第十悲歌(三部) 小礼手与志 一部 二部 期待していたような答えが得られなかったために、わたしは少し落胆し反発を覚えながらも、その男の機嫌を損ねることを恐れて、それを悟られない様に冷静に言った。 「それじゃ、この世界を悪くしているのは、いったい誰なんだろう。何が原因なんだろう。」 「そんなことオレにはわからんよ。考えたこともない。お前たちがひどい目にあって苦しんだり悲しんだりするのを見て楽しんでいるこのオレが、この世界が悪くなればなるほど、混乱すればするほどいいと思っているこのオレがだよ、この世界を悪くしているという、その原因を考えるわけないだろう。でも、そんなに聞きたいなら言っても良いがな。これはオレの単なる思い付きだが、ひょっとしたら、この世界を悪くしている真の原因は、お前たち、いかにも善良そうなお前たち自身にあったりしてな。どう、不満かな。」 「不満ではないが、納得はできないです。この世界を少しでも良くしようとしているわたしたちが、諸悪の根源だなんて到底考えられない。それから、わたしたちの考えや意識が世界を変えていないなんていうのも、まったく考えられないですよ。もし、あなたの言うとおりだとしたら、それはお金だということですか。お金がわたしたちの世界を平和で平等で民主主義の社会にしているということですが。そんなことはありえないですよ。もしそうだとすると、わたしたちがそれを実現することを目標として行動している正義とか真実とかいうことは何の意味も持たなくなりますからね。」 「はっ、またでた。正義だと、真実だと。ふっ、オレはお前たちがその言葉を言うといつも大笑いをしたくなる。なんと言う愚か者なんだろう、なんと言う偽善者なんだろうとね。でも、まあ、そのおかげで俺はお前たちを罠にかけやすいんだけどな。それはお前たち、思考好きな者の悪い癖だ。何か良いことや正しいことは、それだけにとどめておけば良いのに、すぐそれよりいいこと、それより正しいことを求めようとする。そしてそのことをいろんなことに当てはめて拡大して体系化して普遍化しようとする。それは結果的にはどういうことになるかというと、悪いことも体系化し普遍化して、この世界から意識的に排除しようとしていることになることに少しも気づいていないということなんだよ。そういう自分たちだけが正しいんだ、自分たちがこの世界から悪を追放するんだという無自覚で傲慢な態度が、何の責任のないものに責任を負わせようとすることにつながるんだ。お前たちが偽善者だというのはそう云うことなんだ。 つまり、この世から悪や不正をなくそうとしていながら、結局は悪や不正がなければ身動きが取れない、そこで心の奥底ではひそかにそれを必要としていることがな。それはまるでこの世から貧困や不公平をなくそうとしているものが、その活動を続けていくためには、貧困や不公平がこの世界に存在し続けることが必要であるみたいにな。それから医者や弁護士も同じことだ。彼らはこの世から病気やトラブルがなくなることを願っているが、本心はそうではないはずだ。だって、病気やトラブルがなくなったら、彼らは生活出来なくなるからな。それから、悲惨な事故や事件を取り上げるマスコミや、不正や悪を追及する評論家も似たようなものだ。彼らは顔をしかめて嘆き悲しみ、そして声をそろえて、批判し、最後には、こんなことは二度と起こらないことを望むとは言っているが、もし本当に起こらなかったらどうするんだろう。何もすることなくて退屈で退屈でしょうがなくなるだろう。 ところで、こんな話はどうだ。ある若者がいて、その若者の母親が再婚しようとしていた。普通だったらというか、建前上は、母親が再婚する相手は、母親を幸せにできるような、立派な大人であることを望むものだが、でも、その若者は心の底から、その男が尊敬に値しない大人であることを望んでいた。だから、実際に母親の再婚相手に会って、その男が社会的地位もあり素晴らしい人間であると判ったときには、けっして母親が幸せになることを望んでいないわけではなかったが、その若者はひそかに絶望し落胆したということだ。どうだ。ふん、お前たちが大切にしている正義とか真実とか言うものは、所詮そんなものよ。