詩集失われた精霊の森




トップページへ   

          小礼手与志





未来のあなたへ
もしかしてたった一人のあなたへ
わたしにできなかったことを、ぜひあなたが
決して徒労ではなかったということを








     青の不安

もう秋
待ちこがれた夏は
空の青の中に消えてしまった
雲は昨日と形を変え
まばらに浮かんでいる
残るはぼくを不安にする空の青だけ
やがてみんな秋になるだろう、人々も風景も
何かを失う、季節の執拗な変化になかで
捨てきれなかった、ささやかな想いと希望を
抱いていたものたちには
秋の夕暮れはやさしく慰めてくれるだろう
だが、今日のゆうやけは僕の嘆きを聞いてくれない
そしてひとつの不安を抱えた夜
驟雨は激しくトタン屋根に響く
すべてをさえぎり部屋に流れる静寂は
冷たい地下の死者の眠りにように
ひとつの安息となる







     ビルに屋上より

最後の希望をたくす森は
遠くかすみ
そしてその果ては
青霞と共に空に消えている

無限遠点を見つめる者の瞳は
いつしか灰色

ビルの屋上の巻き風と踊っている
子供たち
父たち
母たち
冬の近い風はただ冷たく容赦ない
だが、今日は休日
残された時間に最後の楽しみを見つけ
ビルの屋上の巻き風と踊っている

巻き風と踊るものたちよ
あなたたちが
子供らしくあればあるほど
また父らしく母らしくあればあるほど
非情な風もやさしく通りすぎ
今日の幸福と明日の希望をあたためながら
未来は約束されたように
平穏な日々がおとづれるだろう

だが
子でもなく
父でもなく
母でもない
灰色の瞳で無限遠点を見つめるものよ
神の劇場の出演を拒否するものよ
未来との契約を破棄したものよ
おまえは、おのれの振る舞いを知らない

悲惨、浮浪者のような悲惨
労苦、むくわれない労苦
悲哀、人があろうとするための悲哀
なにがおとづれるだろう
振舞うことに恐れおののく者
振舞うことに打ち震える者
いまはただ冷たい非情な風だけだが





電車は午後の倦怠を乗せて走っている
鉄橋を渡り始める
窓の外にススキの群生が広がる
あっ、ススキの群生のむこう側に
俺が立っている
鉄橋を渡り終わる
電車は午後の倦怠を乗せて走りつづけている







覚醒はつねに付きまとい、確実におとづれ
生を苦々しいものとする
なぜすべてが美しいと、善しと
肯定へと心は向かわないのだろう
あるに違いない
きっとあるに違いない
おまえの生には価値があると言えるときが
方法が

わたしは待っている
懐疑の終わりを
目覚めていることが苦痛でなくなるときを
世界との和解を







          新しいときの発見

ふと意識の絶え間ない流れをかいま見たとき
時間は何気なくその流れを切り開いて
その断面を見せることがある
そしてその断面は永遠に向かって彩られている
それは一瞬が永遠に変わるときである

友人は話を中断していっぱいのお茶のために湯を沸かす
燃え続けるガスの青い炎
せかせられた時間は消え
退屈な時間が現れる

全ての人に平等に与えられたいっぱいのお茶のためのひと時
私達の周りでは時間は有り余っており意識されることを嫌う

口にくわえた一本のタバコ
一杯のお茶
行為の裏側を見ないようにタバコをすいお茶を飲み続ける

タバコと現実、現実はタバコのようにまずい

灰皿一杯にあふれた吸殻
逃れられない時がそこにある








五千年後の未来に開封されるタイムカプセル
わたしたちはもちろん生きてはいない
いったいどんな情念を封じ込めたのだろうか

          時の切り開かれた断面は
          いつも永遠を目指している
          時は永遠の連続である

目覚めていることは苦痛である


意識の重み







熱い日差しのあとに、雷雨がやってくる
そんな絶え間ない自然の興奮の中で
流れる日々をただじっと見つめて過ごした夏の日
不意におとづれた二人だけの世界に
愛の言葉も仕草も知らない少年と少女は
ためらいながらも
まだ愛の言葉も仕草も知らない少女の
未熟な胸のふくらみが
真っ白いブラウスを通して
また愛の言葉も仕草も知らない少年の
汗ばんだ硬い胸に触れたとき
少年から少女へ
たしかではないがなにかが流れ出た

