新夢川物語




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          はだい悠






 夜になって降り続いた雨で、水かさを増した川は、水銀灯を反射して青白く光るその水面に、角ばった黒い塊を浮かべながらゆっくりと流れている。

 かつてこの川は、全国ニュースで取り上げられるくらいの汚れのひどいドブ川だった。
 長年の家庭の雑排水の流れ込みで、堆積物は腐敗しヘドロと化し、川底だけでなく、両岸の側面にへばりついたその青黒い塊は、夏はおろか冬でさえも悪臭を放つようになり、たとえ大雨が降っても決して洗い流されることはなかった。

その昔この川は、近くを流れる大きな川の分流として、流域の水田の用水路としての役割を果たしていた。そして再び大きな川に合流するまでの八キロあまり、幅五メートルほどのこの川は、なぜか農民から夢川と名付けられ、生き物の住めるきれいな水を流し続けながら、その有用さをいかんなく発揮していた。

 ところが流域の水田に住宅が建ち並ぶようになり、家庭の排水が流れ込むようになると同時に、周囲の水田は急速に姿を消していき、川は農業用水としての役割をまったく果たさなくなっていった。
 そして流域全体が住宅街になるころには、川は完全に汚水排水溝の役割を果たすようになっていた。やがて新興住宅街の真ん中を流れているという、評判のドブ川となるにはあっという間だった。

 だが数年前、各家庭の浄化装置が整備される共に、川の改修工事が行われ、それまでのヘドロはを完全に姿を消し、汚い水も流れ込むようなことはなくなった。
流れる水はきれいになった。もちろん、その昔のさらにその昔に流れていたに違いない、メダカやフナが群れ泳いでいたときのような清流とはくらぶべくもないのだが。

 改修された川は、新夢川と名づけられ、ところどころ川らしい工夫が施され、流量も上流で管理されてはいたが、三面コンクリート張りのため、生き物の姿を見かけることはなかった。そして雨が降った日には水かさが増し、天気のいい日には水かさが減るということから見れば、本来川の持っている色んな役割よりも、地上に降った雨を如何に早く海に流すかという役割だけをこの新夢川は担わされているようでもあった。





「これで何もかもおしまいだ。」
と言って、結婚のときに妻が持ってきた古い箪笥を、岸際まで迫った裏庭から、柵越しに、水かさを増した川に放り込むと、水に落ちてドボンと音を立てるのにもまったく気にする気配もなく、じっと流れていくその箪笥の様子を見ていた初老の男は、再び独り言のように話し始めた。
「川がきれいになったからと言って、何にもいいことないよ。昔はよかった。いらないものは何でも捨てられた。誰にも文句は言われなかった。ところが何だよ、今は、何から何まであうしろこうしろ、これしちゃいけねえ、あれしちゃいけねえ、面倒くさくてしょうがない。不自由でしょがねえ。もっとも俺は言うことなどきかねえけどな。」
雨にぬれるのもかまわずに、そう言いながらじっと薄暗い川面に目をやっていた男は、ゆっくりと振り返ると、家のほうに向かって歩き出した。そして酔っ払って赤くなった顔に狡猾そうな笑みを浮かべながら家に入ると、呟くように言った。
「これであいつの物は何もかもなくなった。ああ、生成した。あれも明日の朝には海の上だ。ふえぇ、ざまあみろってんだよ。」


 川の両岸は、ガードレールや木製の手すり、または所によっては金網の柵が設けられ、それに沿うように、ほとんどすべてに渡って、車がどうにかすれ違う程度の幅の道路が走っていたが、例外的にある一角だけ、十軒ほどの小さな貸し家が、道路を挟まず直接川に沿うように建っていた。

そのひとつにこの男、泰三が住んでいた。二十年位前、妻と二人で引っ越してきた。年齢は六十歳くらい。性格は気難しそうで、酒を飲むと大声を出したり暴れたりする性癖がある。
 近所の者が知っているのはこれ位で後は、なんで生計を立てているのか、子供がいるのかもわからなかった。それもそのはず日頃の生活態度や雰囲気からして、周囲のものは誰も泰三と親しく付き合おうとは思わなかったからである。
 泰三の二つ隣に、泰三と同じ年頃の男が家族と住んでいた。名前を光男といった。
 光男は外見的には退蔵と似てはいたが、気難しくも酒乱でもかなった。かつて光男は泰三と親しくなりかけたことがあった。だがどうしてもお互いに折り合うことができず言い争いが絶えなかった。あるとき取っ組み合いの喧嘩になりそうになったときがあった。それ以来光男は、こんなやつと付き合ってもろくな事にはならないと思い、きっぱりと付き合いを絶った。

