影は作らないが、黒い小山は陰を作る、とくに辛い経験の小山は特定の場所に集められる傾向があるようなのでより大きな影を作るに違いないる。
 それが人間の無意識となっているに違いない。

     *  *  *  *


 最高神の娘として姫女が誕生したとき人間のようにすぐには泣かなかった。
 穏かで不思議そうな笑みを数秒間浮べたあとようやく嬉しそうに小さく泣いた。
 人間は経験によって心の無限の広がりを推し量ることが出来るが、最高神の天性を受け継いだ姫女はそもそも無限の心の広がりからこの世界を見ているのである。
 そして人間界に住む限り姫女の心も人間と同じようにさまざまな経験によって形成されていったのである。
 ただ私たち人間と違うところは、その心の無限の広がりによる余裕のおかげで悲しいことや辛いことから決して目をそむけることなく、そのことに常に寄り添っていたので、そのネガティブな経験が心の片隅に黒い小山としておかれ、その背後に造られた黒い影でうごめく世界、つまりに無意識の世界から心をゆがめるように悪い影響を受けることはほとんどなかった。
 その最高神から受け継いだ姫女の大様で開放的な天性は少しも変わることはなかった。




     *  *  *  *



  第二章に続く




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