退屈な愛の言葉や仕草を知った今
少年期の思い出は
夏の夜に解き忘れた宿題のように
ときおり、青く細い光となって脳裏を掠める





冬の陽光も
午前十時にはやわらかい
車や電車の騒音は
陽光に中和されたかのように
人声だけが冴え渡る
窓の外を妊婦が通る
多感な少女期の思い出は蘇らない
いま人類の真理に襲われながら
愛の塊となって歩んでいる







     八月の空の思い出から

青い空を背後に
白く流れているのは、いつかの雲
峰と峰との間にかけられたあのときの雲
そこに見えるのは
私の秘密の八月の空
しかし、過去がわたしだけの物であると知る今
過去は秘め事のような思い出となる
そしてもとめるものを見失ったわたしの意識は
思いでの深いよどみに巻き込まれる
いまビルの窓から
この繁栄に賑わう町を眺めても
希望をつなぐ豊かな夢はおとづれない
見えるのは希望をも打ち砕こうとする
孤独者の不あにおびえる夢ばかり

登山者のように繁栄の町をさ迷い歩いても
井戸掘り職人のように過去を掘り下げても
懐かしい地下水はどこにも湧き出さない
追憶の泉は乾いたのどをうるおさない
かすかに残っているのは
悔恨を勝てとする神経症患者の
幻影におびえる夢ばかり
青空を背後に
白く流れているのはいつかの雲
峰と峰との間にかけられたあのときの雲
そこにあるのは
わたしの八月の空の思い出
だが、思い出が今を豊かにしないと知るとき
今は見失われ、犯され、怯えてている






今を建て直しわたしを未来へと向かわしめるために
わたしは懐かしい八月の思い出と決別する

    もうひとつの古い八月の空の思い出から

わたしの脳裏に
いつも不安な黒雲のように漂い
正義の偽名のもとに
倫理の美名のもとに
少年の純粋さに付けこみ
賑やかに語られ
永遠の負債であるかのように脅かしつづけた
もうひとつの古い思い出の中の八月の空
しかし、どんなに賑やかに語られても
新たな死臭をかぎ始めたものには
原野の死臭をかぐことはできない
新たな幻影に犯され始めたものには
夜空の閃光を思い浮かべることはできない
永遠の負債のように脅かしつづけ
賑やかに語られる物は
新たな悪しき伝説を生むにすぎないだろう
正義の偽名のもとに
倫理の美名のもとに
賑やかに語られるものは
新たな現代の醜聞を生むにすぎないだろう
だが、不運な宿命に飲み込まれた受難者たちが
たった一度きりの生を
他に生きようがなかったと悔やみ呪い
思い出を孤独にしか語ることができないとき
思い出を孤独にしか伝えることができないとき
わたしは現代の廃墟の中で
沈黙に黒ずむ手を差しのぺる
そしてわたしは古い八月の空の伝説と決別する







だが、それはわたしには過ぎたことだ
わたしには何を語ることができようか
わたしの肯定は新たな否定を生み出すに過ぎない
わたしの否定は新たな肯定を生み出すに過ぎない
わたしに何ができるというのだ
わたしが饒舌になればなるほど
被造物であることを思い知らされるだけだ





陽は燃え落ち
人々は拘束から解き放たれ
生の恥辱の炎は揺らめき
星のうつろな輝きのもと
ビルはその廃墟をあらわし
無機的不気味さのなかを
風は荒荒しくときには
不機嫌にさ迷う
最後の原始の眠りにつくまで







日差しは秋と変わらないのに
枯草の下ではもう萌えているのか
一瞬過去のわたしが脳裏をかけめぐる
わたしはいつも歩いている、歩いている
あるいは呆然とたたずんでいる
    萌え始めた草
    焼き上げられたパンの匂い
    パン工場の煙突
    はじける花々のつぼみ
    校庭の砂塵
    タバコの燃えるにおい
    タバコ工場の煙突
    工場の単調な機械音
    焦げつく機械油のにおい
    少女たちの笑い声
    女性たちの舗装路に響くヒール音
    大地の蠕動
    無限のの蠕動
    永遠の波動
    海
    海にのまれたわたし
だが、追い求めても二度と蘇らない
また知らず知らずのうちに歩みを止めてしまった
ああ、わたしの幻想のゆくえ







