青い精霊の森から(5部) はだい悠
* * * それまでほとんど二日ごとに現れていたサイスが三日目になっても四日目になっても現れなかった。 そして五日目になってようやく現れた。しかも今度は深夜出などではなく一日でもっともあわただしい日没後に、あの骸骨のようなバイクのエンジン音を高らかに響かせながら、以前騒動をまきおこしたメインストリートに堂々と現れた。 サイスは自分の存在を誰かに知らせようとするためなのか、それとも何かに向かって挑発しようとするためなのか、やはり以前と同様に自分以外の車や歩行者を存在しないがごとく、すべての交通ルールを無視しながら傍若無人に振舞った。 そしてメインストリートを二度三度と往復したあと、ある方角へと走り去って行った。 それを見てトキュウたちは公園へと駆けつけた。 公園につくとステージのような花壇を前にして陣取った。 やがて林の奥にバイク音が響くと、ほどなくしてサイスがバイクに乗って現れた。そして初めてのときのように花壇の上に乱暴に乗り上げると、少し間を置いて、エンジンを切りバイクから降りた。 サイスはそのまま集まってきていたトキュウたちのほうを向いてゆっくりと話し始めた。口元には十分すぎるくらいの笑みをたたえて。 「しばらくだったな、なんか最近面白くなってきたみたいだな。今までずっと息苦しくってやりきれなかったもんな。そこらじゅうに善がはびこっていたもんな。でもようやくまともな人間が出てきたって感じだな。なあに、みんなのことを言ってんだよ。しかしまだ物足りないな、もっともっと面白いことをやらなくちゃな、大人がイヤがるようなことをな。それにはさ、ありふれたことをやっちゃダメなんだ、人の真似はダメだなんだ。何か新しいことをやらなくちゃダメなんだ。今までに見たこともないような変ったことを、今まで誰も考え付かなかったことをだよ。オレは今世間をあっといわせるようにいいアイデアを持っているんだ。それを今夜はぜひみんなに見せたいんだ。今後のためにもな。おまえ、お前、ちょっとこっちに来いよ」 サイスに指差されたのはミュウの仲間のモチという少女だった。モチは少しおどおどしながらサイスに近づいていった。そしてサイスは大きな声でモチに言った。 「いいかい、これから俺たちは、俺たちの自由の証として、あることをやる。これからの俺たちにとってもっとも重要で輝かしいことだ。命がけのな、だから半端な気持ちじゃダメだ、覚悟はできてるな、よおしバイクに乗れ。良いか、今日は俺たちにとっては記念すべき日となるだろう」 そのサイスの声は珍しく興奮していて最後のほうは叫ぶようになっていた。 サイスはモチを前にしてバイクにまたがると、すぐにエンジンを掛けそのまま話しの暗闇へと消えていった。 そして二三分後にて再び現れた。しかし二人の様子は、最初は誰もが気づかなかったようだが、よく見ると激変していることに気がついた。二人とも下半身には何も身につけていなかった。二人は向き合い、モチは両足と両手をサイスにしがみつくように巻きつけていた。バイクは広場をゆっくりと走ったあと、急にスピードを上げて、花壇に飛び乗った。そしてそのままスピードを落とさずに再び地面に降りて広場を走りまわったあと、今度は激しく上下運動をさせながら、階段を昇り始めた。そのあいだモチは振り落とされまいと必死にしがみついていた。その顔は恐怖と苦痛でゆがんでいた。階段を下りるときもその不安定さは変らなかった。やがてサイスはさらにスピードを上げて、ベンチからベンチへと跳び移ろうとしたり、花壇全体を飛び越えようとしたり、不可能と思えることにどんどん挑戦しはじめ、だんだん過激になっていった。 トキュウは最初眼の前で何が起こっているのか理解できなかった。まさに文字通り初めて見るものだったからである。やがて今までに味わったことのないような感情が沸き起こってくるのを全身で感じた。そしてその感情に浸っていると得体の知れない力が自分に働いているような気がした。