二卵性双生児



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         はだい悠






 日曜の昼前、誰もがいなくなったかのような奇妙な静けさのなか、僕は冷蔵庫の牛乳で喉の渇きを潤おしたあと、いつものように階段を二段ずつ勢いよく上がった。妹の部屋の前を通りかかると、開け放たれたドアから部屋の中ほどに置かれたマンガ本が見えた。僕はそれを無断で持ち出すと、自分の部屋に入り、鉄アレイを枕にして、床の上に大の字になった。ベッドよりも伸び伸びとして、しかもひんやりとして気持がいいからだ。そしてマンガのページをめくった。そう言えば、家の中をトランクス姿で歩きまわるのは僕だけだ。小さい頃から、冬の寒いときでも、Tシャツ一枚ですごしてきていたぐらいだから、梅雨前の暖かい日にはこれで充分なのである。父や母や妹も、こんな僕の格好が気にならないらしく、なんにも言わない。ときどき特別に寒い日などに、母が、風を引くわよ、などと言って、僕の薄着を気づかってくれるぐらいで、僕のだらしなさを責めるようなことはまったくない。だから僕は、体操部で鍛えに鍛えた僕の肉体が美しすぎるから誰も文句はを言わないのだろうと思いたくもなる。まあ、これはちょっと僕のうぬぼれすぎだろうが。
 それでは僕以外の家族の者が、一年じゅう朝から晩まで身なりがきちんとしているかと言えば、そうでもない。特に夏の暑いときなど、寝る前になると、父は風呂上りパンツ一丁で歩きまわるし、母も妹も風呂場の戸を半分開けたまま入るし、みんなそのときだけは僕のようになり、お互い何も気にしない。

 マンガはちっとも面白くなかった。ただなんとなくページをめくって、ぼんやりと目を向けているという感じで、少しも印象に残らなかった。そのうちに前々から思い悩んでいたことが意識の大部分を占めるようになった。それはクラブ活動の体操部をこのまま卒業まで続けるべきか、それとも自分の能力に見切りをつけて今のうちに辞めるべきかということである。
 高校に入って今日までの一年ちょっと体操をやってきて、僕は肉体を鍛えることは順調に行ったが、技の方はいまいち上達しなかった。今年は入ってきた後輩にも、技によってはわずか二ヶ月で先を越される始末で、なんとも情けない。才能がないことは入部して一週間後には周りの同級生を見てはたと気づいたのだが、辞めるきっかけがつかめず今日までなんとか惰性でやってきたのである。しかし、他の者とは日を追って実力の差がどんどん開いていくだけでなく、後輩からもあっさりと追い抜かれていく今、べつに、正選手でなければやっていても意味がないと思っていたわけでも、ましてや、オリンピック選手を目指してやっていたわけでもないが、このまま続けていてもしょうがないような気がする。進学のことを考えるともう少し勉強に励まなければならないし、今こそ決断のときではないかと思う、今のままでは皆中途半端になってしまうような気がする。だが、辞めるにしても、その前にやっておきたいことがある。それは鉄棒のフィッシュのとき、少なくとも一回転、もしくは一回転半ひねりを成功させたいのである。
 鉄棒の大車輪のとき、僕は頂点まで上がりきった体を時計の振り子のように振り下ろして、自分の体が徐々に勢いを増して、床に近づいていくとき、なぜか異常と思われるほど恐怖を感じるのである。それは恐怖のあまり気を失って、手を離してしまうんではないかという不安をはらんでいる。特に一度背面をやったときになどは、このまま床に叩きつけられて死んでしまうんではないかと思われるほどの恐怖を感じたことがあり、それ以来二度とその練習をやらなかったほどである。このため僕は、いまだに鉄棒から手を離し、技を決め、着地をするというフィッシュの姿勢のイメージがほとんどつかめないのである。そのため今までの練習はいつも、とにかく恐怖感から逃れることだけに全精力を使い果たしてしまうあまり、フィッシュには何の技も付け加えられずに、ただブラッと惰性に任せて体を放り出すだけで。なんともしまらない終わり方をしていたのである。
 このままフィッシュを満足に決められないまま終わりたくないのである。今まで僕は先輩のアドバイスもあって、何度かイメージトレーニングを試みたことがあった。皆から離れて一人静かなところで、大車輪の恐怖を乗り越え、鉄棒から手を離し、一回転と同時に反ひねりを加えながら。しっかりと着地している自分の勇姿を思い浮かべようとしたのである。しかし、どうしてもうまく行かなかった。なぜなら、そんなときでさえも、大車輪での恐怖が今現実に体験している恐怖のように感じられて、それ以上イメージすることが出来なかったからである。