      昼と夜
追い求める
無目的な、乱雑な建物の間に
喧騒の路上に
わたしの過剰な欲望を、限りない執着を
昼は深い
意識が拡散すればするほど
感覚は狂気に近く
深く迷い込む
幻惑、幻影、熱狂
狂走する音楽
猥雑な広告版
わたしは底なしに奪われる

静寂の夜
わたしは横たえる
真昼の熱狂をくぐりぬけてきた肉体を
あくことのない欲望を、執着を
いまだ癒されぬ感覚を
真昼の全ては捨てがたい
だがすべてを捨てる
わたしがわたしに帰るため
夕日に流した涙と共に
チロチロと青白く燃える悔恨の炎と共に
わたしはわたしだけの眠りにつく
そして夜の深みへ






もうそろそろ舞い上がっても良い、砂ぼこり
ちょっと急げば汗もでる
空に雲なく、影も短い
寒さはすべてを閉じ込めたが、もう我慢しない、なにもかも
汗は首から額から、目をさえぎるのは過剰な光
調子に乗って春たちは、去年やおととしや、ずっと
ずっと、むかしの春まで、陽炎のようにはいだしてくる
みんな生き生きさっぱりしている
見知らぬ路地からは少女が楽しそうに笑いながら出て来たり
きっと少女の頭の中では花が咲いているのだ
さっぱりとしない心の人間が
あなたのようには笑えないと言えば
そんなことわたしには関係ないわと言うに違いない
自転車に乗った少年は風のように通り過ぎて行く
うづまいている心の人間が
風のように通り過ぎることはできないと言えば
逆らってもどうにもならないと言うに違いない
きっと少年には去年の春やおととしの春はないのだ

汗は首から、額から目をさえぎるのは過剰な光
立ち止まらなければ、ここは見知らぬ街角
ああ、わたしは道に迷ってしまったよ
陽炎のようにはいだしてくる追想の春のために







          夏の町

真夏の午後二時の交差点
理由もなく駆られた力
知覚は眠り疲労する時間帯
解析不能の風の中
無限無数の目に見えぬ塵埃
吹き出た汗に吸い込まれる
額の汗、首の汗、腕の汗
そしてじっと待つ
走り抜ける車
交錯する騒音
かき乱された風
重力から解き放たれ舞い上がるセロハン紙
カシャカシャと悲鳴をあげる
だが聞こえない
走り抜ける車
交錯する騒音
かき乱された風
流線型の風に沿い落下するセロハン紙
汗に吸い込まれ続ける塵埃
ますます吹き出る汗
浮遊する神経
わたしより先に待つ少女
黒いワンピースの少女
気づいているか
わたしの神経を震わす風が
あなたの黒く透き通るワンピースの中にはらむのを





女たちの周りに蛙のようにへばりつき
女たちの駄弁に耳を貸す男どもを
好きになれさえすれば
にぎやかな女たちに恋することもできるのだが
僕が恋したのは
真夏にもかかわらず
熱いお茶をたてつづけに三倍も注いでくれた
内気な少女
僕だけの話を聞いてくれそうな少女
やや赤みを帯びた後ろ髪をリボンでゆわえ
目もとまで垂れ下がった前髪に
僕は少女の境遇を盗み見て
内気な少年のような恋をする
そして恋を空想する

僕が誘惑したらあなたはやってくるだろうか

たぶん、あんまり似合わないはやりの高いかかとの靴をはいて
不慣れな化粧をしてやってくるだろう
そして憂鬱な父たちの話しや
好色な店の主人の話をするだろう
そんな時僕は憂いのあまり死んでしまいたくなるだろう
僕は愛の言葉もかけず
理由も言わず
あなたを捨てる
あなたは突然世界が信じられなくなるだろうが
問いただすこともなく
涙を流すこともなく
再びもとの内気な少女にかえる
そして僕は憂愁に憂愁を重ねるだろう