誰にもほんとうのことなんか判らんよ。人間の知恵なんてカラスとたいして変わらないんだから。」 「あなたにも本当に判らないんですか。」 「判らんよ。オレはとにかく、人間が苦しんだり悲しんだりすることにしか興味がないからね。それにオレはお前らと同じ人間だからな。」 「では、その答えを判っているのは、あの方、わたしたちを作ったといわれているあの方、決してわたしたちの前にその姿を見せないあの方が知っているということになりますかね。」 「はっ、また、あいつのことか。お前はやっぱりオレよりあいつのことを信じているんだな。オレのことを信じているような振りをして近づいてきて意見を求めたくせに。だから最初からお前らみたいなのと話をするのはいやだったんだ。それをうるさく付きまとうからしょうがなく付き合ってやったのに。」 「いや、あなたのことを信じてないというのではなく、言うことがあまりにもとっぴなことなので、納得できないというか、よく判らなかっただけです。」 「それが嘘だというんだよ。お前はずっとオレの眼を見て話していない。それはお前がオレに何かわだかまりを持っているという証拠じゃないか。つまりオレをちっとも信じていないのに、信じているという振りをしているやましさがな。何にもないならオレの眼を見れるはずだ。それとも怖いのかな。」 「わたしがあなたの眼を見て話さないのは決して怖いからではなく、あなたの眼の中に冬の荒野のような寒々としたものや、悲しみ、いや、言いようのない寂しさを感じるからです。」 「はっ、このオレが寂しいだと。友達もいなくてオレの所に泣き付いてきたお前のような人間に言われたくないわ。俺は毎日が忙しくて忙しくて、楽しいことで満ち溢れているんだ。だから、お前がオレの言うことをそんなに納得ができないと言うのなら、もう話すのはやめても良いんだよ。せっかくヒントらしいものを出してやったというのに。お前以外と物わかりが悪いんだな。」 「でも、この世界を悪くしているのは、誰でもないとか、わたしたちの意識が社会を良く変えていないなんて言われると、やっぱりどうしても納得ができませんよ。それで、そのヒントというのは何ですか。」 「それは、すべての原因はお前たち自身にあるんではないかということだよ。」 「まさか、どうしてわたしたちに。」 「お前たちのそういう真面目なところにね。お前たちのそういう努力してがんばるところにね。お前たちのそういうバカ正直なところにね。とくに、少しの悪も不正も認めようとしない完全主義者的なところにね。」 「、、、、、、、、、、」 「まだ、納得できてないみたいだな。お前たちはこの世界に何か起こると、すぐ自分たちが勝手に思い描く理想社会に照らし合わせて、これは悪いことだ良いことだと判別して、悪いことは徹底時に排除して良いことだけをやろうとする。ひたすら真面目に努力してがんばってな。これはとても良いことをやっていると思ってな。そしてそれを良い事だということで世界に広めながらね。」 「人間は努力するものですから。」 「ふん、そこだよ。おそらくお前は若いときから勉強して努力して今のまずまずの位置にあるのだろう。そして、もし、もっと努力すればもっと上に行くことができるだろう。でも、その所為で、お前ががんばれはがっばった所為で、どれほどの人間が敗れ去っていったことか、どれほどの人間が悔しい思いをしたり自暴自棄になって人生を捨てたくなったことか、お前は考えたことがあるか。」 「いや、ないですけど。でもそれは少し大げさじゃないですか。少なくとも今の社会は競争社会ですから、勝ったり負けたりすねのは仕方がないことですよ。」 「けっ、大げさだと。なんにも判ってないくせに。負けたり勝ったりすることが悪いことだなんて、オレが言っているのではない。お前たちが良い事だと思って、真面目に努力してがんばってやることが、結果的には思わぬこと引き起こしたり、望んでもいなかったことを生み出したりするということを言いたかったんだよ。それには当然、お前たちが予想もしなかったようなまったく正反対の悪いことや悲しいことが含まれるということなんだよ。お前は抗議集会に出たことがあるか。オレはある。ほとんどが平和的だが。