第十悲歌

   

          小礼手与志






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わたしはずっと夢見ていた。

いつかきっと、ふるさとの田園風景を見渡せる高台に上り、
空には、乳白色の雲がぽっかりと浮かび、
遠くの、紅葉に彩られた山並みはかすみ、
その山のふもとからは、稲の刈り取られた田んぼが広がり、
そして、そのところどころには、籾殻を焼く煙が立ち昇り、
ときおり、草の陰のように農婦が動いている、
そんな風景を、
いまだに何者でもないわたしが、
あの人に認められて、
ぼんやりと、しかし、満たされた気持ちで眺めているのを、

だが、わたしはいっこうに、この繁栄の町から逃れられずにいた。

わたしは日々憂いを深め、
ふくらみすぎた風船のように空しさを抱えながら、
はぐれた幼な子のように寄る辺なかった。

そして、この目の前から何もかも遠ざかってしまうような不安におびえながら、
いくたびも、人知れずうずくまり頭を抱えていた。

はたして、そのときわたしは、
広場を吹き抜ける風ほど伸びやかだっただろうか、
刈り払われた夏草ほどみずみずしかったのだろうか、
それとも、道端に立ち昇る陽炎ほど確かだったのだろうか。

わたしはかつて、
会社に行くためにバスから降りたとき、
若葉をいっせいに揺らす風が吹いていた、
あまりにもそれが爽やかだったので、わたしはずっと吹かれていたかった。
でも、わたしは仕事に行かなければならなかったので、
「そのうちにまた吹くことがあるだろう。」と考え、
わたしは会社に急いだ。
だが、そのときの風は、もう二度と吹くことはなかった。

あの日、わたしは、初めて訪れた町で、両側を平屋住宅に挟まれた狭い坂道を下っていた。
そして、突然のように目の前に広がった海に、わたしは心を奪われた。
そこから、それまで味わったことのないような自由や生命力を感じ取ったからだった。
わたしはそのままずっと見ていたかった。
しかし、次の日は受験だった。
そこで、わたしは、
「いつかまた見る機会があるだろう。」と考え、その場を離れた。
だが、あのときの感動は、もう二度と味わうことはできなかった。

そのとき、ゆっくりと走る電車の窓から外の景色を眺めていたわたしは、
ビルの隙間からのぞいた桜の花に目を奪われた。
わたしは途中下車して、そこに向かった。
「どんなに美しい光景が、そこで待ち受けているのか。」と期待に胸を躍らせながら。
だが、そこには、酔っ払ってけんかをし、大声でわめき散らす者がいるだけだった。

二十世紀の半ば、永遠の平和が日本に訪れた。
傲慢な野心と尊大な支配欲に突き動かされ、
幾多の破壊と殺戮を繰り返してきた、
暗く絶望的な諸民族の熱狂が、
悪魔も尻込みするような、さらなる破壊と殺戮によって鎮められ、
その熱狂に遅れて参加したわたしたちの父たちに、
その破壊と殺戮のすべての罪を背負わせながら、、、、

そして、わたしたちは、
春先のみぞれ混じりの嵐が過ぎ去った後に、晴天が現れ、
その暖かい日差しを受けて、若草がいっせいに萌えいずるように、
地から湧き出るように生まれてきた。
やがてわたしたちは、毎日のように、
西の空が赤く染まるまで、朗らかに歌を歌いながら、
軽やかに飛び跳ねるようになっていた。

その永遠に続くかのような平和のもと、
人間の欲望と意欲は熱烈に歓迎されるものとなり、
民族の繁栄は必然となった。
社会はより効率的となりますます便利になっていった。
店先には商品があふれ、
生活は加速度的に良くなっていった。

都市には昼でも夜でも人々が集まり、賑やかさにあふれ、
わたしたちを退屈させないように、
五感を刺激する快楽を次々と作り出して行っては、
昨日の風景が思い出せないくらいに、めまぐるしくその姿を変えて行った。

そして、どの華やかな通りにも、
手を伸ばせば今にも届きそうな感じで、
そのしなやかな肉体をくねらせるように、踵の高い靴の音を響かせながら、
さっそうと歩いている美しい女性があふれていった。

