ほんとにあった恐い話
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真善美
サナダムシ
その冬の日、空腹だった私は、インスタントラーメンを作り、コタツに入って食べていた。
コタツの上にはふだんのようにネコが寝ていた。食べ終わった私はなにげなく手に持っていたどんぶりの脇に目を転じた。
するとそこに幅三ミリ、長さ五ミリほどのちょうどラーメンの切れ端のようなものが落ちていた。
私はてっきり食べている間にラーメンが飛び散ったのかと思い、私はそれを食べても良いし、どんぶりに拾いいれても良いやという様なあいまいな気持のまま箸を伸ばした。
そして、近づいた箸で今まさにそのラーメンの切れ端をつまもうとしたとき、それが急に倍の長さにまるで生き物のように伸びた。
私は冷静ではあったが何が起こっているのかとっさに理解できずにじっと見つめているだけだった。
そして私は考えた。暖かい箸を近づけたから、冷え切ったラーメンの切れ端が膨張して伸びたのかと。いやそんなはずはない、それくらいで倍も伸びるはずはないと。
それでは何と。そのとき寝ていたネコがもぞもぞと起きだした。
まさか、サナダムシが、俺はもうちょっとのところでネコのサナダムシを食べようとしていたのかと思うと、私はその奇跡を神様に感謝せずには居れない気持だった。
トイレ
それは大学受験のときだった。わたしは次の日の試験に備えて地元から遠く離れた旅館に宿を取った。他にあまり客は居なく静かで落ち着いた感じがよかった。それはそれでよかったのだったが。その晩、わたしは寝る前に、ごく普通にトイレに入った。ところがちっとも普通でないことにまもなく気づいた。鏡に映った自分の顔をまじまじと眺めながら小便をしていたのだった。なぜこんなところに鏡があるのだろうと、不思議に思いながら何気なく下のほうに目をやると、なっ、なんと、わたしが放尿しているところは、使用後に手を洗う洗面台だった。わたしは急いで本当の便器のところに移った。誰にも見られなかったことが、本当に幸運だったなと思いながら。
トカゲ
空は澄み渡り、さわやかな風が吹く午後、私は何かをしているのはもったいないような気がして、勝手に授業を切り上げ、自転車に乗って学生寮に戻ってきた。
誰もが外から自由に出入りすることが出来るような開放的な長い渡り廊下を、自転車を押して歩いていると、目の前にどんどん近づいても身動きもせず、逃げようともしない一匹のトカゲか現れてきた。
五十センチ手前で私は悪戯心を起こした。トカゲの尻尾を自転車のタイヤでふんずけてやろうと。私はそっとタイヤを近づけ、その無造作に投げだされた尻尾の先に乗せた。
すると、その瞬間、尻尾が五センチほどの長さになって、痙攣するように勢いよく飛び跳ね始めた。
私の目は、それがトカゲの全存在であるかのように、釘付けとなった。体は硬直し身動きが取れず、髪の毛を逆立てるほどの全身を吹き抜ける冷たい風を感じながら。
私は十秒ほど身動きが出来ずにいたろうか。
やがてそのトカゲの尻尾の動きが穏やかになるにつれて、私の肉体も魔法から解けたかのように動くようになった。私は少し落ち着いてきた頭でそれがトカゲの尻尾であることを確認しながら、当たりを見まわした。
だがトカゲの本体はもうどこにもなかった。話には聞いていたが、これがトカゲの尻尾きりかと思いながら、わたしは歩き始めたが、冷や汗と激しい動悸はしばらく続いていた。
病院
学生のとき、私は病院で宿直のアルバイトをしたことがあった。
その門限も過ぎ消灯になると、病院内はさすがに無気味な静けさに包まれる。でも私は与えられた部屋でテレビを見ているのでいつもほとんど気にならなかった。
ある夜十二時過ぎ、私は、隣が病室になっていたので、それまで出来るだけ音を小さくして遠慮がちにつけていたテレビを消して寝ることにした。布団に入ってしばらくすると女の泣くようなうめくような声がどこからともなく聞こえてきた。
私はぎくりとし耳を疑った。でもまぎれもなく女の声だった。それは隣の病室のほうからだった。悲しそうな声だった。私は空耳であることを願った。でもいっこうにやまなかった。