ときには血なまぐさい騒乱事件になってしまうこともある。そこに集まってくる人たちが平和的で穏やかで、そんなことをまったく望んでいないにも関わらずだ。なぜだと思う。おっと、オレじゃないよ。まったく単純なんだ。狭いところに人が集まりすぎるということなんだ。余裕のあるところでやれば、過激な人間がいない限り絶対にそんなことは起こらない。だから、オレから見たら興奮したい群衆は自らより狭いところを目指して突き進んでいるとしか思えない。 これと似たようなことだが、どこかで大災害が起こったとき、被災して困っている人たちを助けようとして、援助物資を持って周りから人が集まってくることがある。でもあまりにも多く集まりすぎると、その人たちがどんなに善意に溢れた者たちであっても、救助の妨げとなって、かえって迷惑をかけてしまうことがあるんだ。 まだ他にもある。お前も知っているだろうが、漁民ががんばっていっぱい魚を取れば、かえって貧乏になることがある。農民も努力して工夫して米をたくさん取れるようにしても、怠け者よりほめられることは決してない。むしろ周りから煙たがられる。 他にもまだまだいっぱいある。そうだ、逆の場合もある。良くないこと否定的なことだが、良い結果につながることもある。オレはこんな礼を知っている。俺の知り合いが高校のとき、登山クラブに入っていたことがあった。その知り合いが新入部員のとき、合宿として初めて山に登ったとき、その知り合いよりも体力が劣るものが、みんなの足を引っ張った。苦しそうに顔をしかめてぜいぜい言いながら、どうしてもみんなのように早く歩くことはできなかった。そこでその体力のない部員は、先輩から終始励まされたり皮肉を言われたりどやされたりしてた。他の新入部員の中には、その苦しそうな表情は演技じゃないかというものもいた。わたしの知り合いの男もそのとき、そうかもしれないし、そうでもないかも知れないと思っていた。でも、結果的には、その体力のない部員のおかげで、全員がゆっくり歩いていたので、その知り合いの男にとっては体力的には楽であったということには気づいていなかった。 それからこんなおとぎ話はどうだろう。それぞれ少しだけ太さの違う九本の柱で、ある建物を支えていたということじゃ。ところが大地震がおきて、それまでの何倍以上もの重みをこらえなければならなくなった。最初みんなで協力して必死に支えていたが、その中の他のものよりは少しだけ細い一本の柱が、間断なく押し寄せる重みに耐え切れずに曲がって裂けてしまった。そのおかげで周りの八本の柱は楽になり、傷つくことなく、そして地震もおさまったということだよ。 どうだ少しは参考になったかな。」 「、、、、、、、、、、」 「そうか、どうしてもオレの言うことが信用できないということか。ふん、あいつか。どうだろう、あいつは、お前たちがあいつのことを思うほど、お前たちのことを思ってやしないよ。それにあいつは決して人間に自分の姿を見せないから、話すことも聞くこともできないよ、あきらめな。まあ、でも、お前は物好きにも、オレのようなものに助けを求めてきたんだから、話してやっても良いけどな。とっておきの話をな。俺たちの仲間同士でひそかに語り継がれているうわさ話をな。こういうことだ。あいつは、人間が何かとんでもないことを考えて問いかけると、反応するということだ。星が消えたり現れたり流れたり、そして突風が起こったり地震が起こったり火山が爆発したりしてな。」 「とんでもないことって。」 「たとえばだな。お前が本当に思っていること。つまり本音だな。それを言うと周りの人間をお前のことを変人とか狂人とか思うようなことだよ。」 「人生は、食べて働いて寝て、そのくり返し、死んでしまえばそれで終わり、何も残らない、すべては無だ、とか。」 「はっ、そんなのは古臭い、あいつはもう聞き飽きているよ。」 「、、、、、、、、、、」 「ふん、そんなに深刻そうな顔をして。お前はあれだな、オレの前では、あいつのことを信じてないような言い方をするけど、本当は信じているんだろう。本当はあいつに気にかけてもらいたいんじゃないか。ああ、やっと判ったよ。お前が何で鼻につくのか。あいつはお前のような真剣に悩んで苦しんで努力する人間が大好きなんだよ。