自由詩その他



   

          小礼手与志






春は、予感であり、幻想であり、不安である。
夏は、幻惑であり、過剰であり、期待である。
秋は、裏切りであり、復讐であり、悔恨である。
冬は、慰安であり、空虚であり、凍結である。





ありうべき形と局面は布で覆われ、
目に移るのは布の豊かな色彩と波紋のような起伏。
それを見るものの意識は秘められたものへとむかい、
意識は逃れようのない緊張と葛藤におそわれる。
そして裸婦は知覚を超えて横たわる。

あらわにされた裸体の前で、意識は逃げ場を求める。
その柔らかさと曲面はすべての悲哀をあらわす。
世界との和解は乳房のふくらみにあらわれ、
偉大なる肯定は下腹部の裂け目に現れる。
そして憂愁は裸体をこえてよこたわる。





むなさわぎ、むなさわぎ、むなさわぎ、むなさわぎ、
息苦しさ、息苦しさ、息苦しさ、息苦しさ、
忘れていた、忘れていた、忘れていた、忘れていた、
シンジツ、シンジツ、シンジツ、シンジツ、
絶対、絶対、絶対、絶対、
ゆるぎなきもの、ゆるぎなきもの、ゆるぎなきもの、ゆるぎなきもの、
肉体、肉体、肉体、肉体、
生命の根源、生命の根源、生命の根源、生命の根源、
未来と可能性をつつみこんだ肉体。

いまひとつの意志が、
宇宙の果てから放たれた矢のように、
地球をつらぬく。





     歌謡曲風に

突然みんなのことが嫌いになった。

わたしがこんなに愛しているというのに、
ちっともわたしのほうを振り向いてくれない。

浮かれているのが好きだというみたいで、
わたしの言うことを聞いてくれない。

べつに地獄を披露するわけじゃないが
悩みは遠い遠い世界のことだという。

でも、わたしは知っている。
みんなはそんなことを信じてないことを。


  突然あなたのことが嫌いになった。

わたしがこんなに愛しているというのに、
あなたは子犬とばかり遊んでいる。

わたしは心のそこから楽しんでいるというのに、
あなたは退屈で退屈でつまらないと言う。

べつに愛を知らないわけじゃないが、
愛はもっと熱烈で夢のようなものだと言う。

でも、わたしは信じている、
あなたはそんなことを信じてないことを。







二十代なかば、いっとき定職につかず、実家で親に頼って生活していたころ。
ある日、縁側でひなたぼっこをしながら、ぼんやりとしていたら、
農作業を終えて家に帰ってきた母が、何か言いたげな表情でわたしに近づいてきた。
日頃から私のだらしない生活態度に、母が激しい不満を抱いていたのを知っていたので、
そのとき、わたしはある小説の中の一会話を頭に思い浮かべていた。
母はにが笑いを浮かべて言った。
「考えごとなら、体を動かしながらしたら。」と。
わたしはもっともだと思った。
それが正しいことなのか、正しくないことなのかはべつにしても。
それよりも、母がなぜ、わたしの反論を予測したかのようなことを言ったのか不思議だった。
神に誓っても言い、母はその小説の事を絶対に知らない。
わたしはそのとき自然と笑みが浮かんでくるのを覚えた。





人はいつも何かを信じようとしている。
人は何かを信じなくては生きていけない。
人はどんなにつまらないことでも信じることができる。

人はいつも何かに熱狂しようとしている。
人は何かに熱狂していなくては生きていけない。
人はどんなにつまらないものにでも熱狂できる。

いまはどんなにつまらないことを信じ熱狂しても誰も非難しない。
いまは人をつまらないことばかりに信じ熱狂させようとしている。
いまはつまらないことを信じ熱狂している人だけを大切にする。