わたしが間抜け面をすれば
あなたはきっと明るくなるだろう。いつものように
だがそう振舞えないわたしを見て
あなたは自分をかえりみる
かすかな唇の動きの中にあなたは自分を隠す

だれもあなたを卑しめない
あなたはだれにも卑しめられない
わたしは幸福そうな人々の使者ではない
あなたを汚辱すれば、それはわたしへの汚辱となるはずだ

わたしはあなたの心をのぞいたりはしない
快活に振舞ってくれ、いつものように
乾いた肌でわたしの欲望を満たそうとする人よ
わたしの欲望は深くて暗いから

あなたはわたしのできの悪いお世辞に礼を言ったり
望みもしない愛撫を求めてたり
だがここにあるのは二つの肉の塊だけ
あなたの青ざめた肌の上を滑るわたしの手は白く冷たい

わたしは心にもないいつわりの愛撫を繰り返す

あなたの乾いた肌の上
悦楽のにおいはかき消え
ただここにあるのは二つの肉の塊だけ
わたしからあなたに慰めの言葉をあげよう
愛や恋の不在の言葉を
愛や恋への非難の言葉を
わたしは何も信じていないのだと

だがあなたの重たい唇から漏れた思いがけない言葉
わたしの裏切りをさとすように出た言葉
「愛とは苦しいものだそうよ」

あなたはわたしの悔恨を知らないように
わたしはあなたを慰めるすべを知らない
ここにあるのは何かから取り残された二つの肉体だけ







乾くことの知らなかった唇は荒れ
抱きとめるはずであった腕はなえた
いつも夢見がちなわたしの瞳から
すべを覆い隠してしまった女よ
あなたはいったいなにを夢見ていたのだろう

それは夏の日の午後
過酷な自然や単調な現実の前に
あなたは涼風のように微笑むことができた
それは秋の日の夕暮れ
たどり着いた小高い丘の上
遠くを見つめるあなたの瞳を
わたしは喜びを持って許すことができた
たとえわたしの幻影に過ぎなかったとしても

わたしとの言葉少ない唇に
わたしの何気ないしぐさの中に

あなたに対するすべてが隠されていたのだが
あなたは読み取るすべを知らなかった
わたしはいったいなにを夢見ていたのだろう

あなたを襲う単調な日々や
度重なる退屈さに耐え切れない
あなたの誘惑に駆られやすい心は
日毎に荒々しい言葉に変わり

遠くを見つめていたあなたのその瞳は 好奇に満ちた瞳に変わった







風は
郊外の森を通り抜け
町にやってくる
数少ない街路樹の葉を揺らし
街の隅々を駆け巡る
午後の森の乾いた風は
怠惰な部屋の空気を運んでいく
午後の森の乾いた風は
森の静寂を運んでくる
そんなとき
失意だらけの昨日までの頭の中に
悔恨が
脳漿をくぐりぬけてやってくる
そして、失意だらけの白茶けた紙に
昨日までの空白の紙に、何かを記入し始める
森をくぐりぬけてきた乾いた風の中
  別れる理由などなかった
  あなたたちを納得させる理由などなかった
  ただいつからかははっきりしないが
  わたしの心に住み始めた不思議な予感が
  わたしとあなたを別れさせたのだ
  わたしはあなたたちには言えないさびしい決心をした
  わたしのさびしい決心には
  決して明日は明るくないだろう
  だがあなたたちの明日はわたしには暗すぎる
風は町のにぎやかな空気を
なし遂げられなかったさまざまな思いを運んでいく
寂しさだけを残しながら