そして人間の自由と平等を愛し、
集団よりも個人を大切にする新しい思想に満ち溢れていた。
その新しい思想は個人の確立を重要視していたので、
他人を思いやりながらも、他人と競いながら、自分を高めアピールし、
精力的に働くものなら、誰でもより幸せになり、
より豊かになれることを約束していた。

さらなる繁栄は、わたしたちに空前の豊かさをもたらした。
その豊かさは人々を穏やかにし、余裕を持たせ、さらなる夢と欲望を育んだ。
そして人々の夢は際限なく拡大していき、
はるか上空を越えてロケットに乗って星々の間にまで散りばめられた。
希望は高速道路を走る車によって全国至る所にばら撒かれた。

そしてわたしたちの社会はますますわたしたちの意見によって作られるようになり、
差別も不正も貧困も病気もだんだん少なくなっていき、
より住み良く長生きができるようになっていった。

さらに社会は豊かになっていき、福祉政策が充実するようになり、
それまでわたしたちを苦しめ悩ませていた孤独から来る寂しさや、
容赦なく襲う突然の悲しみから開放されるようになっていった。

そこでは、誰もがみんな幸せになれると思っていた。というのも、
わたしたちが戦争を絶対悪とみなして、平和を願い、
平和を望むことによって、平和が続くものと思っていたからだった。
そして、そのようなわたしたちの考えこそ、世界の先頭に立つ思想になると思っていた。
さらに、わたしたちの繁栄は、わたしたちが世界に稀に見る勤勉な国民であることからして。

そしてわたしは、
時代の要請を受け入れるかのように、そのような思想にどっぷりと漬かり、
自己を確立するべく、まずは自分についてよく知り、そして他人についてもっとに知り、
さらに社会について、悪戦苦闘しながらも深く学んでいき、
常識を持った普通の大人として振舞えるようになっていった。

それなのに、、、、


わたしは十九歳のとき、
日差しの穏やかな秋の日に、
深く長い思索の結果として、しかも突然のように一つの洞察を獲得した。
生と死には絶対的な違いがあるという洞察を。
死んだら何も残らない、今こうして生きていることがすべてであるということを。
この世に存在していることが、喜びであり楽しいことであるという根本的な洞察に基づいて。

わたしは繁栄を受け入れた。新しい思想とともに。
そして、より豊かな生活を求める人々と同じように働き幸せになることを願った。

だが、わたしはいつまでたっても不安を覚え、満ち足りた気持ちになることはなかった。
わたしは時間とともに、その豊かさや楽しさの背後にひそむ虚無感を感じるようになっていた。

それまでわたしはずっと、わたしが立っている場所は、
豊かさと喜びと希望と生命力に満ち、正義と公正と平等にあふれた、
輝かしい通りに面したところだと思っていた。
だが、よく見るとそこはもう一つの通りが横切る交差点だった。
そこにはこの世のあらゆる死とあらゆる悪とあらゆる悲しみが溢れ、
暗く寂しく、人間を蝕む忌まわしいすべての感情がうようよしていた。
そして、その通りの様子が気になるあまり、わたしは知らず知らずのうちに、
他の人たちと同じような足取りで前に進むことはできなくなっていた。

わたしは悩みを深め、迷うばかりだった。

それでもわたしの周りには、いつも知恵に溢れた伝統的な古い思想があった。

その古い思想は新しい思想のように人々には人気がなかった。
それは、人間は、個人の努力や意志力によって成長することができ、
物事にあまりこだわらない豊かな気持ちになって、不安や悩み事から解放されて、
子供のような素直な心で自信を持って生きられるようになり、
最後は安らかに死ぬことができるというものだった。

だから、その新しい思想と古い思想から学んだものは、
平和と平等を愛し、悪と不正を憎み、知識と教養を身につけ、
時計のように規律を重んじ、いつも明るく笑顔で振る舞い、
他人を思いやり、他人と語り合いながら自己を高め、ゆるぎない自己を確立して、
他人の模範となって、エンジンのように休むことなく働くものは、だれでもが、
より豊かにより幸せになれることが約束されていたはずだった。