やがて周囲の様子が徐々にではあるか判ってくると、他の若者たちと同じように反応ができないことに気づいた。仲間の少年たちは、サイスたちに向かって口笛を吹いたり、奇声を発したりして激しくはやしたて、少女たちも、いっこうに心配する気配はなく、少年たちに合わせるかのように、ときおり手をたたいたりして楽しそうに笑顔を見せていた。偶然居合わせていたに違いない数少ない大人たちも、こらえきれないといった様子で笑ってみていた。そのなかには、どういう意味なのか、トキュウには理解できなかったが、もっと階段を走りまわれと叫ぶものもいた。 やがて、サイスたちは再び林の奥に消えていった。そして二三分後再び現れた。今度は上半身も裸になっていた。サイスはみんなの前でバイクを止めると 「今夜もやるからな、いつものように会おう」 と言って、再びバイクを勢いよく走らせ、いっきに階段を昇りきると、そのままみんなの視界から消えた。そして、バイクの音がだんだん小さくなっていくことに気づいた。 若者たちは驚いたようにいっせいに階段を駆け上がってきて、眼を凝らした。しかし、かすかにエンジン音が聞こえるだけで、二人の姿を捉えることはできなかった。 大人たちの誰かが言った。 「あいつら捕まるぞ」 別の大人が言った。 「あういうのは痛い目にあったほうがいいのさ」 「そうだな、人騒がせな、なにを考えているんだか」 「いったい何のためになるって言うんだろうね?」 ミュウがトキュウたちのところに来て言った。 「あそこまでやるとはね。まあ、いいさ。とにかく面白くなりそうね。どんどん大騒ぎになるといいね、お祭りみたいにね。ああ、でも、このまま終わりって言うのは、なんかものたりないって感じだね。ねえ、トキュウ、どうしてあんたカタまってんのよ、もう少し楽しそうにしなさいよ。そうだ、ねえ、これからあたしんとこに行こう。マイ、良いわね。あいつらも来てるみたいだし、もしかして調子に乗ってついてくるかもよ。そしたらみんなでひどい眼にあわしちゃおうよ」 若者たちはこれからどうするかで集まって相談した。結局夜も浅くこれから色んなことを楽しみたいと言うことで、ミュウに従ったのは、マイとトキュウとショウとゲンキだった。 五人はミュウのマンションへと歩みを進めた。ミュウは歩きながらときおり後ろを振り向いたあと、納得したように笑みを浮かべてトキュウたち男には聞こえないようにマイになにやら話しかけた。 ミュウのマンションにつくとすべての食べ物がテーブルに並べられた。さっそく食べ始めたが、なかなか手が伸びないゲンキに、トキュウは自分のもののように勧めた。ゲンキはどうにか食べ始めたが、やがて少し心配そうな顔をして話し始めた。 「ああ、今夜は出なきゃなんないんだろうな。でも明日用事があるしな、昼までに来いって言うんだ。いい仕事を教えてやるから絶対に来いって言うんだ。でもオレ行きたくないんだ。オッカアに頼まれたって言うんだけどさ、オレ好きじゃないよ、あんな奴、すぐに命令したがるんだぜ、あうやれ、こうやれってさ。まるで父親みたいな言い方をするんだぜ、オレとどういう関係があると言うんだい」 トキュウが訊いた。 「いい仕事って、なんなんだい?」 「わかんない、とにかく何をやっているか判んないやつなんだ」 「そんなにイヤなのか?」 「ああ、イヤだ。話しになんないんだ。デタラメでさ、酒を飲むととくにそうなんだ。あんな欠点だらけの大人のどこがいいんだろうな?」 そのときショウが食べながら独り言のように言った。 「欠点のない大人っていうのもむかつくぞ。 『だからどうしたっていうんだよ』 っていう感じでな。」 「そんなにイヤなら行かなければいい」 ゲンキがとっさに答えた。 「なんか逃げるみたいでイヤなんだよ」 「それじゃオレが代わりにいってやるよ。ちょっトキュウに具合が悪くなった、とかって理由を見つけてさ」 「へえ、それはいい、助かったよ。ほんとのこと言うとさ、オレそんなに早く起きれねえんだよ」 「とこに行けば良いんだ?」 