わたしが苦悩すれば世界が苦悩するように
わたしが悲惨でなかったら世界が悲惨でないように
世界を映しているのはわたしの心だが
憂鬱な風景のときばかりとは限らない
喧嘩に負けた野良犬のような
卑屈な悲惨ばかりとは限らない
街が陽気な人々で満ち溢れわたしの心が秋の風の冷たさに閉じ込められるとき
わたしは他人のように雑踏の中を歩くことができる
裏通りには
足取りもおぼつかなくパチンコ屋から出てくる老人
忘れられた時代を思い出させるチンドン屋
かん高い声で客寄せをするキャバレーの呼び娘
明日には忘れるつまらぬ口論をする酒場の酔っ払い
すべてはあるがままだ
すべては充実している
すべては快活だ
老人も、チンドンヤも、呼び娘、酔っ払いも
決して悲惨ではない
ネオンサインは日暮れと共に光を増し
待ってたとばかりに輝きだす
騒音はいたるところで交錯し 街は不思議な調和を生んだいる
すべてはあるがままだ
すべては充実している
わたしは望むずっとこのままわたしを憂愁に引き込むことなく
わたしの心を離れ
すべてが陽気にわたしの周りをまわってくれることを







これが午後の森だ
新しい葉の群れはいっせいにひるがえる
光をはじいているのは緑色のうろこ
さていつもそむきがちな世界から、わたしは
この午後の森を区画しよう
いつも遅れがちな時間からわたしは
この新しいときを切り離そう
そうして重くなりかけていたまぶたをしっかりと閉じよう
するし緑と性の香気は幻想のようにたちこめ
風に戯れる枝の下に
一人の少女をたたずませることもできよう
決して語らない
決して語ってはいけない肖像のように
沈黙が永遠へと導くかのように
いつも不眠の夢に現れる少女なのだが
しかし世界の背後を見続ける
耐え切れない苦痛の進入
求めても求めても
追いつけない新しいときへの絶望
わたしには思い浮かばない
裸身をさらしながら少女と落ち合う夜が
わたしには見出せない
永遠へと開け放たれたわたしたちの性の窓を

ついに少女の横顔はかげり黒ずみ
その肖像はガラスのように砕け散る
不幸な幻影に残ったものは
裏切り者のようにわたしに差し向けられた
少女の哀れみのまなざし
決してわたしはこの世界の裏切り者ではないのだが
振り向けば
はるか西方の山脈は
まだ残雪に真っ白。冷気が
冷気が激しく吹き荒れている







街には大人たちの愛玩動物がわめきながら走り回り
言葉を話すメス豚が、着飾り匂いを撒き散らして歩き回る
自ら眼をえぐり耳を切り取ったオス豚は
太りに太った虚栄と、疑心と、ねたみと、おごりと、エゴイズムと、そして
腐りかけたく恥辱と、卑屈と、うんこと、生殖器に囲まれて
食って、飲んで、やって、働いて死んでいく
それから、、、、、、、、、、、、、、
ぼくは決して気が変になったのではない
どうしようもないから、つい口に出てしまうんだ
この狂人たちめ!と。でも、
ぼくはしょせん地べたを這うひとりの人間
きっとこんな毒づきも許してくれるだろう

夕闇に女たちの白いスカートが映えるころ
ぼくはそそのかされて薄暗い部屋を飛び出す
風のように町に現れ、お前を待ち伏せる
野良犬になりきれないぼくは
野良犬の振りをして、お前を誘惑する
そしてお前に、お前の楽しかった思い出も、ささやかな夢も、暖かい家族も
みんな捨てさせる
ぼくもつらい思い出も、さびしい夢も、暗すぎる明日も
みんな捨てるから

無数の絶望と悲嘆を生みおとしながら
呪われながらも繁栄し続けた町は
真昼の太陽に焼き焦がされ、とろけ
不信、誤解、思惑、猜疑もろとも燃え尽きた
ざまあ見ろ、自業自得だ
町のうめき声も、わめき声も聞こえないように
さあ、堅くドアを閉じよう
ぼくたちを邪魔するものはだれもいない
何も恐れることはない、ぼくたちは許されている
ぼくは、ぼくの力で、もう二度と昇ってこないように太陽を沈めた
ぼくたちに明日は必要ない、必要なのは
二人だけの部屋と、この今だけ

さあ、おまえにたずねよう
昼と夜とで、どちらが好きか
もし昼に聞けば昼と答えるだろう
もし夜に聞けば夜と答えるだろう
だが今は夕暮れ時だ
さあどうする根っからの嘘つきめ
昼に夜のことを考えない
夜に昼のことを考えない、いや、考えられない
お前の頭の中はまったくの空っぽだ
でも迷うことはない
もうじきお前の好きな夜がやってくる
それにぼくたちを造ったものに比べたら
人間はみんな出来損ないだから、そして
ぼくはそんな空っぽさが大好きだから