だが、それでもわたしは幸せからはほど遠く、少しも安らぐことはできなかった。


わたしはいつも自分のこと以上に他人のことが気になっていた。
人々は自分でもその原因がよく判らずに悪を行い罪を犯していた。
むしろそれは善と正義を目指したために起こることでもあった。
また人々は突然の名状しがたい死におびえていた。
そして耐え切れない空しさに襲われて自ら死を選ぶものもいた。
さらに、あらゆる自由が保障されているにもかかわらず、その自由を忌み嫌い、
自由に生きることができない人々がいた。

わたしの横を通り過ぎる人々は、
道路を猛スピードで走る車や、規則どおり動くコンベアのように、
プラスチックのような表情と乾いた会話を残して行った。

どんなに言葉巧みに世界の飢餓や戦争を冷静に、そして論理的に語っても、
それが世界から消えてなくなることは決してなかった。

わたしはますます困惑を深めていくばかりだった。

みんなと同じように冷静に論理的に語っても良かったのだったが、
どうしてもそうすることはできなかった。

その古い思想は実際なんの役にも立たなかった。
星々の間にちりばめられた夢は、膨大な空虚をはらんでいた。
全国にばら撒かれた希望は、わたしたちの犠牲の上に成り立つ、
幻のように、見せ掛けのようにわたしたちの目の前を通り過ぎていく欲望に過ぎなかった。
それらは大きければ大きいほど、より大きな空しさを孕んでいるものでもあった。

それだけではなかった。
わたしは人間として少しも成長していなかった。
突然いらだつ、怒りを覚えて、意味もなく怒鳴り散らしたりて、
なんども他人といさかいを起こしていた。
そして、そのたびに、耐え難い孤独と激しい後悔の念に襲われ、
自分はこのままでは壊れてしまうのではないかと言う不安にさいなまれていた。

こんなことがあった。

新しい思想は、人間は生まれながらにして平等であるということから、
人間を差別しないことがもっとも好ましいとされていた。
だから、わたしは何者であるか、その印をつけることを積極的に嫌い、
上の者も下の者も、できるだけ平等に扱うことを心がけた。
だが、それは、結果的には、内部だけではなく、外部にも混乱をもたらすだけだった。
またあるとき、わたしは、人に何か物を教えるとき、
身分的で暴力的で何も言わない方法よりも、
筋道立てて言葉で教えるほうが人間的民主的と考えていたので、
そういう環境を好むものがより多く集まってくるに違いないと思い、それを実行に移した。
だがそれはわたしの浅知恵から来るまったくの間違いだった。
人間が集まって来て賑わいを見せるどころか、
周囲に不機嫌そうな沈黙を撒き散らすだけで、何の効果も挙げるものではなかった。
またあるとき、わたしは、ほかのグループに有利な立場を譲った。
それは自分の心の広さと謙虚さを示したものでもあった。
だがそれは、わたしのとんでもない勘違いだった。
なぜならそれは、個人同士には当てはまる美徳だったかもしれないが、
集団同士にはまったく当てはまらないものだったからだ。
結局、そのことは、グループ内部に激しい不満を巻き起こしただけでなく、
取り返しのつかない不利益をもたらしただけだった。

わたしはさらに悩みを深め、不安になり、空しく迷うばかりであった。

もしかしたら、わたしは古い思想にこだわりすぎていたのかもしれなかった。
そしてそれが心をいつになっても満たされないものにしているのかもしれなかった。

というのも、わたしがその古い教えに従い、
物事にあまりこだわらないようにし、いつも頭の中を空っぽにしているせいか、知らず知らずのうちに、
その空っぽの頭の中に進入してきたいろいろな物が、我が物顔に振舞う傾向があるみたいだったからだ。


わたしは毎日のように押し寄せる孤独や苦痛を、何とか受け入れ、
絶望や不安にさいなまれようが、どうにか耐えることはできる。
でも、夜寝ている間にわたしの頭の中に忍び込んで来る物はどうすることもできない。
そのためわたしはいつも激しい苦痛を感じながら目覚めなければならないのだ。
そしてわたしは必死の思いで、わたしの頭の中から、
その毒草を一本一本引っこ抜き、悪霊と狂気を追い払わなければ、
わたしは正気に戻ることはできないのだ。