 泰三の家のほうから何かが川に投げ込まれる音を聞いて、光男は家族のものに聞こえるように話し始めた。
「あいつやったな、女房を殺して川に捨てたな。最近見かけないと思っていたら。そうか、ついにやったか。あいつはやりかねん男だからな。馬鹿な男だ、川に投げたっていずれバレるというのに。これでやつもおしまいだな。」
光男はそう言いながら終始薄笑いを浮かべていた。










 普段より水かさを増し流れが速くなった川は、初夏の陽光を浴びてまばゆく流れていた。
 泰三の家より少し下った川沿いの家の庭先で、若い母親のユミが洗濯物を干していた。そこへ三歳になったばかりの娘ナツがちょこちょこと歩いてきて小首をかしげながら言った。
「きょうも、カモちゃん来てるかな。」
「あっ、ちょっと待ってね。もう少しで終わるから。」
そう言ってユミは残りの洗濯物を干し続けた。
 昨日、ユミはナツの手を引いて川沿いの道を歩いていると、川で泳いでいるカモの群れを見つけた。母親らしい親ガモと十匹の子ガモを。子ガモはあまりにも小さく可愛らしかった。まるでついさっき生まれたばかりのように。いったい今までどこに居たんだろうと、ユミは不思議に思いながらも、ナツに名前を教え、いっしょに数を数えた。ナツは目を輝かせた。

 ユミは洗濯物を全部干し終わると、ナツの手を引いて外に出た。
 そして五十メートルほど下って昨日子ガモたちが泳いでいた場所にやって来た。
 ナツは早速その木製の手すりにしがみつくようにして顔をのぞかせながら川面に目をやった。だが、昨日より水が勢いよく流れているだけで、子ガモたちの姿はどこにも見当たらなかった。今日は居ないんだと諦めかけていたとき、そこからさらに二十メートルほど下った堰のほうから、親ガモの激しくなく声が聞こえていた。ユミはナツを抱き上げると急ぎあしでそこに近づいた。すると、激しく流れ下っている堰のそばで、母親ガモの、水の勢いに流されどんどん離れていく子ガモたちの群れを心配するかのように見ながら鳴いている姿が眼に入ってきた。母親カモは焦っているようであった。その声はだんだん大きくなっていった。そしてついに子ガモたちを追い始めた。だが、母親ガモも子ガモもどんどん流されていくだけだった。ユミが思わず、アッ、流されていく、と声を上げた。ナツがただならぬ気配を感じ取ったようで不安そうに言った。
「ねえ、死んじゃうの、どんどん行っちゃう。」
「だいじょうぶよ。死にはしないよ。あっちのほうで泳いでいるだけ。」
ユミも親ガモと同じくらい心配な気持ちになったが、ナツの不安を和らげるために、きっと、どこか流れの揺るやかな所にたどり着いて岸に上がることができるだろうという期待を込めて、そう言ったのだった。でも内心はとても不安だった。どこの岸にも上がることが出来ずに、このまま海まで流され続けてみんなばらばらになってしまうんではないかと。カモたちの姿は二人からは見えなくなってしまった。ユミはやさしく言った。
「きっと向こうのほうに、流れが急でなくて、食べ物がいっぱいあるところがあるのよ。」
そうは言っても、もう二度とあの可愛い子ガモたちを見れなくなると思うと、とても残念な気持ちになった。

 翌日。ユミはナツの手を引いて川沿いの道を歩いていた。すると、いつものように流れが穏やかな川面に、思いもがけずに昨日の子ガモたちの姿が目に入ってきた。そこは、昨日子ガモたちが流されていった場所よりも百メートルも上流だったにもかかわらず。ナツは手すりにしがみつきじっと見入った。そして笑顔でユミのほうを見たあと嬉しそうに言った。
「戻ってきたんだあ。」
「もう会えないかも思ったよね。だってあんなに遠くに行っちゃうだもんね。」
「なぜ戻ってきたの、あっちにおいしいものがなかったの。」
「たぶん、ナッちゃんに会いに来たんじゃないの。」
「どうやって来たの、歩いてきたの、泳いできたの。」
 不思議そうな顔をするナツに、ユミはとっさに答えた。
「歩いてきたのよ。」
「いつ。」
「夜ね。それもナッちゃんが寝ているころね。」
「信号も。」
「そう、車に轢かれないように、ちゃんと信号を見て渡ってきたの。」
そう言っては見たものの、本当のこと言うとユミは、どうやって子ガモたちがここまで戻ってきたのか、とても不思議で不思議でたまらなかった。