お前はぼくへの形ある唯一の贈り物だから
ぼくは感謝し、喜んで受け入れよう
お前は気まぐれなしぐさでぼくを惑わすが
ぼくは何もかも忘れ、喜んで惑わされよう
ぼくは燃え尽きた町の言葉なんか信じていないが
思いつくまま感じるままに口から飛び出す
お前の謎めく言葉だけは信じられる 前が自由気ままに振舞うと

ぼくの頭の中で音楽が響く
お前を包んでいる甘い世界に、ぼくも包み込まれよう

さあ、始めに還ろう
何も恐れることはない
ぼくたちが生まれたところに還るだけだ
不信とか信頼とか、善とか悪とか。愛とか憎しみとかのないところへ
まだ人間も、言葉も生まれなかった混沌へ
だれもが口を閉じたがる宇宙へと溶け込もう
お前の世界は肌から外へと広がっていく
ぼくの頭の中で夕日が名残惜しげに沈んでいく
捨てきれない明日と、背後のドアにおびえながら
ぼくはお前を抱きしめようとする
燃え尽きた町の余熱を感じながら
ぼくがお前を抱きしめようとする
唯一の贈り物を失いたくないから
ぼくはお前を抱きしめようとする
ただどうしようもないから
ぼくはお前を抱きしめようとする
ぼくの手はお前の体の上をよくすべる
だが、ああ、、、、、、、、、、
ぼくの目の前にあるのは
傷つけられた死人のような唇、腕、脚
そして胸、ただそれだけ
燃え尽きたはずの町の言葉が
お前の唇によみがえり、そして
傷つけられたあまりにも痛々しいお前の肉体の上に
燃え尽きたはずの町に幻影がよみがえる
ぼくは罠にかかった、巧妙な罠に
だれの罠?
なんの罠?
お前はどこにいる?
ぼくはどこにある?
ぼくは暗闇の中でお前の魂を捜し求める
見失ってしまったぼくの魂を捜し求める
ぼくにはまだどんな言葉も許されてはいなかったのだ
言ってもいけない、見てもいけなかったのだ
ぼくは打ちのめされ豚のように這いつくばる
這いつくばる、そして
天上から降りてきた氷のカーテンが
ぼくたちをさえぎり、引き裂く
泣いても泣ききれないぼくは
出口を見失った迷路に独りぼっちで眠る
夜さえも抱きしめられないぼくは
呪われた眠りを眠る

そして朝の夢の中
森は太陽に輝き、鳥たちはさえずり
木々は風にざわめき、小川がせせらぐ
でもお前はされこうべのくぼんだ眼窩を窓ガラスに映す
そしてそっと伸ばしたぼくの手が
お前の肉のそげた骸骨に触れる
ぼくは恐怖におののき、目覚め、飛び起きる
だが窓からは明るい光が差し込み
なにも変わらぬお前を照らす
そして窓の外の町は、昨日と同じ夜明け
ぼくが沈めたはずの太陽が昇り
また見せかけの一日が始まろうとしている