わたしは他の人とどこか違っているのだろうか。
外見はほとんど変わっていない。行動も特別ではない。
群集に紛れれば、わたしはすぐに他の誰かと区別がつかなくなってしまう。
というのも、わたしは目立つことがあまり好きではないからだ。
そしてみんなと同じように平和と平等を受け入れ、
勤勉に働き、みんなと同じように豊かさを求めていた。


それなのにわたしには、みんなの方がわたしよりも、
比べ物にならないくらいに満ち足りているように見えた。
いや、それともみんなはわたしと同じ気持ちだったのだろうか。
そして、みんなはあえて幸せそうに振舞っていたのだろうか。

わたしはいつも、気がつくとみんながわたしから遠ざかっていくような感じがしていた。
それは、わたしはみんなと同じように
世の中の出来事を熱狂的に受け入れなかったことからも知ることができる。
なぜなら、みんなが両手を振りかざして、満面の笑みを浮かべて、
そのものにいっせいに走り寄って行くとき、立ち止まっているわたしは、
みんなから見ればきっと後退しているように見えるだろう。
いや、人によっては積極的に反対しているように見えるはずだ。


たしかにわたしはみんなと少し違うところがあった。たとえば、
わたしは欲しい物を求めるとき、決して行列には並ばなかった。
電車に乗るとき、毎日決して同じ場所からは乗らなかった。
政治について意見を求められても、決して一票以上のことは話さなかった。
みんなのように歌は歌わないし、ダンスもうまくお踊れない。
新聞も週刊誌もあまり買って読まない。
そして、みんなよりも少しは寂しいことや悲しいことに耐えることはできる。

でも、そんなことが、わたしの不安や焦燥や苦痛の原因になるとは思えないのだが。


その他にも、たしかに違うところがあった。
みんなといっしょに酒を飲んで不満や愚痴を言うのは好きじゃなかった。
群れて騒ぐ祭りはあまり好きじゃなかった。
その日に起こった問題をその日のうちに解決しないで眠ることはできなかった。
買ったものを大事にすることができなかったので、できるだけ物を所有しないことにした。

わたしは、みんなと同じことをやらなくても生きていける人々の仲間に入ればよかったのかもしれなかった。
でも、わたしは涼しい顔をして悲しみや苦しみを言うことができなかった。
わたしは、孤独や不安はそれほど苦ではないので、
人間との接触を避け、常に心を平安に保つことができる、
職業や場所を択んで生活すればよかったのかもしれなかった。
でも、わたしは、自分にとって心の平安がどれほどの意味があるのか判らなかった。
つまり、自分だけの心の平安が、、、、


そして、突然のように、苦しみの底が割れ、
いまだ経験したことがないような苦痛がわたしたちを襲う。
わたしはうろたえながら思った、
わたしたちは苦しみから解放されたはずではなかったのかと。

さらに、突然のように、空しさの底が割れ、
いまだ経験したことがないような空虚感がわたしたちを襲う。
わたしは途惑いながら思った、
あんなにたくさんの消費物質に囲まれて、
わたしたちは豊かで満ち足りていたはずではなかったのかと。

さらにまた、突然のように悪の底が割れ、
かつては考えられなかったような犯罪が繰り返されるようになった。
わたしはその不可解さに頭を抱えながら思った。
豊かで平和で心穏やかな人たちに囲まれて、
わたしたちは誰もが幸せになっていたはずではなかったのかと。

そして、子供たちは、教育と躾の名の下に、
かつて経験したことがないくらいに痛めつけられ、
その自由で伸びやかな感性が奪われ喘ぎ苦しんでいる。


当時、わたしの心を最も引き付けていたある噂があった。


それは有史以来決して人前に姿を現したことがない者が死んだという噂だった。
そこでわたしは、ほうぼうを駆けまわり、必死にその死体を探したが、
ついにどこにもそれを見つけることはできなかった。
いや、それどころか、世界中のいたるところに、
その決して人前に姿を現さないものから選ばれた人たちがたくさんいた。
というと、その噂は間違いで、あの者は決して死んではいなかったということになるのか。