たしかに隣室から聞こえてくる女の悲しそうな泣き声だった。病院で死んだ女のたたりか怨念なのかなと思った。
私は恐怖が頂点に達しようとしていたとき、不思議なことに、その一方で急激に冷静になっていく自分が判った。
その声があまりにもはっきりとしていた為に、これは何か現実的なトラブルが隣室の患者の身に起こっているに違いないと思ったのであった。
私はもう平静さを取り戻していた。病室に入っていくと、患者である中年の女性は泣き止んだ。
話しによると、家族から離れて病室で一人居る寂しさや恐さに耐え切れずに泣いたということであった。
それも隣に人の気配やテレビの音がしているうちはまだ良かったが、それが何にもしなくなると急に不安感や恐怖心が増したというものであった。
つまり、わたしが夜更かしをして物音を立てていたことが、女性を不安感や恐怖心から救っていたということであった。
ミミズ
その日は、朝から何もすることがなく、ずっとぼんやりしていた。でも、どんなに静かにしていても喉は渇く。わたしは水飲むために流しの前に立った。するとシンクの底に十センチほどのミミズが這っていた。きっと排水溝からさかのぼって来たに違いないのだ。何メートルも、必死に。思いがけないことで理性的な判断が出来なくなったわたしは、その得体の知れない小さな生き物を威嚇するかのように、シンクを手で叩いた。するとミミズは急に進路を変え、それまでよりも何倍もの速さで、シンクの排水ロのほうに向かってまっしぐらに這い始めた。まるで自分が侵入者であることを自覚しているかのように。わたしはそれを機に蛇ロを回した。 そして、あのミミズがもう二度と這い上がってくることがないようにと、しばらくの間水を流し続けた。
サンダル
夏も盛り、その日は朝から暑った。午後になるとさらに暑くなった。
何にもやりたくないような、何にも考えたくないような暑さだった。だから私は生きているのかも死んでいるのか判らないくらいにポォッとして過ごしていた。
でも夕方になると少しは涼しくなってきた。そこで私はさらに涼しくさせように玄関と庭先に大量の水を撒いた。陽が沈みかけてきた頃、私は散歩に出かけた。
私は町の刺激的な賑わいに触れても、午後の無気力な気持を引きずったように相変わらず頭はボォッと何も考えられない状態だった。
やがて町全体が薄闇に包まれた頃、私はぼんやりとした気持で帰ってきた。
そして、ほの暗い玄関のドアをあけるた。すると、先程履いて出て行ったとばかり思っていたサンダルがいきなり目に入ってきた。
私はめまいを覚え、困惑し、そして目を閉じて思った。
ほんとうは私は外出などしていなかったのだ。この私は幻なのだ。本体はまだ部屋に居る。だからこんなにもぼんやりとした気持なんだ。
いや、もしかしたらわたし自身がここにはいないのでは、もうとっくにこの世に居ない存在なのでは、と。
だが私はかすかに残っていた理性の力を借りてそのサンダルに目を近づけた。そして目を凝らしてじっと見た。
次の瞬間、私は全身の力が抜けるくらいに安堵した。それは夕方に撒いた水が乾かずに残っているサンダルの形をした水の後だったからだ。
刺青
よく銭湯を利用していたころ、私は冬には、保温ということもあり、浴場を出るとき、冷たい水を二、三杯かぶることにしていた。
あるとき、いつものように気を引き締めながら、桶で冷たい水を体にかけていると、二メートルほど後ろのほうで体を洗っていた男から、「ばかやろう、冷たいじゃないか。」と、私に激しい怒声が飛んだ。
私はそれまで周囲に冷たい水しぶきが飛ばないように気をつけていたつもりだったが、どうやらその男にかかったらしかった。
私はとっさに「すみません。」と言ってその男のほうに目を向けた。見るとその男の筋肉質の背中にはまずまずの刺青が彫ってあった。
静か過ぎる住宅街
周りが普通の家庭に囲まれた、ごくありふれた木造二階建てのアパートに、私は毎日を何もしないでだらだらと過ごしていたことがあった。
あるとき後ろの方の家から、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。新しい生命が誕生したのだ。