「あそこの公園の入り口さ、十二時に」 ショウが言った。 「なに、お前、真面目に仕事しようてんのか、止めろやめろ」 「いや、そういうわけではないけど。あんまりイヤかっているから」 そのときマイが割り込むように話し始めた。 「ねえ、あたし思うのね、そのいい仕事っていうのは。いい仕事っていうほど気をつけたほうが良いのよ。まだ良いじゃない、仕事しなくたって、そんなに貧乏してるわけじゃないんでしょう」 「そうだ、そうだ」 とゲンキが同調するように言った。そのとき突然、ベットを隠すように部屋を二つに仕切っていたカーテンの陰からミュウが声をかけた。 「さあ、準備ができたわよ。これかにみんなに面白いもの見せてあげる」 それまで誰もがミュウが席をはずしていることに気づいていなかったのでみんな驚いたように顔を上げ、その声のするほうを見た。ミュウはカーテンの陰から話し続けた。 「あたしみんなに謝りたいことがあるの。今までみんなに嘘ついていたのね。みんなはうすうす感じていたかもしれないけど、実はあたし男なの」 そう言うとミュウはカーテンを半分開けその姿を現した。そこには全裸のミュウが立っていた。たしかに、胸は小さめで股間からは茶色で十センチぐらいの棒が延びていた。少年たちの誰もがその衝撃的なミュウの姿に微動だにせずじっと眼を向けていたが、マイはチラッと眼をやっては意味もなく手をたたくだけだった。ミュウは再びカーテンの陰に隠れた。そして言った。 「マイ、あんたもこっちに来なさい。あんた確か女優になって言ってなかった。それなら何でもできなくっちゃね」 マイが席を立ってカーテンの陰に姿を隠した。ショウは最初小声で笑っていたが、その内にこらえきれなくなったようで大声で笑い出した。ゲンキも同じように笑い始めた。しかし、トキュウはどうしても笑うことができなかった。ショウが笑いをおさえながら言った。 「だまされないぞ、あれじゃまるで包茎じゃないか。何にも判ってないぞ、あいつらは、なあ、トキュウ!」 そういわれてもトキュウには良く判らなかった。自分と同じようなものがぶら下がっているとしか思えなかったからだ。 ひそひそ話しが聞こえてしばらくすると再びカーテンが開けられた。今度はマイもミュウと同じような姿になって、ミュウと並んで立っていた。そして声をそろえて歌えように言った。 「ランランラン、実は私たち男だったんです。ランランラン」 そう言うと二人は激しく腰を振った。すると棒のようなものは左右にゆれて二人の内ももを打った。 ショウとゲンキはさらに大声を上げて笑った。それを見てミュウもマイも楽しそうに笑いながらなおも腰を振り続けた。しかし、トキュウはまだ笑うことができなかった。するトキュウに自分だけがのけ者にされているような気がして、だんだん重苦しい気分になっていった。 そして二人はほんの数秒カーテンの陰に身を隠したあと再び現れた。このときミュウの手に鋏があった。すかさずミュウが言った。 「でも、あたしたち、男にはもう飽き飽きです。ですからこのオチンチンを切っちゃいます。えい、えい」 そのときマイは痛そうに腰を曲げ顔をゆがめた。ミュウはそれほど表情を変えずに、その切られて床に落ちたものを拾い上げながら言った。 「では、このオチンチン、どうしましょう。食べちゃいましょうね。ああ、美味しい」 マイも自分のを拾って子供のように無邪気な顔をして食べた。それを見てトキュウはようやく眼の前で起こっていることが理解できた。そして笑いがこみ上げてきた。眼の前で起こっていることとは別のことを感じながら。 やがて笑いがだんだん大きくなっていくにつれて、それまでの孤独感が癒されていくように感じて気分が軽くなっていった。 ミュウは残りを股間から引き抜くと、それをマイに示しながら言った。 「いい、これをあいつにくれてやろうよ。あの勘違い男にさ。あいつ窓の下に来てるからさ。さあ、マイも抜いて、こっちの窓よ」 そう言うとミュウは、ベッドの隣の道路に面した窓を開けた。そして下を見ながら言った。 