だが、もし生きているというなら、どうして人間はこんなにも苦しい思いをしなければならないのか。


突然のように死神が現れ、理由も告げずに情け容赦なくわたしたちから生命を奪っていく。
わたしたちは激しい苦痛に襲われ、周囲に悲しみだけを撒き散らして死んでいく。
その苦痛がどんなものか、永遠にわからない。
なぜなら死んだものは何も語らないから。わたしたちの最後が、苦痛だということに、
いったいどれほども人間が耐えられるだろうか。


でも、それはまだ良いのだ。
その決して姿を現さないものの芸術作品といわれている子供たちでさえも、
激しい苦痛の中で死んでいくというのはいったいどういうことなのだ。
なぜ、まだ生きる喜びも楽しみも知らない子供たちが、
もがき苦しみながら死んでいかなければならないのか。
なぜわたしたちは、傷つけられ、胸部に震え、泣き叫ぶ悲鳴を聞き続けなければならなかったのか。


わたしは混乱し迷いを深めていくばかりだった。
そして、憂いは深まり、はぐれた幼な子のように不安なるだけだった。

なぜ子供たちは、大空を翔け渡る鳥のように、自由に軽やかに飛びまわることはできないのか。
子供たちは鳥たちよりも優れているはずなのに。


子供のとき、わたしは親の言いつけを守る素直な子だった。
だからわたしは近所の女の子といつも仲良く遊んでいた。
だがそれを見ていた周りのものがよってたかってわたしたちを引き裂いた。
いったいあれは誰も仕業だったのか。
そして、わたしが青年になったとき、わたしはある少女と仲良くなった。
わたしたちは兄妹のように穏やかに親密に、青春の憂いや不安から開放されたかのように、
時の経つのも忘れてお互いの未来や夢について語り合った。
あるとき、、わたしたち二人の間に奇跡のような出来事が起ころうとしていた。
それはまさに時間が止まってしまったかのように思われる瞬間だった。
だが次の瞬間わたしたちは永遠に引き裂かれた。

いったいあれは誰の仕業だったのか。

わたしは事あるごとに、テレビニュースのように社会の不正を批判し、信念のように自分を主張した。
だが人々は面倒なことには関わりたくないという風な顔をして、わたしから離れていくだけだった。
わたしは他人に厳しくすることが苦手だったので、トラブルは話し合いによって解決することにして、
できるだけ優しく接することにした。
だが、人々は張り合いがなさそうな顔をしてわたしから離れていくだけだった。
わたしはあるとき、常に上司に対する不安で渦巻いている人々の中にいた。
その通りだと思ったわたしはそのことを堂々と抗議した。
だが、だからと言って、周りの人々が、わたしに味方してくれるわけではなかった。
むしろ変わり者を見るような目をしてわたしから離れていくだけだった。
わたしはずっと、不公正を遠ざけ、平等に接し、
穏やかな気持ちで穏やかに振舞えば周囲を穏やかにすると信じていた。
だが人々はそうは見なかった。
ある者はそれをやり易さ、付け込み易さと受け取った。
だから、わたしは侮られないために、言葉遣いが荒々しくなり、動作も乱暴に野卑になっていった。

わたしは、新しい思想の要請にしたがって、自分というものを持とうとしていたのに、
自分というものをもたない周囲の人々と何も変わらない人間に、
知らず知らずのうちになっていることを気づかされ始めていた。

揺るぎない考えに従って行動していれば、
人間は年を経るに従って心穏やかに自信を持って生きられるという古い思想の教えに、
憤りにも似た激しい疑念を抱きながら、
わたしは途惑いますます苦悩を深くしていくだけだった。

だからわたしは、あのガラスだまのような冷たい目をした奴を思い浮かべるしかなかった。
奴の実在を疑いながらも。

そして、突然のように、夢と希望の天蓋はひび割れ、砕け飛び、
プライドと羞恥心と思いやりを巻きこみながら星と共に消え去った。

わたしは気づき始めていた。
まぶしすぎる光には、より深い暗闇が潜んでいるように、
星々の間にまでちりばめられた夢には巨大な空虚がその背後に控えており、
高速道路に乗って全国にばら撒かれた希望には、
とどまる事を知らない無際限の欲望がその裏側に控えていることに。