そのうちに家の前に鯉のぼりが高々と上がった。
それまで何度か、近所からきっとお嫁さんと呼ばれているに違いない若い女性を交えた和やかな会話が、その家から流れてくるのを耳にしていて、幸せそうな穏やかな家の雰囲気が伝わってきていたので、私まで幸せな気分になるくらいだった。
特に木々の新緑を揺らしている五月のさわやかな風になびく鯉のぼりを目にしたときは、私だけでなく、住宅街全体を希望と生命感に満ち溢れたものにしているように感じられた。
それから二、三ヶ月後、今度は、前の方の家からも赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。私は前の家にも若いお嫁さんが来て間もないということが、時折見かけたことがあるその家族の雰囲気からなんとなくわかっていたので、その声を聞いて私は前のときと同じような感動を味わうことができた。
それからどの位経ったろうか、人の話し声も、車の走る音も聞こえないような静か過ぎるあるとき、私はこれは何事かと思うような怒鳴り声を聞いた。女の、しかも若い女の、尋常でない、甲高い、ヒステリックな。
少し間をおいて、私は、その声は、後ろの方の家の若い母親から、その幼な子に向かって発せられたものだということが判った。それまでは何度か幼な子の泣き声や、優しく叱る声は耳にしていたのだったが、でも、
「テメエいいかげんにしろよ、いつまでも泣いてんじゃないよ。」とは。
その後、再び、いつもの静かな住宅街に戻った。
それから二、三ヶ月たったろうか、今度は、前のほうの家から、同じような怒鳴り声が、前にも勝るとも劣らず激しく聞こえてきた。
「何いつまでも泣いているんだよ、言うこと聞かないと、どうなるか判ってんだろうな。」と。
その穏やかな住宅街にはあまりにも不釣合いな若い女の怒声が。
それは一瞬であったが、周囲があまりにも静か過ぎるためか、街じゅうに響き渡ったような気がした。
そして再び何事もなかったかのように住宅街は静かになった。
空き巣
そして同じ頃、私は毎日を何もしないでだらだらと昼前まで寝ていることがあった。
あるときわたしは、玄関のドアノブをカチャカチャと動かす音でぼんやりと目覚めた。大家だろうかと思った。
でも、もし大家なら。わたしがずっと部屋に居ることは知っているはずだから、何か用事があったのならドアをたたいて声を掛けるはずだと思った。
もしかしたら、これは不法侵入者、いわゆる空き巣かなと、急激に目覚めた頭で思った。いったいどうすればいいんだろうかと、わたしは混乱した。このまま寝た振りをしようかなと思った。でも泥棒が入ってきて部屋を物色しているときに、わたしが居ることに気づいたら、泥棒はきっと驚いてパニック状態に陥り、立場を失った泥棒と私との間に、なにか危機的な状態が起こるのではないかという気がした。それなら中に入ってくる前に止めなければと思った。
そこで私は布団から抜け出し、今まさに開けられようとしていたそのドアから三、四メートル離れたところに立った。今まさに起きたという感じで、眠気眼でぼんやりと。なぜ眠気眼でぼんやりかと言うと、侵入者がまだ泥棒とは判っていなかったし、もしそれが本当に泥棒なら、こっちがぼんやりとして居たら泥棒も、私の存在に気づいても、その保身のために、それほど興奮することはないだろうという半ば無意識的な計算が働いていたからだった。
ドアを開けて私の存在に気づいた泥棒は、それほど驚いた表情もせず、とっさに言った。
「下に水漏れがするということで。」
そう言いながら男は流しの下の扉を開けて排水パイプを調べ始めた。男はどこにでも居るような善良そうな三十過ぎの大人だった。男の表情とそのきっぱりとした言い方に、私は男が水道工事人であることを信じているかにように、その男の行為を見続けた。
そのとき私は本当に半信半疑だった。というのも、その男があまりにも事も無げで堂々としていたからだった。でも私は心の奥では深く深く疑っていた。たとえ寝起きであっても、どう考えても他人の部屋のカギをこじ開けて入ってくるような水道工事人はこの世には居ないと、はっきりと思い続けていたからだった。