まばゆい光
灰色の静けさ
そして暗闇

まばゆい光
曇り空のような灰色の静けさ
そしてぶ厚い暗闇

まばゆい二つの光
曇り空のような灰色の静けさ
突然目の前に現れたまばゆい二つの光
近づく二つの光
曇り空のような灰色の静けさ
灰色の静けさは現在
近づく光は過去
二つの光はわたしのほうへ
わたしに向かってくるまばゆい光
うごめく暗闇
そして光の束、光の洪水
光の渦、光の散乱、光の集積、光の放射
そして凍りついた暗闇
突然目の前に現れたまばゆい二つの光
近づく二つの光
曇り空のような灰色の静けさ
灰色の静けさは現在
近づく二つの光は過去
二つの光はわたしのほうへ
わたしに向かってくるまばゆい二つの光
まばゆい二つの光は車のヘッドライト
角を曲がって突然現れた車
夢中で走っているわたし
そして曇り空のような灰色の静けさ
角を曲がって突然現れた車は過去
わたしは夢中で走っていた
わたしは喜びに満ち溢れていた
そして光の束、光の洪水、光の散乱、
光の渦、光の集積、光の放射
痛い黄色い三角
熱い青い渦巻き
高く冷たい円
赤く低い螺旋
重く白いまだら
黒くくさい水玉
高い音の緑の四角
そして凍りつくような暗闇
突然目の前に現れたまばゆい二つの光
近づく二つの光
曇り空のような灰色の静けさ
灰色の静けさは現在
近づく二つの光は過去
二つの光はわたしのほうへ
わたしに向かってくるまばゆい二つの光は車のヘッドライト
角を曲がって突然現れた車のヘッドライトそして曇り空のような灰色の静けさ
灰色の静けさは現在
角を曲がって突然あらわれた車は過去
わたしは夢中で走っていた
わたしは喜びに満ち溢れていた
わたしは嬉しさのあまり走っていた
わたしは誰かに合おうとしていた

この灰色の静けさは現在
わたしは誰かに合おうとしていた
わたしは嬉しさのあまり暗く細い路地を夢中で走っていた
そして光の束、光の洪水、光の散乱
光の渦、光の集積、光の放射
痛い黄色い三角
熱い青い渦巻き
高く冷たい円
赤く低い螺旋
重く白いまだら
黒くくさい水玉
そして凍りつくような暗闇
突然目の前に現れたまばゆい二つの光
それは薄暗い細い路地の角を曲がって
わたしに向かって走ってくる車のヘッドライト
わたしは夢中で走っていた
わたしは喜びに満ち溢れていた
わたしは嬉しさのあまり走っていた
わたしは誰かに合おうとしていた
わたしにはとてつもなく嬉しいことがあった
そうだわたしに子供が生まれたのだ
わたしは子供に会いに行こうとしていたのだ
この灰色の静けさは今なのだ
この光の束、光の洪水、光の散乱、
光の渦、光の集積、光の放射
痛い黄色い三角
熱い青い渦巻き
高く冷たい円
赤く低い螺旋
重く白いまだら
黒くくさい水玉
曇り空のような灰色の静けさ
そして凍りつくような暗闇







はじめに
青空と
夕日と
風と大地のざわめきは
その愛する被造物たちを
慰め、包み込み、捨てなかった
しかし、背くことを覚えた
人類の歴史の果て
ときおりその始めにかえす
そしてその埋め尽くされぬ距離を思い
青空と夕日に焦燥を
風と大地のざわめきに不安を
人類は刑罰のように苦しみ続ける







夏の強い日差しのもとでの
肉体のほてりも精神の高揚もない
秋の日の寂しさ
夏のあいだ、なにかを書きしるされるべく
窓際にほうられていた紙切れは
いつしか小麦色に変色し
窓辺を通り過ぎる風にふるえている
容赦ない夏の太陽に異議を唱えるように
青々と誇っていた草の原は
刈り払われ、弱い日差しにさらされている
どこからともなく聞こえてくる
家を建てる木槌の音が
ビルのあいだをこだまする
彼らは用意している
来たるべく冬のためではなく
ささやかな未来との契約のために
わたしは未来との契約を破棄したはずだ
目の前を枯れ尾花が落ちていく
おののきながらまぶたを閉じるように
わたしの心も果てしなく落ちていく
肉体のほてりも精神の高揚もない
秋の日の寂しさ







僕はできるだけ何も失うまいと
いまを、この一秒を
大切に生きてきたつもりなのだが

あるとき僕は雲の生滅を見届けようと
何時間も空を見ていたことがあった
でも雲は
僕に気づかれないように現れては
気づかれないように消えていった

またあるとき、僕は水の正体をつかもうと思って
小川の流れをじっと見つめていたことがあった
でも水はただ流れているばかり
手のひらにすくってみても
むなしくこぼれ落ちるだけだった

またあるとき、僕は山の美しさと雄大さに憧れ
山の頂上を目指して昇ったことがあった
でも山は石ころだらけの斜面で
僕はただめまいだけを感じていた
遠く離れてみた山は
やはり美しく雄大だったのに