「ほら、いるでしょう、あの男いったいなにを考えているんだろうね。しつこいんだろう、仕返してやりたいんだろう、だったらこれを投げるのよ、やつに食べさせるのよ。驚くだろうね。えい、やあ、そこの犬、食べなさいよ、お前、犬だろう、マイ、あんたも投げるのよ。さあ、食べなさいよ。それはあたしたちのオチンチンよ」 そういってミュウは思いっきり笑った。マイもつられて笑った。そしてミュウは笑いを抑えながらトキュウたちのほうを見て言った。 「さあ、みんなもこっちに着てみて、オチンチンを食べている犬がいるから。あいつなのマイに付きまとっている男って言うのは。みんな見たことがあるでしょう、あの大人よ、いつか公園で偉そうなことをいっていた奴よ。相談に乗ってやるとか言ってたけどさ、マイを連れ込んで無理やりやっちまったんだとさ、まったくなんで大人はみんなおんなじなんだろうね。まあ、それだけならいいんだけどさ、マイにもっと真面目になったほうがいいとか、オレと付き合ったほうがいいとか言ってさ、しつこく付きまとってさ、結局、なにをやりたいんだか、さっぱりわからねえ奴なんだよ。ねえ、みんなも裸になろうよ、やつに見せてやるのよ、あたしたちがどんなに楽しいことをやっているかってことをさ」 ミュウには逆らえないような雰囲気だったのでトキュウたちもティーシャツを脱いだ。すると音楽をかけて戻ってきたミュウはそれを見ていった。 「なに半端なことやってのよ。全部脱ぐのよ。さっきあたしたちのを見てだいだい判ってんでしょう。そんなに変ってないって、だからもう何をやったってたいしたことないのよ。まあね、マイのオッパイはみんなより大きいけどね。でも、すぐ慣れるよ。さあ、ビンビン踊るよ、奴に見せ付けるのよ」 五人は自分たちの姿を他の誰かに見せ付けるかのように、わざと窓際に集まって踊り始めた。 衝動的に発せられる奇声と開放的な笑いのなかで、あるものはどうしようもなく不器用に、またあるものは何かに突き動かされるように限りなく軽快に、ときおり窓の外に眼をやりながら熱狂的に踊り続けた。 それは窓の下の男がいなくなっても続けられた。 しかし、やがてその突発的な熱狂や衝動も収まってきて、誰も疲労と倦怠を感じながらただ惰性で踊っているだけになってしまっていた。 ふとトキュウは、ミュウとマイがいなくなっていることに気づいた。 そこで音楽は止められダンスは終わった。 トキュウはミュウたちにいったい何が起こったのか考えようとしたが、頭にぼんやりと浮かんでくるのは、ケータイで何かを話しているミュウの姿だけだった。今のトキュウにとっては、ミュウは何か急な用事ができて、きっと出かけたに違いないと思うことが精いっぱいだった。それは決して肉体の疲労から来るものではなかった。心を破壊しかねないほどの何かとてつもない喪失感を覚えながら、何も考えられない状態が続いていたからである。 みんな汗で光る自分の肉体を邪魔者扱いしているかのように、トキュウは生気なくうづくまり、ショウはだらしなくうつぶせになり、ゲンキは力なく横たわっている。誰一人として喋ろうとしない重苦しい時間がどれほど経過しただろうか。やがてゲンキが真っ先に回復したようだった。ゲンキが体を仰向けにしてつぶやくように言った。 「ああ、のとが、のどがたまらない、まだあるかな?」 そしてゆっくりと起き上がるとテーブルに近寄り残っている飲み物を次から次へと飲み干し食べ物に食らいつ来ながら言った。 「なあ、元気だそうよ、今日はまだ何にもやってないじゃないか、もうそろそろ出かけたほうがいいんじゃないか」 トキュウもゆっくりと立ち上がりながら言った。 「そうだな、こんなところで死んでる場合じゃないよな。なあ、ショウよ、今日はまだこれからだぞ」 ゲンキがさらに食べながら言った。 「なあ、トキュウ、明日はほんとうに言ってくれる。助かるよ、急に腹が痛くなったって言ってよ。