世界の本質は何一つ変わっていなかった。わたしたちの生活が、
科学技術の発達によって、どんなに豊かになっても、世界は、
飢餓を、貧困、略奪を必要としていた。わたしたちが、
その到来を、真理であるかのように、平和を、自由を、平等を、
そして博愛を、どんなに声高に叫んでも、世界は、
戦争を、抑圧を、差別を、そして犠牲を必要としていた。わたしたちが、
どんなに輝ける光を、創造を勝利を、そして成功を夢見ていても、世界は、
闇を、破壊を、敗北をそして失敗を必要といていた。わたしたちが、
どんなに、賢いものを、備わっているものを、器用なものを、そして役に立つものを称賛しても、世界は、
愚かなものを、欠けてるものを、不器用なものを、そして余計なものを必要としていた。わたしたちは、
どんなに善を、健康を、良薬を、喜びを、優しさを、そして生を望んでいても、世界は、
悪を、毒を、悲しみを、病気を、暴力を、そして死を必要としていた。わたしたちは、
親が自分の体を犠牲にして自分の子供を守ることを美しいと言う。わたしたちは、
電気がプラスからマイナスに流れることを物理学の法則にしたがっていると言う。わたしたちは、
強いものが弱いものの肉を食らうことを自然のおきてに従って当然と言う。わたしたちは、
わたしたち人間が小さな生き物からサルをへて現在の人間になったことを進化と言う。わたしたちは、
科学技術がとどまることなく発展することを必然と言う。わたしたちは、、
わたしたちの周囲に便利で快適なものが溢れていることを進歩と言う。
だが、わたしたちはその一方で、なぜかこのような自然や法則や当然や進歩や必然に反することを
世界のありとあらゆるところで目撃している。たとえば、
生まれつき手が不自由な少女が、あなたの将来の夢はたずねられ、早く大きくなって母親の手助けをしたいと答えるとき、
わたしたちは、この地球上で人間から発せられた最も美しい言葉を聞いたことになる。たとえば、
わたしたちは、必ず負けることがわかっていても戦わなければならない人々のことを知っている。たとえば、
わたしたちは、自分の子供を守るために、肉体だけでなく魂をも犠牲にする母親たちがいることを知っている。たとえば、、、、




小学校低学年のころの絵の時間。
肖像画にしても風景画にしても、たいていの場合、先生は、えがいている途中にわたしの絵を見て、うまい、よく描けていると言って誉めてくれた。
しかし、そんな時はいつも、なぜか完成に時間がかかった。かりに完成したとしても先生は以前にようには誉めてくれなかった。
というより、むしろ、完成した私の絵を見て落胆の表情さえ浮かべることがあった。
いまにして思えだ、少なくともわたしは、先生が誉めるまでは、夢中で自由に何も気にすることなく描いていたような気がする。
 そのうち、高学年になるにつれて、うまく描くことや、誉められることを意識するようになり、また他の人の描き方を気にしたり他の人と上手下手を比べるようになって行った。
そして、それと並行して誉められることもなくなって行った。そのうち、絵を書くことが苦痛になって行った。
いまでは絵は苦手なものになっている。




神様お願いです。どうかわたしの悩みを聞いてください。
実はわたし、ほんとうは賢くてきれいな女性が好きなのです。
でも、実際に好きになるのは、いつも不細工でバカな女なのです。
どうしてなんでしょう。私にはさっぱりわかりません。
そこで、お願いです。死ぬまでに一度で良いから賢くて、
きれいな女性を心のそこから好きになりたいのです。
そのためにはわたしはいったいどうすれば良いのでしょう。
「、、、、、、、」




     暇で暇で何もしないでいると頭が変になりそうなので思いつくままに

交通渋滞にも負けず
通勤ラッシュにも負けず
ベルトコンベアにもテレビ画面にも負けない
ロボットのような体と神経を持ち
欲は人並みに持ち
決して上の者には逆らわず
みんなのため、自分のためと
よく働き、そしてよく遊び いつも仲間と明るく笑っている
なによりも健康第一と考え

地球上にありとあらゆるの料理を食べ
年に一回は国際交流のために海外旅行に出かけ
盆とお正月は家族を連れて田舎の親元に帰り
休日にはボランティアとスポーツに励み
大人の義務として社会や政治には特別の関心をもち
意見を求められたらいつでもはっきりと言えるように
新聞や週刊誌をよく読んで知識を身に付け
銀行からはたくさんのお金を借りて、町から少し離れた
二十一世紀なんとか、というところにマイホームを建てて
東に勉強のできる子があればもっともっと勉強して良い大学に入り
そして、その後は良い会社に入ることを薦め
西に金遣いの荒い娘を持つ母親がいれば
国の経済に貢献しているのだから、心配しなくても良いと言い
南に死にそうな老人がいれば、だいじょうぶ死ぬまで生きられるように
国が面倒見てくれるかに、不安がることはないと言い
北にトラブルや交通事故を起こしたものがあれば
どんなに間自分が悪くても決して誤ってはいけないと言い
たとえ会社が倒産しても、仕事は他にもいっぱいあるはずと
失業保険をもらいながらゆっくりと次の仕事を探し
みんなからは頼りになり人としたわれ
かといってそれほど目立ちもせず
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ


   ナレルワケナイジャナイカ


                  賢治さん茶化してごめんなさい




夕暮れ時。一歩前に足を踏み出したわたしに向かって、周りの人々は手をたたいたりはやし立てたり。するとわたしはなぜか歩みを止めてしまった。落胆の声を聞きながら。この幻影は本にかかれてあった他人の体験の記憶なのか、それともわたしの幼いころの思い出なのが、わたしにははっきりしない。




         もうひとつの幻影 三四歳のころか。ある日の夕方母に連れられて、とぼとぼ歩いて、五六キロはなれた祖母の実家に泊まりに行った。その家には祖母の子供のいない姪夫婦が住んでいた。なぜ母と二人で、どんな理由で泊まりに行ったのか、いまだに判らない。ただ次の日の朝、家に帰るとき、次のように母に聞かれたような気がする。「もっと、こっちのうちに泊まっていくか?」そのとき、わたしは即座にきっぱりと、「いやだ。」と答えたような気がする。普段は恥ずかしがり屋であまりはっきりとものを言わないわたしが。わたしにはそれが本当にあった話なのか、それともわたしが頭が勝手に作り上げた幻影なのが、わたしには依然としてはっきりしない。




風もなく、暖かく、まぶしすぎる春の日差し
かやぶき屋根から滴り落ちる雪解け水
永遠の静けさと倦怠
無限の退屈と閉塞感
十五の春わたしは田舎から抜け出すことを決心した





小学生の頃はほめられることに不安と恍惚を覚えました
中学生の頃はぜんまい仕掛けのロボットのようでした
十代後半は夢遊病者のようでした 二十代は罪人のようでした

三十代はようやく自分もなんとか生きていけそうに思いました
四十代、ようやく自分の言動に自信がもてるようになりました
五十代、ようやく自分がどのように行動すべきかが判りました。






夏の本当に暑い昼下がり
ぼぉっとして交差点に立っているときに
ふと頭に浮かんだことです
わたしが生まれ育った村のような町には 五つの小学校がありました
だも中学生になると、その村のような町の中心部にある、ただひとつの中学校に全員が通うことになっていました。
そこでは、それまで見たこともないような様々な人間を見ることができました。
そこには今までに見たことないような美しい女性徒や、わたしよりはるかに頭の良い者もいました。
だがそれと同時に、スイカやキュウリやマツボックリや火星人やキツネや鶏のような顔をした者やかつて見たこともないような大マヌケもいました。





三十年ぶりに自転車を買った
過去に逆行するかのように走った
風を切るスピードを増せば増すほど
三十年前の自分に近づくのがわかった





どうやらこのぼんやりとした信頼が
わたしを支えているらしいのだが
その逃れられない確信がわたしに違いない
建物があって、花があって、鳥があって、空があって
太陽があって、木があって、わたしがあって、草があって

わたしはアフリカの飢えた子供でもなければ
十字砲火にさらされて逃げ惑う兵士でもない
いけにえにされるインカの少女でもなければ
濡れ衣を着せられ切腹を迫られる侍でもない
ましてや狼につけねらわれる小鹿でもなければ サバンナに産み落とされたインパラでもない

わたしは間違いなく人間の形をした生き物なのだ
その指先には、八歳のときに切りつけた傷があり
首筋には十五歳のときの手術のあとがあり
そのほかにも体中のあちこちにさまざまな傷跡が残っている生き物なのだ

わたしがいてあなたがいて
あなたを思うわたしがいて
わたしを思うあなたがいて
わたしを思うあなた、を思うわたしがいて
あなたを思うわたし、を思うあなたがいて
わたしを思うあなた、を思うわたし、を思うあなたがいて
あなたを思うわたし、を思うあなた、を思うわたしがいて
わたしを思うあなた、を思うわたし、を思うあなた、を思うわたしがいて
あなたを思うわたし、を思うあなた、を思うわたし、を思うあなたがいて
わたしを思う、、、、、、、、、、、、もう何がなんだかわからなくなっちゃったよ





     わたしの失敗は、だれかの成功
          わたしの挫折は、だれかの希望
               わたしの死は、だれかの生