 僕はいちおう読み終えたマンガを横においた。そして目を閉じると、フィッシュでの自分の姿をイメージすることに集中した。しかし、やはり今までどおりでうまく行かなかった。それよりもなんとなく眠気を覚えた。それと同時にあいまいな快感に全身が包まれ、僕はペニスが通常より膨らんでいるのに気づいた。だがそれは決して硬くはなっておらず、ちょうど大きめのタラコがだらしなく横たわっている感じであった。僕はトランクスの中に手を入れてペニスの裏側をそっと手でなでるようにして体の中心線にそってペニスをまっすぐにした。もちろんただそれだけだ。オナニーをしようという気はまったくない。なぜなら、今までに昼間にそれをやった経験がないだけでなく、そもそも明るいところでやること自体が気分が乗らないというか、嫌いだからである。

 僕がオナニーを完全に覚えたのは中学二年の春だった。それはちょうど新しい家に移ってきて自分の部屋が持てた時期と一致する。もしかすると妹の存在が、僕がオナニーを始める時期を遅らせていたのだろうか。というのも、実は僕は、なんとなく恥ずかしくって友達には決して話さなかったのだが、中学一年まで、つまり前の家に住んでいたときは、部屋数が足りなかったために、妹と同じ部屋で寝起きしていたのである。それでそんな気にならなかったというのが、、、、しかし、それは偶然の様にも思える。なぜなら、すでに夢精は始まっていたが、どういうわけか、まだ性に対する興味がそれほどなかったせいか、それが何であるのかそれほど気にしなかったので、探求しようと思わなかっただけのことである。
 オナニーにまで発展するにはもう少し時間が必要の様であった。
 あるとき僕は、友達に、朝起きてみるとトランクスがおしっこを漏らしたように少しぬれていて、それが乾くとのりが乾いたようになると言ったら。あるものはニヤッとしながら、ふんトボケちゃってと言い、あるものはジィジィ、ズリズリとか、無表情で訳のわからないことを言い、またある者は、不愉快そうな顔をしてなんにも答えなかった。僕には何の事だかさっぱり判らなかった。だから、たいした事ではないと思い、それ以上問題にしなかった。そして、いつしかその事もを忘れてしまっていた。ところが自分の部屋が持てるようになったある日、僕はふとそのことを思い出し、どうしようもなく、そのとき友達が言った言葉や、そのときの表情の意味を解明したいという衝動にかられた。

 次の日から僕は、何かに取り付かれたように一心不乱に、まずは手元の辞書から始まり、家庭医学書、図書館の生理学書、そして大人の読む週刊誌へと、調べに調べ、約一週間で性に関する全容をはじめて理解した。しかし、具体的なオナニーのやり方はどの本にも書いてかなった。そうかといって、先輩や友達に聞く勇気はなかった。

 ある夜、眠る前にベッドの上で何もすることがなくてぼんやりしていると、ふと自力で覚えることを思い立った。今改めて思い直してみると、妹の存在がやはり何かしらの抑制力として働いていたような気がする。僕はペニスに刺激を与えると大きくなることは小さい頃から知っていたので、後はその大きくなったペニスに、さらにどのような刺激を加えるかということだけであった。僕は大きく、しかも硬くなったペニスを親指と人差し指ではさみ、少し圧迫しながら両指をペニスにそって歩くようなリズムで上下に滑らすように動かした。しかし、何の変化も快感もなく、気持はきわめて冷静だった。それでもさらに動かし続けた。すこし速めながら。それども何の変化も感じられなかったのでもう辞めようかな思ったその瞬間、突然、まさに突然だった。股間に爆発的な衝撃が発生し、それが快感となってペニスのほうに伝わったかと思うと同時に、自分の意志ではどうすることも出来ないかのように、強い脈拍のようなリズムで尿道から勢いよく何かが流れ出た。見ると透明の液体だった。僕は冷静な頭ですべてを理解した。その日以来僕は一日も欠かさず楽しみことになったのだった。