わたしは実際ずっと自由だった。
だから、なりたいものにならなんにでも慣れるはずだった。
しかし、わたしは、なんににもならなかった。
それは、わたしが更なる自由を求めていたからか、
それとも、わたしが自由をもてあましていたからなのか、、、、
わたしはずっと古い思想と新しい思想の教えどおりに、
自己の確立を目指しながら、自分というものを知り、
さらにそれ以上に他人というものを知り、
わたしは自分というものに幾分かの自信がもてるようになっていたはずだった。
だから、わたしは将来に対する不安から開放されるはずだった。
それなのに、、、、


かつてわたしたちはすべての人たちが平等になることを望んでいた。
そして、それもある程度達成された。ところが、いざそうなってみると、
みんなはそこに何か居心地の悪いものを感じるようになっていった。
なぜそうなるのか、、、、
水は水位差があればあるほど激しく流れ、
そこから膨大なエネルギーが生まれることは確かだった。
人間は悪いことを行うとき、誰一人としていま自分は悪いことをしていると思ってやっているものはいなかった。
むしろ自分は積極的に良いことをやっていると思っているものさえいた。

わたしは何がよいことで、何が悪いことか判らなくなっていった。
そしてわたしはますます混乱し憔悴し迷いを深めていくばかりであった。
だが、そんなわたしに対して、誰も答えを出してくれるものはいなかった。
そこで、わたしはますます孤独を深めていくばかりだった。

だからわたしは、あのガラスだまのような冷たい目をし、
時折黄色い歯を見せて笑う奴と通じるしかなかったのだ。
というのも、わたしが疑問に思うことを質問すると、
みんなは面倒なことには巻き込まれたくないといったような顔をして、
みんなわたしを遠ざけるようになっていたからだった。

やがてわたしは確信し始めていた。
光が強ければ強いほど濃い影を作るように、
山は高けれは高いほど深い谷を作るように、
善と悪は相対的なものであり、
水を役立てるためには低い所が必要であるように、
熱を利用するためには冷たさが必要であるように、
善にはそこに寄り添うような悪が必要であることが。


だから、わたしはもう、自己の確立とか人格の完成などと、そんな質面倒くさいことは忘れて、
周囲の人たちに合わせるように、みんなと同じような行動をすればよかったのだった。
なにせ、普通に働いてさえいれば、たとえそれが、
それを手にしたときのありがたみがそんなに感じなくても、
ほしいと思うものは何でも手に入れることはできたし、
最低限の礼儀作法を心得ていれば、他人とトラブルを起こすことなく、
ときたま見知らぬ人から親切にされても、それほど感謝の気持ちを感じることなく、
みんなと同じように生活することができていたし、
飢餓に苦しむ子供たちの姿をテレビニュースで見ながら、
食べたい物をたらふく食べることができていたのだから。


でも、確かにそれはそうなのだが、、、、


 いつしかわたしは、奴と出会うことをひそかに願うようになっていた。

そこでわたしは、わたしのそれまでの経験から推し量って、奴が好んで出歩きそうな、
薄暗い裏通りとか公園の片隅とかを頻繁に通るようになっていった。  

そこは、社会に受け入れられなかったものたちや行き場を失った者たちが集まっていて、
不器用な悪巧みから狡猾な悪巧みまであらやる悪や犯罪がはびこり、
恐怖と暴力と退廃に支配されながら、弱い人間同士がお互いに苦しめあう場所だったからだ。
それに、それらのすべての原因が奴の所為だと思っていたからだった。

ところが、そんな場所のどこを探して歩いても、奴の姿を発見することはできなかった。
それどころか、そこには、原始の欲望を刺激する赤い花が、
全身から、そのかぐわしい香りを放ちながら、
その追い詰められた生命を必死で生きるように、
豊かでないながらも、かすかに希望の光を灯しながら笑顔を絶やさずに、
決して夢をあきらめることなく、奴が付け入る隙がないくらいに、
今日を生きる喜びに満ち、ひたむきに生きている人たちで溢れていた。