オレと違ってな。ふん、なってこった、ちくしょう。まあ、いいか、しょうがない。お前は苦しめばいいんだよ。それがお似合いだ。そうすればますますあいつに愛されるようになるんだから。オレはますますいじめたくなるけどね。はっはっはっ、はあ。もう良いだろう、もうお前と話すことは何もない。 そうだ、この前お前は気にしてたな、時間を止めようとしたから永遠に引き裂かれたって。それは俺たちの仲間の所為でもあいつの所為でもないよ。おまえ自身のせいだよ。お前のその極度の内気な性格の所為だよ。さあ、悩め、苦しめ。オレは帰る。その前に最後に言っておこう。お前はもう少し好きなように、やりたいようにやったら、オレも好きなように、やりたいようなやるからさ。じゃあ、あばよ。」 そう言ってその男は、さらに薄暗い路地へと入っていった。 それがあまりにも素早かったので暗闇の中へ消えたかのようにも思われるぐらいだった。 わたしたちが別れたのはちょうど教会の真裏になっていた。 奴と別れてから、わたしは奴が別れ際に言った言葉「もう少し好きなように、やりたいようにやったら。」という言葉を思い起こし、実際そうするように何度も試みてみたが、でも、なぜかわたしにはそのようには出来なかった。 それどころか、奴の言った不気味な言葉がわたしの頭の中に居座り続け、病原菌のように増殖続けていくばかりであった。 そして、わたしが最後のよりどころとしていた奴の知恵をもってしても、わたしの苦しみや悩みを解決できなかったと云う落胆と絶望から、わたしはますます混迷を深め不安になっていくばかりであった。 わたしは暗く沈み込み、人々との接触を絶ち言葉を忘れたかのようにしゃべることもせず、周囲に何が起こっても道端の石ころのように沈黙し続けていた。 そして止むことなく悪のそこは割れ続けていた。そのたびにわたしたちは、考えられないような犯罪に途惑い慌てふためき恐怖に怯えるようになっていった。 そしていくたびも、苦しみの底も割れ続けた。そのたびにわたしたちは、罪のない子供たちの非業の最後を目にしながら、顔を両手で覆って嘆き我を忘れて怒り狂うようになっていった。 さらにいくたびも寂しさの底も割れ続けた。そのたびにわたしたちの硬くもろくなった心は打ち砕かれ、二度と立ち直れないほどに打ちのめされ、たくさん人たちが自ら死を決意せざるをえないほどに追い詰められていった。 そしてわたしはといえば、そのような世界の出来事を他人事のように傍観し続けては、どうすることも出来ないという無力感と孤独感に苛まれながら、まるで絶望の淵に身を沈めているかのように、相変わらずこの繁栄の街から逃れられずに住み続けるだけだった。社会から忘れ去られたかのようにひっそりと。 そして、ついに悲しみの底が割れた。 それは突然ドアを叩く音から始まった。 「実家から電話ですよ。」という呼びかけはすべてを物語った。 わたしがずっと夢見ていた風景、 その晩秋の穏やか過ぎる風景、 あなたに許されて満ち足りた気持ちで眺めているに違いなかった風景を、 もう見ることは永遠にできなくなってしまった。 なぜなら、そのたなびく煙は、 あなたが来年の春の農作業のために籾殻を焼いている煙だったからです。 そして、その草の陰のような人の姿は、 ひたむきに働くあなたそのものだったからです。 十六年前、あなたと別れたとき、わたしは三十六歳になっていた。 そのとき、わたしたちは涙を流した。 なぜなら、これが最後の別れになるのではないかとお互いに予感したからだった。 そして、最も愛するもの同士はいっしょに住めないということにうすうす気づきながら。 でも、本当は最後にならないようにすることも出来た。 だが本当に最後になってしまった。 わたしは旅立つとき、何者かになってあなたに認められることをひそかに決意していた。 だが何者かになろうと努力したが、結局、何者にもなることができなかった。 わたしは何にも変わらなかった。 わたしは何者にもならなかったことを、決して後悔はしていない。だが、、、、 わたしはいつもあなたの姿を追って後から歩いていた。 あるときわたしはあなたの姿を追い越して歩き始めた。 