 川沿いの町並みは、宵闇に包まれ、暗い川面は街灯の光だけを映し出している。
 その母娘の家より少し下流の、周囲より少し古びた感じのする家が、車のライトに照らされた。
この家の職人の父親の雅雄が帰ってきたのだ。
  居間に入ってきた雅雄に、祖母の民子が、心配そうな顔で食卓に並べられた夕食を指差しながら言った。
「ねえ、これ見て、二人とも食べようともしないの。もう顔も見たくないといって、部屋に閉じこもったきりなの。なんか喧嘩したみたいなの。サッカーボーがどうしたこうしたって。今まで喧嘩なんかあまりしたことなかったのにね。」
それを聞いて雅雄の表情は見る見る険しくなった。そして廊下に出ると、怒鳴るように言った。
「たけし、さんま、じゃなくて、武、勇気、降りて来い。」
ほどなく静かな足音がして、小学四年と三年の息子、武と勇気が伏目がちに居間に入ってきた。雅雄は二人に座るように促すと、静かに話し始めた。
「喧嘩したんだって、飯も食わないんだって、それでいつまで食わないつもりなんだ。死ぬまでか。まあ、いいか。それでなんで喧嘩したんだ。」
「、、、、」
「、、、、」
「それでどっちが悪いんだ。」
最初に武が不満そうに言った。
「俺は悪くないよ。」
「俺だって悪くないよ。」
「なにがあったんだ、たけし。」
「ボールが上に上がるから、インステップキックで絶対に蹴るなよって言ったのに、バカ勇気のやつ、けったんだよ。それでボールが川に落ちたんだよ。」
「なに、手を伸ばせば取れたんじゃない。バカ武のやつ、わざと取らなかったんじゃない。その前は取ったじゃない。」
「とにかく、インサイドで蹴らなかった勇気が悪いんだよ。俺は悪くないよ。」
「俺だって悪くないよ。ボールが上がらないようにうまく蹴ったんだよ。だから手を伸ばせば、絶対に、取れたんだよ。」
「それでボールはどうなったんだよ。」
「、、、、」
「、、、、」
「取りに行かなかったのか。」
「、、、、」
「、、、、」
「しょうがないなあ、なんてお前らはバカなんだ。あのボール、いったい誰が買ったんだと思っているんだよ。」
「お父さんだろう。」
「お母さんじゃないか。」
「でも、お金を出したのはお父さんだろう。」
「そういうことを言ってんじゃないよ。本当にお前らはしょうがないなあ。はあっ、情けない。お母さんが手術の前の日に買って来たんじゃないか。あのサッカーボールは、お母さんからのお前たちへの最後のプレゼントじゃないか。」
「、、、、」
「、、、、」
「まあ、ボールはしょうがないとしても、問題はお前たちのことだ。本当はさ、武、自分のほうが悪かったなあと思っていない、、、、勇気は、お前は、、、」
雅雄の問いに、涙ぐみながら頷く二人を見て、雅雄はこれで良いと思った。そして陽気に言った。
「さあ、食べよう、腹が減っただろう。」

 翌朝、勇気より先に起きた武は、居間の前を通りかかると、テーブルの上に一個のサッカーボールが置いてあるのを見た。そしてそれを手に取りじっくり見た。するとそれは紛れもなく、昨日、川に流されていって、もう二度と手にすることはないと思っていたあの自分たちのサッカーボールだった。どうしてこんなところにあるんだろうと不思議に思いながらも武は、それを持って勇気の部屋に走って行った。 そして、
「勇気、起きろ。」
と大声で叫ぶと、武はまだ眠そうな顔をして起き上がった勇気の顔に、手に持っていたサッカーボールをぶっつけた。