ああ、どうしてやっちまわなかったんだろうな、あれじゃまるっきしはだかじゃないか、俺たちを誘っていたのかな、でっかいオッパイしてさ、やっても良いってことじゃなかったのかな、なあ、トキュウ、お前どうして何もしなかったんだい?」 「うっ、うん、なんかそんな雰囲気じゃなかったよ」 「ショウは?」 「ああ、オレも、どうしてもそんな気分にはならなかったんだ」 「きっと、あうやって色んな男にやらせているんだろうな、でも今度はそうはいかないぞ、なあ、トキュウ」 と少し大人びた言い方をするゲンキにあわせるかのようにトキュウも少し声を低めていった。 「ああ、そうだな」 ゲンキはさらに続けた。 「でもなあ、オレは、サクって言う娘がいいな、何をやっても許してくれそうじゃないか、どっかバカっぼくってさ、レイも良いな、なあ、トキュウ、お前は誰が良いんだ? ミュウか?、まさか、ミュウはちょっく怖くないか?」 そのとき部屋の携帯がなった。 ミュウからで、町に見たこともない暴走族が現われて騒ぎを起こしているということだった。それを聞いてトキュウたちはいっきに元気を取り戻した。そして急いで駆けつけた。 すでに待ちのいたるところに警官が立ち、重要な交差点にはパトカーが待機していた。 爆発的な排気音が町中にに響き渡り、人々は群れとなってあちこちによどんでいた。みんな繁華街に暴走族が現われたことは不思議そうだった。トキュウたちはミュウたちの姿を目にしながらもタイヨウとサンドを見つけて合流した。 トキュウたちがついたときには、バイク十数台と車二台が、あらゆる通りを舗道ぎりぎりに、すべての交通ルールを無視しながら自由自在に走りまわっていた。しかし時間の経過とともにその走行範囲が狭められていき、やがてひとつの通りだけになった。そこで暴走族は網に追い詰められた魚のように、よりいっそう激しく走りまわるようになった。 そして群衆の一人として舗道から見ていたトキュウは、トキュウの眼の前を一台の車が通り過ぎようとしたとき、トキュウは何者かに押されて道路に飛び出した。そのためトキュウはその車と激しく衝突し撥ね飛ばされ舗道にたたきつけられた。初めは何が起こったのか判らず痛みもそれほど感じなかったが、すぐに全身の激痛に苦しめられた。 仲間が近寄ってきた。サンドがトキュウの顔を覗き込みながら言った。 「いったいどうしたんだ?」 「わ、から、ない」 とトキュウは激痛にあまりたどたどしく答えた。 ショウが言った」 「オレは見たよ、あいつさ、あいつが押したんだよ」 サンドが言った。 「あいつって?」 「スーパーの店員さ、以前にもめたことがある」 トキュウが苦しそうに言った。 「やつか、し か え し だな」 ショウが言った。 「あの野郎、このままじゃ済まないぞ。決着つけなきゃな」 苦痛が収まったのかトキュウがようやく普段のように言った。 「いや、良いよ、たいしたことないから、もう大丈夫さ」 ずっと黙ってみていたタイヨウが言った。 「も、う、おしまいか、と、おもった。おまえ、がまん、づよいんだな、おれだったら、ないちゃうよ」 その間、通りは激変した。徐々に追い詰められていった暴走族はついに突破をはかった。まず車がパトカーに体当たりして、そこにできた感激から、動揺する警官隊の隙をついて、バイクが次から次へとすり抜けていった。なかには捕まえようとする警察官をかわしきれずに転倒してしまい、そのまま捕まってしまうものもいたが、ほとんどは逃げ延びていった。 そしてトキュウが歩けるようになったころ、通りは普段の平静さを取り戻していた。しかし若者たちはまだ騒乱の興奮に浸りきっていた。 トキュウの様子を見に来ていた少女たちのひとりサクがトキュウの腕の擦り傷を見て言った。 「あたしいいもの持ってる、バンドエイド、これ貼ったほうがいいよ。貼ってあげるね」 それを見ながらレイが言った。 「なんか、最近さあ、ドンドンおもしろくなってきたって感じね」 するとマイが同調するように言った。 「そうね、こんなこと毎日あったら良いね。そしたら絶対退屈しないね」 モチが言った。 「車の体当たりって凄かったね。