 ところが、たしかその日から、ニ、三日後だったと思うが、最初の異変が現れた。どんなに刺激しても、最初のときのような快感、つまり、あたかも他からの働きかけのようにして始まる、ペニスの中を何かが走り抜けるような快感を味わうことが出来なくなっていた。刺激のやり方を変えたりしても見たがどうしても射精にいたらなかった。動かす手を止めていったい何が起こっているのだろうかと思っていると、ふとあることに気が付いた。それは、もしかしたら僕は、勉強をしているときのような冷静な気持でオナニーをしているのではないかという事であった。というのも、僕の知っているオナニーに関する知識では、その最中は誰でもいやらしいことを思い浮かべて興奮しているということであり、たいていは女性のヌード写真が必需品であるという事であったからである。僕はその当時は、まだそんなものを部屋の中に隠していなかったので、それ以前にヌード写真を見たときのいやらしい気持を思い起こしながら、再びと手を動かし始めた。僕はひたすら目の前に裸の女性がいるかのように妄想をかきたてた。そして徐々に頭も体も興奮していき、やがて頭も体も目いっぱいいやらしくなり、妄想と興奮が頂点に達したかのように思われたとき、昨日までのような快感がよみがえった。しかし、以前とは明らかに違っていた。それまでの快感は局部的であったが、その時は全身的で、しかも、射精後は軽い虚脱感を覚えたが、奇妙な精神的な満足感を味わうことが出来た。

 その日から僕の新しいオナニー生活が始まった。ほとんど毎晩で、やみつきになった。そして以前よりもはるかに女性のヌード写真や下着写真に興味を持つようになっただけでなく、それらを積極的に収集するようになった。そして、昼は誰にも見つからないような場所に隠しておいて、夜ひそかに利用した。
 ところがそれからどのくらい経った頃だろうか、あるとき、それまでのやり方では射精がスムーズに、成功しなくなってきていることに気づいた。つまり、どんなにいやらしい写真でも、何度も使っているとだんだん興奮させなくなってきている、ということである。僕はなぜそうなるのか、いまだにその理由ははっきりとは判らないが、たぶん慣れてきたからではないかと思っている。そこで僕は新しい写真を手に入れた。新しい写真は新しいステレオのように僕をひきつけた。そして、新鮮な興奮を呼び起こすのに十分すぎるくらいの役割を果たした。ところが、しばらくするとその写真も前の写真と同じ運命をたどるようになった。結局初めのうちは興奮させるが、そのうち慣れてくるとなんとも感じなくなってくるということの繰り返しの様である。  

 それで今では、見向きもされなくなった写真が隠しきれないほどにたまっているのである。まるで消耗品のようだ。ところで最もあきやすいのは、最も入手困難なずばりそのものの写真だ。そしてその次にヘアーヌード、普通のヌード、水着もの、下着もの、そして最後に衣服がはだけたものと、だいたいこのような順番の様である。ずばりそのものは、やっても一度きり、ヘアーヌードもせいぜい一、二回、他のものの数回に比べて明らかに寿命が短いのである。要するに露出度が高いものほどあきやすいのである。本当にヘアーヌードというものはつまらない。正直言ってちっとも妄想が掻き立てられない。股間に黒い毛虫をはわせていったいなんだと言うのだ。妹のヘアーヌードといったいどこが違うというのか。実は僕は妹のヘアーヌードを今までに何度も見ているのだ。妹は開けっぴろげだから、よく風呂上りにバスタオルを巻いただけの姿を廊下の鏡に映してみているときがある。そして妹がバスタオルを巻きなおしたりするときに、僕が偶然にも通りかかったりすると、いやがうえにも妹の全裸を見てしまう。そして最初に目がいくのは股間である。しかし、僕にとっては、そこは刷毛の毛先のような黒い三角地帯に過ぎない。ついでにオッパイのことをいえば、けっこう大きいがおわん形をしていてあまり形が良いとは思えない。たぶんヌードモデルにはなれないと思う。

 このように僕はオナニーのときいつもいやらしい写真のお世話になっていたのであるが。でもそうかといって写真ばかりに頼り切っていたわけでもない。あまり調子が出ないとき、それまでのやり方を帰ると、初めての体験のような新鮮な気持ちになれて、俄然興奮することを覚えた。たとえば、右手でやっていたものを左手に変えるとか、順手でやっていたものを逆手に変えるとか、刺激する部分や刺激する強さやリズムを変えるとか、などなどである。そしてそれを色々と組み合わせたりして、自分でもテクニシャンではないかと思えるほどに腕を磨いたのである。しかし僕は、某先輩のように食べ物やコンドームを使うことは嫌いだし、オナニーについてあけすけに言うのも嫌いだ。ましてや、人前で平気でやるようなことは本当に嫌いだ。僕は隠し事のように独りでこっそりと楽しみたいのだ。