でも、それでも、男がするがままにさせていたのは、その男の真の正体を知るために問い詰めたりして、事を荒立てると面倒なことになるなあと思う気持ちが大半を占めていたからに違いなかった。結局私は最後までその男の言動を信じた振りをしていたのだった。
「何も異常ありません。」
と言って、玄関から出て行くその男に、私は
「はい。」
と応えて送り出したりするしまつで。
そのすぐあとで、私は興奮気味に大家に水漏れの事実について尋ねた。勿論そんな事実はないということだった。そのときにはもうその泥棒の姿はどこにもなかったのだったが。果たしてそれで良いことだったのか、悪い事だったのか。
歯医者
その歯科医はわたしの歯の治療をはじめた。ところがすぐにロにたまった液を吸い取るパイプ(正式な名称は判りません)がわたしのロからはずれて床に落ちた。
医者は治療を続けながら歯科助士を呼んだ。だがなかなか来なかった。
医者はみるみる手荒になっていった。いらつき始めたのだった。再び読んだがまた来なかった。
わたしはその声の調子からどんなにいらだっているのかよかった。医者の手の動きは力強く鋭角的になり、器具が歯にあたって音をたてた。わたしは爆発しそうになった。そのとき歯科助士がやってきて、そのパイプを拾いわたしのロの中に入れた。
すると医者の手の動きはだんだん穏やかになっていった。そのときわたしは思った。「あれ、歯科助士は、パイプを洗ってからわたしのロの中に入れたのだろうか。そんな気配はまったく感じられなかったが。」と。
それはそうと、わたしは今まで、どの歯科医院でもそのパイプが交換されているのを目にしたことはない。
まっ、まさか、そんなことはないでしょうけど。
オバタリアン
わたしは長年住んでいたその町を離れなければならなかった。
二十キロのバッグと、二十キロのリュックを背負い。
だが、三週間前、十年ぶりに風邪をひいて、二週間前にどうにか治したばかりだった。
だから体力をほとんど失っていて、四十キロの荷物はかなりの負担だった。
昼前、ふらふらになりながらも何とか電車に乗り込んだ。
ほとんど客はいなくちょうど入り口のそばの席が空いていたが、わたしより先に乗り込んだおばさんがそこに座った。
わたしはその斜向かいに席があいているのがわかったので移動しようとしたが、わずか二、三メートルの距離の移動でさえ苦痛に感じるくらいだったので、わたしは行きかけた動作を中断して、入り口の前に立っていることにした。
次の乗り継ぎ駅まではたいした時間ではなかったので。
ところがそのとき、そのおばさんが突然わたしに「席を替わろうか。」と、話しかけてきた。
そして斜向かいの席に歩いて行って事も無げに座った。
わたしは素直に「はい。」といってその席に座った。
とにかく早く楽になりたかったからだ。
わたしは、たとい病み上がりで弱々しそうに見えていても、外見的には男としては身長が高いほうである。もし本当に疲れていて席に座りたかったとしていても、それでも誰が見たって二、三メートルというのは、座席を代わってあげるほどのほどの距離ではない、と思うはずである。
それに比べたらそのおばさんは、小太りの中年おばさんである。
もう少し見た目に忠実に言うと、狭い席に無理やりお尻を押し込んで座りそうな感じのするおばさんなのである。つまりテレビなどで盛んに笑い話のネタにされるオバタリアンのイメージにぴったりな女性なのである。
このときわたしは、この白昼のガラガラの電車の中で、何か不思議で、非常識な、しかもとても怖いことが起こっているとしか思えなかった。
黒猫
わたしが舗道を歩いていると、いきなり目の前に太った黒猫が現れた。
そして少しもためらうことなく車道に出ると、わき目も振らずに、その贅肉を震わせながら漫画走りで横切って行った。その二秒後車がスピードを落とすことなく次々と通り過ぎていった。
そこは車が頻繁に行き交う道路だったのだ。

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