そして、わたしは後ろを振り返った。 するとあなたはわたしの方を心配そうに見ていてくれた。 しばらく歩いた後わたしは、わたしは再び後ろを振り返った。 だが、そこにはあなたの姿はなかった。なぜ、、、、 わたしはちょっとの間前を見て歩いていただけなのに、、、、 わたしは繁華街を歩くとき、迷子にならないようにと、 いつもあなたにしがみつくようにして歩いていました。 でも、見たことのないものを眼にすると、 どうしてもそっちのほうに注意が行って手を離してしまうのでした。 そして気が済んだ再びあなたを捕らえようとすると、 そこにはあなたの姿はなくて手は空を舞うばかりでした。なぜ、、、、、 わたしはほんのちょっとの間よそ見していただけだというのに、、、、 その期間がたとえどんなに短かったとしても、 あなたといっしょにいるときはいつも退屈過ぎるかのように、 永遠のように感じていました。 でも、今こうしてゆっくりとまぶたを閉じて、 再び開けると、それは幻の出来事のような、 あまりにも短すぎる瞬きのような瞬間の出来事のようにも思えるのです。 そのあまりにも短すぎる瞬間が、、、、 永遠がその姿を変えたかのような、あまりにも短すぎる、星の瞬きのような瞬間が、いま、、、、 わたしが気がつくと、そこにはあなたの笑顔が在った。 祖母や父や兄や姉たちと共に。そして、わたしは祝福され満たされた。 それまでどんな暗闇と虚無を潜り抜けてきたのかも知らずに。 わたしはあなたの愛を注がれていっしょにすごした。 そのときがあまりにも豊かで喜びに溢れたものであったために、 わたしは何度も永遠を感じたほどだった。 たとえ、そのときがあまりにも短すぎる星の瞬きのような瞬間であったとしても。 そして、あなたは突然のように、わたしよりも先に、 わたしが潜り抜けてきた暗闇と虚無へと去っていってしまった。 最後の恥ずかしそうな不安そうな心配そうな笑みをわたしの心に永遠に刻みつけながら。 そのあまりにも長すぎる永遠が、、、、 瞬間がその姿を変えたかのような、あまりにも長すぎる、想像することさえ不可能な永遠が、いま、、、、 そうなのだ、わたしたちはこの宇宙で光の速度ですれ違ったのだ。 光と光がすれ違う瞬間、たとえ、それがどんなにわずかな時間であったとしても、 わたしたちは互いにはっきりと確認しあった。永遠の時を感じなから。 だから、わたしは全力でその時を大切にすべきだったのだ。 取り返しがつかなくなる前に。 星の瞬きのような瞬間が永遠に姿を変えない前に。 だが、すべては終わった。もう手遅れだ。 わたしたちは再び光の速度で歩み始めてしまったから。 永遠に出会うことのない旅へと。 たとえ、宇宙が造り変えられても、 決して出会うことがないに違いない暗黒の虚無の旅へと、、、、 これが、 わたしは十九歳のとき、 日差しの穏やかな秋の日に、 深く長い思索の結果として、 しかも突然のように一つの洞察を獲得したことなのだ。 生と死には絶対的な違いがあるという、洞察を。 死んだら何も残らない、 今こうして生きていることがすべてであるということを、 この世に存在していることが、 喜びであり楽しいことであるという、 洞察を獲得したことなのだ。 割れた悲しみの底から滑り落ちたわたしは、廃棄された人形のように際限なく落ちていくばかりであった。 そして、いつの間にか狂気と死がわたしに寄り添うようになっていた。 わたしは気力を振り絞り全力で悲しみの底を作り直さなければならなくなった。 わたしは奴が言ったことを試みることにした。 「あいつは、人間が何かとんでもないことを考えて問いかけると、反応するということだ。 星が消えたり現れたり流れたり、そして突風が起こったり地震が起こったり火山が爆発したりしてな。」と言ったことを。 そしてわたしは、満天に星が輝き風のない静かな深夜にそれを決行した。 わたしは、それまで誰にも言ったことがないようなことを、あの有史以来決して姿を見せたことがない方に、次々に問いかけた。 まず最初は、次のように。 「もしかして、狭き門とは、そこを通る者が寂しいということではないのですね、、、、」 なんにも起こらない。 そして、次に。 