 このように写真をもとに色々と技を編み出しながらも、その一方では、もちろんエッチなマンガやテレビのベッドシーン、そしていやらしい小説でも充分すぎるくらいに使えることを発見した。みんなそれぞれに趣があって、僕にはなぜそうなのかは判らないが、興奮の度合いと質が違う様である。だからまだ見たこともないアダルトビデオはもっともっとうまく気持ちよくいくに違いないと思っている。本当に楽しみである。
 ところが最近また新しい変化に僕は気づいた。それは、町を歩いていると、ごく普通な女性のごく普通な姿や仕草に、僕の妄想は掻き立てられ、真昼であろうが人前であろうがとんでもなくいやらしい気持になるのでいる。そしてそのことを夜になって思い起こして、写真やエッチマンガに劣らぬくらいに、いやもしかしたらそれ以上に興奮することが出来るのである。たとえば、服装が派手で、美人でスタイルがよくてミニスカートをはいたお姉さんたちはそれはそれで申し分ないのだが、それよりも女子高生がはくような自由に広がったスカートではなく、お尻が締め付けられ少し窮屈そうに歩かなければならないスカートをはいたお姉さんたちに、何故かひときわ妄想が掻き立てられる。そのとき、ちょっと変な話しではあるが、穏やかな気持でいやらしくなれるので爽快感さえ伴うほどである。具体的に言うと、昼休みなどに見かける制服姿のお姉さんたちはたまらなく良い。そしてその中でも特に女子銀行員は格別である。しかし、こんなことを言うときっと変態に思われるかもしれないが、本当のこと言って僕は、オーエルや女子行員の制服姿よりも、とてつもなく僕をひきつける制服姿があるのである

 それはよくヘンタイ漫画に出てくる看護婦さんでもスチュワーデスでもない、それは婦人警官である。それもなりたてで、どことなく不安そうで、そして一見厳しそうではあるがどことなくやさしそうで、そして一見真面目そうではあるがどことなく話がわかりそうで、そして一見しっかりしていそうではあるがどことなく頼りなさそうな婦人警官である。そんな婦人警官のそばを通り過ぎるだけで僕は、それがまるで人生最大の喜びであるかのように、猛烈な勢いで空想の世界に入ってしまうのである。

 とっさに僕は思い浮かべる。何か悪いことをして彼女に手錠掛けられている自分の姿を。そして、どこかに連れて行かれる。しかし、つれていかれた場所には、なぜか僕と彼女しかいない。しかもそこには鞭とか鎖とか、僕を拷問しようとする道具が備えてある。そこで僕は野良犬のような卑屈さで犯した罪をわび、必死に彼女に許しを請うが、彼女は絶対に許そうとしない。床に額をこすりつけるようにして何度も何度もお願いするが、彼女は冷たい笑みを浮かべて頭を横に振るだけ。それで僕は彼女の美しい両脚にしがみつきながら、あなたの望む事はどんなことでもしますからどうか許してくださいと言い、そして彼女にひれ伏すように彼女の靴に顔をうずめる。すると彼女は僕に裸になれと言う。そして裸になって、彼女が要求することを僕がやったら、彼女は僕を許すという。その上ご褒美として、そのあと僕が彼女にしたいこと、どんな事でもしても良いと言う。そして、その彼女の要求とは、、、、ああ、僕はおかしい、僕は本当にいやらしい、こんな事は人には絶対にいえない。もし言ったらきっと変態だと思うだろう。夜その妄想を利用する事は本当に変態になりそうで怖いくらいだ。だから今までにまだ一度しか利用していない。どんなことをしても興奮しないときのために、大切な宝石のように頭の片隅に取っておくのだ。


 階段を軽やかに駆け上がってくる足音が聞こえてくる。妹だ。ちょっと間を置いて、「オーニー」と、普段よりもやや声高に言いながら入ってきた。僕にはそれがオナニーと言っているようにしか聞こえないのだが、妹はまったく気になっていないらしい。なにしろ妹は、僕が性に関してはもう大人なのに比べて、まだ小学生並みだからだ。
 僕は少し不機嫌そうな気配を感じたので、たぶん無断でマンガを持ち出したからだと思い、薄めでチラッと見たあと、寝たふりを決め込んだ。