ほんとうに物が壊れるって良いね、なんか変になりそう」 それを聞いてミュウがはき捨てるように言った。 「なにが、あとがダメじゃない、かっこつけようとしたんだろうけど、捕まっちゃ何にもならないよ。まだがきよ」 サンドが少女たちの会話に割り込んだ。 「見たこともない奴らだな、どっから沸いてきたって感じだな、でも真似はよくないよ。なあ、目立ちたかったんだろうな、でも、どうせやるならもっと思い切ったことをやらないと、半端なんだよな」 そのとき、それまでトキュウたちの前ではほとんど無言だったサクが言った。 「あたしよくないと思うの、信号むしするのは」 ミュウが言った。 「良いのよ、たまには、とくに今夜みたいなときはね」 サクが急に興奮して言った。 「ダメ、絶対に良くない、おじいちゃんが言ってたもん」 ゲンキが言った。 「楽しければ何をやったって良いんだよ、みんな面白がっているじゃない」 サクがさらに興奮して言った。 「ダメなものはダメだって、あたしずっと守ってきたもん」 それを聞いて周囲の少年たちから次々とサクに言葉が飛んだ。 「それじゃ、万引きするのとどっちが良くないんだい」 「人に病気を移すのとどっちが良くないんだい」 「何をそんなにいい子ぶってんだい」 「そんなんじゃないわよ」 と言ってサクは突然子供のように泣きじゃくり始めた。それを見てミュウがサクに近づきながら言った。 「みんなで苛めちゃダメだよ、サクはサクなんだから。サク、もう気にしない、気にしない、あんたはあんたで良いんだら。みんなはさあ、たまにはとんでもないことをやりたがっているだけなんだから」 サクが泣き止むと、若者たちはひときわ映える電波塔の点滅する光を眼にしながら公園へと歩き始めた。光れと音に溢れた繁華街から水銀灯に照らされただけの公園に着いた。 若者たちは思い思いに階段に席を取ると、ひたすらサイスが現れるのを待った。 やがて時計が二時をまわったころ、サイスが林の暗闇から歩いて現れた。そして若者たちの前に立つと、いつものように少し笑みを浮かべて話し始めた。 「今日は、みんな楽しめて本当にいい日だったな。以前から言っていたように誰もがやりたいことをやったみたいだな、それで良いんだ。それにしても思ったより効果があった見たいだな。ほんとうに真面目づらした人間どもが、慌てふためいてバタバタするっていうのは愉快だな。まあ、そこで今日は、せっかくだから、このまま終わらせるのはちょっともったいない、もう一発派手にやりたいと思う、それではさっそく出かけるが、今日はそんなに人数はいらない、行きたい者は手を上げて、ああ、女はいい」 そのとき手をあげていたミュウが言った。 「ねえ、たまには連れて行ってよ、あたしだって、やってみたいのよ」 サイスが答えた。 「ダメだ、今日はすばやくやらないとダメなんだ。それにそんなにいらない。五人だけでいい。ゲンキ、サンド、ケイタ、ショウ、それに、トキュウだ」 そのとき、ショウがさえぎるように言った。 「トキュウはダメだと思う、怪我したみたいなんだ」 すると、トキュウが言った。 「いや、オレは大丈夫だ、もうなんともない」 サイスが言った。 「よし、それでは行くぞ、ついて来い」 サイスと五人の少年たちは林の暗闇に入っていった。そしてほとんど人影のない公園の裏側に出ると、そのまま人目につかないようにするために、できるだけ人通りの少ない道を選んだ歩き出した。やがて付いたところは、ちょっと前に舗道に沿って駐車していた車を一台残らずパンクさせた通りだった。サイスの指令は、今度は一台残らず火をつけることだった。六人は綿密に打ち合わせを下あと手分けして火をつけるとそのままバラバラに逃走した。 翌日トキュウは昼前に起きるとひとりで公園に向かった。 初夏の陽射しが眩暈がするほど眩しかった。 やがて、日焼けした小柄な大人の男がバイクに乗って公園の入り口に現れた。トキュウはゲンキから聞いていた男の特徴から、すぐそれと判った。