「もしかしたら、大いなる悲しみの裏には大いなる喜びが隠れているように、深い憎しみの陰には深い愛が潜んでいるのではないでしょうか、、、、」 なんにも起こらない。 そして、次に。 「もしかして、悪魔の反対は天使ではなく、神様、つまりあなたではないでしょうか、、、、」 なんにも起こらない。 そして、次に。 「もしかしたら、女性の美しさとは永遠に所有できないものなのではないでしょうか、本人だけでなく、男性にとっても、、、、」 なんにも起こらない。 そして、次に。 「もしかしたらあなたは、人間たちを羨ましがっているのではないですか。どんなに傷つけ苦しめあっていてもやっぱり最後は愛し信じあっているということに、、、、」 なんにも起こらない。 そして、次に。 「もしかしたらあなたは、ほんとうは自分のことをほとんど考えたことはないのではないでしょうか。わたしたち人間にあなたについて考えることを任せきりにして、、、、」 なんにも起こらない。 そして、次に。 「もしかしてあなたは、人間がどんな苦境や困難もがんばって克服していくのを、そして、死ぬまで悩み苦しみ努力するのを見て、本当はこんなはずじゃなかったと思っているのではないですか、、、、」 なんにも起こらない。 そして、次に。 「もしかしてあなたは、人間にはその不器用さのために人並みに努力できないものが居るということ、そして、どの母親とも同じようにわが子を愛せない母親がいるということをご存知ないのではないでしょうか、、、、」 なんにも起こらない。 そして、次に。 「もしかして、わたしたちの国がこの二十世紀後半から、永遠とも絶対的ともいえるような平和に入っていったのは、わたしたちが平和を望み平和を愛していたからではなく、その絶対的ともいえる破壊兵器のおかげだったのではないでしょう。だから、この世界は七本の知恵の柱ではなく、本当は七本の炎の柱によって支えられているのではないでしょうか、、、、」 なんにも起こらない。 そして、次に。 「もしかして、わたしたちの地球が、豊かな自然環境を保ちながら存続するということと、世界が経済的に繁栄して、飢餓も戦争もなくなり、わたしたちがあらゆる欲望を満たしながら平和に豊かに便利に快適に生活するということと、そして、物質的には恵まれていなくても心豊かに道徳的にありふれた幸せを感じながら生きるということとは、それぞれ絶対に相容れることができない法則の支配下にあるのではないでしょうか。だから、もしこの地球上に、自然環境に恵まれ、戦争も飢餓もなく、平和で搾取や抑圧がなく、犯罪や災害もなく、便利で快適で、どんな欲望や願いをかなえながら、すべての人たちが幸せに満ち足りた気持ちで生きることができるような平等で思いやりに溢れた世界が実現したら、その瞬間に世界はあっという間に崩壊していくのではないでしょうか、、、、」 なんにも起こらない。 わたしはなおも続けた。 「あなたはご存知でしょうか。人間には自分の肉体を傷つけ犠牲にして魂を救おうとするものだけではなく、その自分の魂をも傷つけ犠牲にする者たちがいるということを、、、、」 なんにも起こらない。 わたしはさらに続けた。 「もしかしたら、あなたはご存知ではないでしょうか。人間の最後は決して幸福ではないということを。つまり、生きている限り死の間際まで苦痛から逃れられることはできないということを。だったら言いたい、わたしがその前に、なんて幸せなんだろうとか、なんて満ち足りた気分なんだろうなどとぬかしたら、どうか、あなたの軍勢を引き連れてきてわたしを八つ裂きにしてもかまわないと、、、、」 なんにも起こらない。 最後にわたしは次のように問いかけた。 「はたして、人間の心というものは自分のものでしょうか、、、、」 だが、なんにも起こらない。その決して姿を現さない者がなんにも応えないからだ。 なぜ、決して人前にその姿を現さないあなたは、なんにも答えようとしないのですか、、、、 時間は凍結し、星のない暗闇が果てしなく続く なんだろう、この背後のざわめきは、、、、 わたしはひとりではなかった。 もしかしてわたしは本当の自由を獲得しようとしているのかもしれない。 さあ、腰を伸ばして、顔を上げろ、胸を張れ。 ![]() |