 妹はまるで小学生のように短いスカートをき、髪は二つに分けて耳元で結んでいた。妹は寝ている僕の脇にくると、僕の腹の上に片足をおいて、いつもより早めにしかも目いっぱい体重をかけてきた。そこには少しお仕置きの意味があったのだろう。僕は腹筋に力を入れるタイミングか遅れて、おもわず苦しそうに、うっと声を漏らしてしまった。妹が僕の体を踏みつけるとき、僕がその重みに耐えられるように準備をしてから、妹が体重をかけるのが、僕たちの約束事になっていた。いつ頃からそうなったのかはハッキリと覚えていないが、僕が寝そべっているときに妹がパンティが見えてもかまわないといった風に、僕の体のどこかに片足をかけて踏み越えていくようになった。僕はそれを嫌がるどころか、むしろ楽しんでいるかのように受け入れていたので、いつしかそれが習慣のようになり、そのうちに、二人にとってはなくてはならない大切なコミュニケーションのひとつになったのである。

 他の双子の兄妹の関係がどんなものかは知らないので、僕たちの関係が普通なのか異常なのかは判らない。でも僕には、妹と喧嘩らしい喧嘩をした記憶がないので、もしかしたら本当はとても仲が良いのかもしれない。そう言えばスキンシップは他の兄妹とはも比較にならないくらい激しいかも知れない。なぜなら僕たちは小学二年まで同じ布団で寝ていたし、その後も暇さえあれば布団をはさんで上になったり下になったりして遊んでいたし、少なくとも中学までは多少僕のほうが手加減しながら、相撲やプロレスをやっていたし、つい先日もブリッジをして妹を腹の上に載せ、上下に揺さぶりながら体力自慢をしたことがある。

 僕を踏み越えると妹は、まだ、見てないのに、と小声で言った。僕は帰りにもう一度踏まれるような気がして、今度は腹筋に力を入れる準備をしていた。ところがまったく予想もしなかったところにいきなり重みが加わった。いったい何が起こったのだろうかと思い僕は薄目を開けて見ると、妹が僕と向き合うように僕の体をまたいでマンガを見ていた。しかも、いったい何を考えているのか、妹が座っているところ、つまり妹がお尻を下ろしている所は、僕の腹の上ではなく下腹部である。そのうえ先ほど僕が手のひらで真っ直ぐにはわせたペニスの真上にである。五十キロもあるものが、でこぼこのある体の上に乗ったのなら、本来どこかの部分に重みが偏ってかかり、このような場合は、たとえば普段よりも膨らんでいるペニスなどであるが、それによって苦痛を感じても不思議ではないのだが、ところが偶然過ぎるくらいに少しの苦痛も違和感もなかった。むしろその具合いの良さが気持ち良いくらいで、動く気にもなれないほどである。それは妹と僕のへっ込んだり出っ張ったりしている部分が、二枚貝のようにピッタリと合わさっているために、重みが下腹部全体に分散され均等にかかっているためである。それはまた、僕の体の中心線と妹の体の中心線がぴったりと合っているということでもある。つまり僕のペニスのふくらみと妹の性器の割れ目がその方向にそってピッタリと合わさっているということである。

   下腹部全体に暖かい圧迫感を覚えながら僕は考えた。母親のおなかに入っていたとき、僕と妹は、かつて学校の友達がひやかして言ったように、お互いの股間に顔をうずめていたのか、または今のように向き合っていたのか、それとも背中あわせになっていたのかはもう知る事は出来ないが、でも、もし今のようになっていたのなら、たとえ薄い布二枚をはさんでいるとはいえ、性器を密着させているのはそのとき以来であると。
 しかし、僕はいっこうに暖かい圧迫感以外の何物も感じなかった。つまり、僕のペニスにも気持にも何の変化もなかった。それよりも体全体が急に軽くなったような浮遊感と共に、精神の充実感を覚え始めた。そして、先ほどまで何度も試みては失敗していた鉄棒でのフィッシュでのイメージが沸騰するようにわき起こってきた。そのイメージの中で僕は、大車輪のときの恐怖を乗り越えて、鉄棒を離し一回転したあと、床をしっかりと捉えて着地に成功していた。僕はもう一度試みた。前よりも美しく成功した。次にひねりをくわえた。それにも難なく成功した。それと同時に気持ちはいつになく高揚して行った。

そのとき階段を上がってくる足音が聞こえてきた。母のようだ。すると急に下腹部の圧迫感がなくなった。妹が立ち上がったようだ。      







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