 その二人の少年の家からさらに下流の川沿いに、最近たてられたばかりで、大変見栄えの良い住宅が建ち並ぶ所があった。
出窓から午前の陽の光を受けて穏やかに流れる川面が見える二階の部屋で、この家の一人娘小学六年生の真由が、ベッドに横たわって本を読んでいると、母親の春美が開けっ放しのドアから顔をのぞかせた。
「もうそろそろ、子ども会に行く時間じゃないの。」
そういいながら部屋に入ってくる春美に、真由はベッドから起き上がり机に向かって歩きながら言った。
「もう、関係ない。」
「関係ないって、今日は土曜日でしょ、みんな待っているんじゃないの。」
「待ってないよ。わたしが行かなくたってどうにでもなるんでしょう。そもそもなんで子供たちがやらなくちゃいけないの。大人たちがやればいいのよ。花壇つくりなんて。」
机の椅子に座り、背を向けたまま話す真由に、いつもと違う雰囲気を感じ取った春美は、少し長居をするかのようにゆっくりと娘のベッドに腰を下ろしながら言った。
「でもそれは、真由たち、子供会で、みんなで決めたんでしょう。川沿い道路にプランターを置いて花を植えて、町をきれいにするって。」
「変わんないよ。それより他の班のようにごみ拾いや掃除をしたほうがよっぽどきれいになるよ。それにそっちのほうが楽だもん、お花はずっと面倒見なくちゃいけないんだもん。」
「そうかもしれないけど、でも、町がきれいになるとかならないとか言うだけじゃないのよ。子供たちが集まってみんなで何かをやるってことが大事なことなのよ。それは真由ちゃんたちのためにもなることなのよ。」
「なんの為になるのかさっぱり判らない。」
「それからね、本当のこというと、それは真由ちゃんたちのためだけに良いって事じゃないのよ。真由ちゃんたちがそういう活動をしていると、それを見て大人たちはとてもほっとするのよ。なかには癒される人たちだって居るのよ。」
「大人たちって案外なにもしないね。真由が一生懸命やっているのに、立ってぼぉっと見てるだけ、ちっとも手伝ってくれないの、だからみんなもそれを真似して、おしゃべりばっかりしているの。そんなんで何がわたしたちの為になるのかさっぱり判らない。」
「大人たちは、子供たちが自分から進んでやるほうが良いと思っているからそうしているのだと思うよ。」
「そうは思えないわ。何かあるとすぐわたしに言いつけるのよ。ここはこうしたほうが良いとか、あうしたほうが良いとか、他に手があいている人が居るというのに、何でもかんでもわたしに押し付けるのよ。この間なんか、きつく言われたことがあって、何でわたしだけがと思うと泣きそうになっちゃった。」
「真由ちゃんがよくやってくれるから頼みやすいんじゃない。それがついボランティアでやってくれているということも忘れて。真由ちゃんはパパ似だから。」
「そんなの関係ない。」
「ということは、つまり、そういうことが嫌だから、もう子供会には行かないってこと。」
「、、、、そういうんじゃなくって、、、、」
「、、、、」
「あのね、ほんとうの理由はそういうことじゃないの。わたし、大人たちからきつく言われたって、みんながおしゃべりばかりしていたって、ちっとも嫌じゃないの、そんなこと平気なの、最初のころ、ちょっといらいらして、一度だけみんなに真面目にやってよって言ったことはあるけど、でも、我慢できるの、お花をいじっている間にそんなことすぐ忘れてしまうから。ほんとうに嫌なのは、、、、わたし、留美ちゃんと、知ってる。留美ちゃんって。」
「あの娘でしょう。たしか、お母さんと二人で住んでいる子でしょう。前に家に遊びに来たことがあるけど、なぜか覚えているわ。」
「うん、その留美ちゃんと、この間言い合いをして、そんな協調性のない人は嫌いだなんて言ってしまって、ギクシャクして、その後留美ちゃんが、みんなと笑いながら話しているのを見ていると、なんかわたしがのけ者にされているような気がして、みんなとも気まずくなったような気がして、それならわたしが居なければ良いんだと思うようになって、それでもう子供会には参加しないことに決めたの。だって、ぶりっ子してるんじゃないなんていうのよ。それでついむかついて。最初、子供会で班分けするとき、みんな留美ちゃんを入れるのは反対だって言ったの。自分勝手だからって。でも、わたしがみんなを説得して入れてやったの。たしかに、留美ちゃんは、みんなと違うことばかりやっていたわ。それでよく言われていたの、まとまりがつかないから自分の好きなことばかりやらないでとか、みんなに合わせてよとか。それでこの間、留美ちゃんがわたしのところにきて、小声でみんなのこと悪く言うの、それでわたし、仲間のこと悪く言うのあまり好きじゃないのって言ったの、そしたら、留美ちゃん、怒ったような顔をして、良い子ぶりっ子してって、言ったの、それでわたし、ついむかついて思わず言っちゃったの、わたし協調性のない人って嫌いなのって。」
