詩集ざわめきを求めて)(2004年5月以降) 小礼手与志 ふりかえれば、すぐそこのような気がする XX岳 あそこに見えるのが五十年前、父が造った 国道397号線 幼いころ、母の胸に抱かれて聞かされたのだから きっと見えるはず、英雄のような父の姿が もし光が旅をするなら 西の空が夕映えに染まるとき 何かに呼び寄せられたかのように、部屋を出て 自転車にまたがり、あてもなくさまよい走る その寂しく賑わう黄昏の町を、そのはずれまで 当然のごとくわたしは道に迷い 見知らぬ薄暗い森にたどり着く そして、わたしを待っていたかのように ヒグラシがいっせいに鳴きだす。あのときのように あのときのように悔恨の森に鳴り響く 目に見えない煙が立ちこめ 匂いのしない香りが漂う。そして 西の空は、母を焼き尽くした炎のように さらに赤々と燃え上がる だれかわたしをここから救い出してください 百億年後、二百億年後、宇宙が再び造りかえられても、あなたには会えない。そしてわたし自身にも。 西の山々が夕陽に染まると 狼に狙われた小鹿のようにあせり混乱する 一日が過ぎると、また一日あなたと会えることから遠ざかっていくような気がするからです どんなに願っても過去に戻ることなんかできないのに 雪解け水が あなたが耕し続けた水田を満たしたあと いま、目の前を音を立てて流れている 何者でもないある男の母の死が 男を子供のように寂しがらせ悲しませ 罪人のように後悔させ苦しませ そして、廃人のように狂気に駆り立てる 男は頻繁に渇きを覚え水を飲むが どんなに飲んでも決して癒されないことを知る やがて男は自分がXX地獄に落ちたことに気づく 母親とはぐれ、道に迷い、途方に暮れ 森に迷い込んだ幼な児が泣いているというのに なぜあなたがたは助け出そうとしないのですか ざわめきを求めて グランドは春の小雨に煙っている 三十年前と少しも変わっていない その舗装道路の荒れぐあいも いま目の前の、機械工学科棟に入って エレベーターに乗って四階行きのボタンを押しても そのなれた手つきにだれも部外者だとは疑わないだろう すべてはまるで昨日のことのようだ でもドアのガラスに映る顔は確実に中年のそれだ わたしの子供のような学生が歩いている みんな屈託なく満ち足りているようだ どことなく、幸せのあまりか、笑みを浮かべているようにさえ見える ゆっくりと通り過ぎる家並 そっくり昔の姿で、または少し形を変えて残っているものもあるが 跡形もなく消え去っているものもある その残っているものもほとんとどが人の住まない廃屋となっている XX川は谷深く冷たく音を立てて流れている あのころはこんなにも寂しい川ではなかったはずだが いったいわたしのなにが変わったというのか この際消えたいものはみんな消えてしまえば良いのだ あのころ抱いていた夢や希望は これが本当にひとりで歩くということなのか そして、今、過去を大事にしてこなかったものへの刑罰が下る 百年たっても今日と同じように川は流れているだろう 風景は少しはその形を変えながらも面影は残しているだろう でも、この目の前の町並は跡形もなく消え去っているにちがいない そして、人々の記憶からも消え去っているだろう わたしは今まで色んな所を歩いてきたが あまりにも多くの、二度と会うことのない風景を残してきた みんな懐かしく忘れることはできない どんなに急いで歩き回っても、どんなに速足で走り回っても すべての風景を目の前にとどめておくことはできない そうしたいなら、わたしは一生歩き続けていなければならないだろう もしかしたらわたしは、このままずっと独りで歩いていたほうが良いのかも知れない そうすればいつの日か、きっと風になり いつでも好きなときに、自由にどこにでも行って 会いたい風景と人々に会えるにちがいないから XX寺 東の山に、子供のころからずっと見ていたのだから きつと西の野に見えるはず。畑仕事をする母の姿が もし光が旅をするなら この町で一番大きなデパートの角を曲がると 突然のように歌声が響き渡る 昼間でさえ人通りが少なく 夜になるとさらにまばらになる この退屈しかけた通りに かつて渋滞するほど車が行き交い 歩道にはあふれんばかりの人々で賑わっていたこの通りに どんなに煌々と光を放っていても 寂しさを隠しきれないこの通りに 二人の少女は歌い続ける ときおり通る人々も立ち止まることはない それでも少女たちは歌い続ける 親子連れが通り過ぎるが、相変わらず関心を示さない だが、果たしてそうだろうか 響き渡る少女たちの歌声が この夜の空間を充実させ活性化するからだ 見よ、さきほど通り過ぎた少年が なんどもなんども振返って見ているではないか その親たちも今夜の偶然の出会いを決して忘れることはないだろう 少女たちの抱えきれぬ不安や孤独を あたかも自分のことのように思うものは そこから離れて薄暗い路地に入ったとたん なぜか溢れ出す大粒の涙を止めることができない 少し離れたところで客を待つタクシードライバーは かすかに響く歌声を耳にしながら 不思議にも通りが息を吹き返していることに気づき かつてのように人ごみで賑わうことを夢見る わたしたちがやることで無意味なものは何もない こんなにもいたるところに真実があふれ 真実だらけのこの世界に 雨上がりの水溜りを好んで歩こうとする 幼児の行為は無意味だろうか 炎天下のもと、猛スピードで走り抜ける車のわきで 草取りをする老人のように どんなにからかわれても、作業の手を休めて 移り変わる四季の雲を眺め続ける 青年の行為は無意味だろうか もう子供じゃないんだからとなんど言われても 毎日わが子を見送り続ける母親のように 駅前の人工池に流れ込む小川のせせらぎや ペットショップから聞こえてくる小動物の鳴き声が だれの耳にも届かないことがあろうか 夕方、ブランコのきしむ音や子供たちのはしゃぎ声が 住宅街に響き渡るように 身のまわりにあるもので わたしたちと関わりのないものは何もない 道端の石ころや名もない小さな花が トタン屋根に鳴り響くにわか雨の音が なにもわたしたちに与えないことがあろうか 大人たちから与えられるだけで、なにも与えていないかのように見える 子供たちのように やがて少女たちの姿は見られなくなるだろう だが、彼女たちの歌声を一度でも耳にしたものは この通りを通るたびに、聞こえない歌が いつまでも響き渡るのを聞くだろう 屋根が風に壊れ、柱がさび付き、通りが完全に朽ち果て 往時の名残をとどめなくなるときまで 何故なら少女たちの歌声がこの通りに記憶され この通りの秘密の宝になっているから そして少女たちの歌声は忘れ得ぬ思い出のように 人々の心に行き続け、何気なく語り続けられ いつの日かきっと、他のだれかの姿を借りて 少女たちの夢が結実するだろう 何故ならわたしたちは目に見えないところで深く結びつきあっているのだから トップページへ戻る |