さらにわたしは、奴が最も好みそうな場所、葬儀場の周辺に、奴の姿を探し求めた。
そこはいつも厳粛な雰囲気を漂わせながら、
悲しみと絶望に打ちひしがれた人たちで溢れていた。
だが、奴の姿をついに発見することはできなかった。
それどころか、葬儀場の出入りロから喪服のミニスカートを履いた若い女性を目にしたとき、
わたしは恍惚としてめまいを覚えながら、
そのとき、宇宙が振動し、星々が衝突し、天が割れ砕けたような感じがしていた。

さらにわたしは、奴の姿を求めて悲惨極まりない災害現場をうろついた。
そこには家を失い家族を失い、絶望し悲嘆にくれている人たちで溢れていたが、
わたしはどこを探し求めても奴の姿を発見することはできなかった。
それどころか、何もかも失ったように見える瓦礫の山から、
陽炎のように立ち上る新たな創造のエネルギーを感じ取るばかりだった。

その後もわたしはことあるごとに奴の姿を探し求めたが、でこにも見つけることはできなかった。

だが、ついにある夜、わたしは奴を発見した。
そこは夜の色とりどりの照明と、華やかなネオンサインに照らしだされた人通りの激しい駅前通りだった。
それは痩せ型で長身の身なりのかなりきちんとした男だった。
男は、どこと泣く陰気な雰囲気を漂わせながら、通りの反対側にときおり鋭い視線を送っては、
老木の黒い影のように歩道の脇に立っていた。
その所為か、通り過ぎる人々は誰も彼に目をやるものは居なかった。
だが、わたしは、その男の冷たすぎる目の輝きから投げ出されるその鋭い視線や、
あまりにも無表情すぎるその表情から、彼が、
わたしが長い間探し求めていた奴だということを直感したのだった。
直視することに不安な気持ちにさせるその男の様子をじっと見ていると、
その男の視線の先には華やかに装飾されたケーキ屋があることがわかった。
わたしはとっさに絶望的な不安にとらわれた。
なぜなら、その店には一人の少女が働いていたからだ。
わたしはその少女がどんな娘であるかを知っていた。
店に入ってくるお客に応対するときのその笑顔が、
世界や他人のことをまったく疑うことを知らない純真無垢な子供のようで、
わたしはその前を通るとき、今日はどんなだろうと、
いつも中の様子を見ざるを得なかった。
そして偶然にも、その笑顔を目にすることができたときには、
心のそこから安堵感を覚えながら満ちたりた気持ちになるのだった。
そう感じるのは決してわたしだけではないはずだ。
彼女を見るものは誰でも、きっとわたしと同じように喜びと元気を与えられているはずだ。

わたしはその不気味な男を見ながら、どんどん不安な気持ちになっていくのを感じていた。
あの少女がわたしたちを魅了したように、あの男をも魅了したに違いないと思ったからだった。


その男の鋭い視線は確実に少女の姿を追いかけていた。
そして、少女が店の奥に消えると、その男はかすかに表情を緩めながらゆっくりと瞬きをして、
歩道のほうに向き直ると、何事もなかったかのように歩き出した。
わたしは、その男が、わたしが捜し求めている男であると確信すると同時に、
その男のたくらみも確信した。
わたしは波のように押し寄せる不安で怖気つきそうになったが、
勇気を振り絞りその男の後を追った。

わたしはそれまでずっとやつの存在には半信半疑だった。

歩きながらわたしは、そう言えばあの黒い影のような男を、
今までに何度か見たことがあるような気がすると思った。
でも、そのときはわたしの錯覚だと思っていた。なぜなら、
その場所はいつも喜びに満ち溢れた入学式場や結婚式場だったからだ。
こんな場所にあんな不吉な男が現れるわけはないと思っていたからだ。

わたしは常に数メートルの距離をを保ちながらその男の後を歩き続けた。
その男はしばらくの間華やかな表通りを歩いていたが
、突然のように人通りの少ない薄暗い裏通りに入った。





   二部に続く