「そういうところはママ似かな。それでもう本当に行かないことにしたの。」
「、、、、ねえ、わたし何か悪いことした。」
「いえ、真由ちゃんは何も悪くないわ。ねえ、いろんなことあったかもしれないけど、そんなこときれいさっぱり忘れてさ、今日行くようにしたら、案外こっちが思うほど、みんなは悪く思ってないってこともあるからね」
「、、、、」
「ねえ、その留美ちゃんっていう娘に誤ったら。」
「謝る、何でわたしが、ちっとも悪くないのに。」
「真由がぜんぜん悪くないこと、ママもわかっている。でも、なんていうのかな、どっちが悪いとか悪くないとか言うのじゃなくて、、、、ねえ、真由は本当は今までどおりみんなと仲良くやったいきたいんでしょう。それならさ、いくら自分が悪くなくたって、ちょっと軽い気持ちでさ、先に謝ってみるって言うのもいいんじゃない。」
「どんなに自分が悪くなくたって。」
「うん、結構それで人間の付き合いってうまく行くもんなのよ。ママのまだ浅い経験から言うとね。」
「、、、、」
「真由はね、どんなに自分が悪くなくたって、自分から先に謝ることができる娘なの。なぜなら真由はパパ似だから。実はね、パパとママ、もしかしたら結婚してなかったかもしれないの。そしたら真由も生まれてなかったのよ。結婚する前、パパとママ、つまらないことでけんかしたの。断然ママが悪かったのよ。でも、このとおり意地っ張りでしょう。それで会おうともしなかったの。もうわたしたちは終わりだと思っていたころ、パパがやってきて、先に謝ってくれたの。ちっともパパは悪くなかったのにね。それでママはどんなに救われた気持ちになったことか。」
「、、、、」
「留美ちゃんって娘、ママから見ると、とても不器用な娘に見えるの。でも真由は、ちょっぴり意地っ張りなところもあるけど、本当はとてもやさしくて素直な子だから、真由なら絶対にできるわ。」
「、、、、」
「もし真由にそうしてもらえたら。留美ちゃんだってきっとママと同じように救われた気持ちになるでしょうね。留美ちゃんだって本当はみんなと仲良くやりたいのよ。ねえ、ママとパパ、これからゴルフの打ちっぱなしに行って、それから買い物に行って、お昼に帰ってくるんだけど、いっしょに家を出る、戸締りもあるし。どうする。」
「うん、でる。ねえ、ママ、真面目すぎると男の子に嫌われるってほんと。」
部屋を出て、階段を降り始めた春美に、真由はそうたずねた。
「ええ、そんなことないわよ。真面目な娘が好きな男の子もいるし、不真面目な不良っぽい娘を好きな男の子もいるし、人それぞれよ。どうして。」
「うん。ねえ、ママ、パパ似って良いことなの。」
「もちろん、良いことよ。」
階段を下りて、玄関のほうに歩いていく真由に、春美は笑顔でそう言うと、さらに付け加えた。
「真由ちゃん、そんな不安そうな顔しないの。うまくいくかどうか心配なら、笑顔を作るの、無理やりでもいいから笑顔を作って臨むのよ。そのほうが言葉なんかよりもずっとずっと役に立つんだから。」
「うん、わかった。」
玄関を出て行く真由に、春美はさらに声をかけた。
「スマイル、スマイル。」
 真由は川沿いの道を急いだ。そして木目模様の見える板壁の家の前に来ると、少し庭先に入り叫ぶように言った。
「留美ちゃん、子供会に行こう。」
玄関の窓ガラスに留美の姿が映ると、真由は急いで笑顔を作った。そして留美が外に出てくると言った。
「えへ、わたし、このあいだ少し言いすぎたみたい、ごめんね。えほ。うふ。」
「うっ、うん。」
少し間をおいて、恥ずかしそうな笑みを浮かべて留美はそう答えた。そして先に立って川沿いの道を歩き始めたかと思うと、突然のように手すりに近寄り、川面を指差しながら言った。
「ねえ、あれ見て、誰か捨てたのよ、粗大ごみを。捨てちゃいけないのに、あれタンスだよね。でもおととい、川が増水したとき、あそこの上にカルガモの赤ちゃんたちが十羽ほど乗っていたのよ。あの子達どこに行ったのかしらね。」
そう言ったあと、留美は少し上流の堰に目をやると驚いたように言った。
「あれ、ない。昨日の午後、あそこにサッカーボールがあったの、上のほうから流れてきたと思うんだけど、いつまでたってもあそこから流れていかないの、くるくる、くるくる回りっぱなしで。流れていったのかしら、それとも誰か持って行ったのかしら。」
留美はそう言って手すりから離れると、再び歩き始めながらさらに話し続けた。
「お母さんは、川が増水してあそこの音が大きくなると、それが気になって夜も眠れないほどいらいらするって言うけど、わたしはあそこにいろんなものが浮いているのを見るのが好きなの。」
真由は、留美が元気そうに話しているので、何を言っているのかも判らないくらいホッとしていた。

二人はみんなが待っているに違いない集会所へと急いだ。







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