いまはいつだろう。ここはどこだろう。そして、これは何だろう。
流れるような、輝くような、うごめくような、塊のような
これは汚すものが汚されるものか、苦しむものか苦しめられるものか
ただ還りたい

なにかを恐れるように想い続け何かを恐れるように像を結ぶ
いきつけないもの
たどりつけないもの
はねかえすもの
はねつけるもの、その黒い黒い塊
内実に向かって被造物の限りない抵抗

負債を負わされて意識
重荷を負わされた意識







時を見失ったものが
時に見捨てられたものが
なにを思うことなく
なにを考えることもなく
広場にてベンチに腰をかければ
時に見守られた人々が
時を大事そうに抱え込んだ人々が
取囲む巨大な建築物の由来を知ることもなく
自分たちを動かし続ける濁流の流れ着く場所も知ることなく
待ち人となり
ひとときの夢見る人となり
通り過ぎる

時を見失ったものが
時に見捨てられたものが
すべてをあるがままに
すべてをありうるように
広場にて眺めれば
おのれの来歴を知るすべもなく
おのれの身を託すすべもなく
いつしかその眼は痴呆のまなざし
地方のごとき目は、通り過ぎるままに
青空を映し、流れる雲を映し

人々を映し、路上を映し、そして
路上の敷石の模様が
規則正しく並べられていると知ったとき
痴呆のごとぎ時の喪失者の目に涙があふれる






美はわたしのものにならない
なぜなら
美は流れ出ていくもの
わたしから流れ出ていったものは
二度とわたしに戻らない

うちひしがれて
つきはなされて
ただ力なくひざまづき
永遠逃れ去り
永遠に手から滑り落ち
永遠に帰らぬもの

わたしに残っているのは
ただ意地の悪い復讐のみ






僕は恐れる
昨日と変わらない風が
朝の街路樹の葉を揺らし
昨日と変わらない太陽が
昼の舗道に影を作るときに
昨日と変わらない人々が、僕に
好意の挨拶をしてくれるのだが
昨日までのことが遠い思い出のように
簿間の脳髄の片隅に退いてしまう
僕は恐れる
昨日までのことが
汗ばむ手に握り締められた石ころのようには確かではない
人々へのやさしい想いも人々との親しい交わりも
人々との思惑も
みんな時の罠に落ちた
僕の未熟な頭の中の出来事に過ぎないようだ
なんにも確かではない
僕の言葉も
僕の悩み事も
僕の執着も
みんな時の罠に落ちた
僕の未熟な頭の中の出来事に過ぎないようだ
なんにも確かではない
昨日までのことが
思い出し忘れてしまった夢のように
僕の脳髄の片隅に退いてしまう
そして、昨日と変わらないこの夕べ
突然僕の頭の中に侵入し
僕を悩ますものたちよ
原始人にように文明を恐れる精神病者
やさしく振舞うことができなかった犯罪者
仕立て上げられてしまった背徳者
ああ、この夕べにあらわれる者たちよ
僕は恐れる
明日も今日と変わらない風が
朝の街路樹の葉を揺らし
明日も今日と変わらない風が
昼の舗道に影を作るだろう
そして、明日も今日と変わらない人々が
僕に好意の挨拶をしてくれるだろう
だが、この夕べにあらわれる者たちのために
僕はいままでの僕でいられるだろうか
僕は恐れる
この夕べにあらわれる者たちのために
僕に好意の挨拶をしてくれる人々を
裏切らなければならないことを

そして僕は恐れる
いつの日か、その真夏の炎天下
麦藁帽子をかぶり、あぜ道を歩く姿を
たぶん僕は狂っているだろう














排気ガスに煙る高層ビル
熟しすぎて
路地に垂れ下がる柿の実
路上に落ち
腐りかけ
腐りかけたおごりを載せた車のタイヤが
おもむろに踏みつぶしていく






          すぐ影響されやすいから、木よ、わたしを支えてほしい。

          それから、彼らは見かけによらず壊れやすいから、見守ってやってほしい。











トップページへ戻る