トキュウは男の正体を確かめると、なぜ自分がゲンキの代わりにここに来たかを話した。するとその男はあからさまに不愉快な顔をした。どれほどの時間が経過したかわからないくらい凍り付くような長い沈黙が続いたあと、その男は舌打ちを交えながら投げやりに言った。 「チィッ、まあ、しょうがないか、これじゃ何のために来たのか判んないじゃないか、チィッ、まあ、良いか、後ろに乗れよ」 その大人の男は、それまでバイクの荷台に乗せていたダンボールの箱をトキュウに持つように言うと、トキュウを乗せてどこへともなく走り始めた。 大人の男は小柄ではあったが、体つきは筋肉質でガッシリしていて、しかも身のこなしもどことなく機敏そうであるため、トキュウに大人としての威圧感や近寄りがたさを感じさせるのに十分であった。 走りながら大人の男が言った。 「なに、お前はゲンキの友だちか?」 「あっ、はい」 「名前はなんていうんだ?」 「トキュウ」 「ときゅう? 変な名前だな」 「あっ、ほんとうは、キュウイチ」 「そうだろう、あだなだろう、こういうときは本名を言うもんだよ、お前、ほんとうに仕事やる気あんのか?」 「あっ、はい」 「でもな、お前に仕事を教えたって何にもなんねえんだよな、まあ、ゲンキの友達なら仕方ないか」 それっきり大人の男は何も喋らずに、大通りを走り、繁華街を抜け、住宅街に入り、周囲に木造二階建てアパートが目立つ路地に入ってバイクを止めた。 そしてトキュウにダンボールのなかに入っている洗剤一箱を持ってついてくるようにと、命令口調で言うと、眼の前のアパートに向かってすたすたと歩き出した。 その大人の男は、そのアパートのひとつの入り口の前に立 つと、強弱をつけて少し乱暴気味にそのドアをたたいた。なかから応答に耳を澄ますという風でもなく、くり返しくり返し何度も何度もたたいた。 やがて、ドアが開けられると、大人の男は急に姿勢をかがめて、穏かな表情でやさしく話しかけた。 「ああ、どうも、こんにちは、新聞です。いつもお世話になってます、またお願いできますね。今度も三ヶ月で良いですね」 そう言うと大人の男は胸ポケットからメモ帳のようなものを取り出しなにやら書こうとすると、ドア越しにしわがれた女性の声が聞こえてきた。 「いや、結構です、もう読みませんから」 「そんなことないでしょう、まだだいじょうぶですよ」 「ほんとうにいいんです」 「そんなこといわないでサービスしますから、ほら洗剤ですよ」 「けっこうです、ほんとうに」 「なんとかお願いしますよ。たったの三ヶ月だけで良いんですから。ここにチョンチョンと判子を押すだけで良いんです」 「ほんとうにけっこうです」 そういい終わると同時にドアが閉められた。すると大人の男は急に表情が険しくなり歩きながら呟くように言った。 「クソババア、下手にでりゃあいい気になりやがって」 そして隣の部屋のドアの前に立つと、さっきよりもひときわ強弱をつけてドアを叩いた。そこには地中に潜む小動物を必死に探り当てる捕食動物のような緊張感が漂っていた。すると今度はすぐに返事がしたかと思うとドアが開けられ中年の女性が姿を見せた。大人の男は先ほどと同じような態度で話しかけた。 「あっ、どうも、こんにちは、新聞です。いつもお世話になってます、またお願いできます か? 今度も三ヶ月で良いですね」 「あら、あんた、なに言ってんのよ。わたし、あんたなんから新聞取ったことないわよ」 「あっ、そうですか、たしか、まあ、良いです。とにかくまたお願いします。チョンチョンと判子押すだけで良いんです。お願いしますよ」 「ダメです、いらないものはいらないんです。 「そこをなんとか、サービスしますから。良いですね、三ヶ月だけで良いんですから」 「とにかくいりません」 それを最後にドアは閉じられた。大人の男はまたも険しい表情で吐き捨てるように言った。 「チクショウ、舐めやがって、今度はそうはいかないぞ」 そう言いながら大人の男は隣の部屋に向かった。そしてその部屋の前に立つと、先ほどと同じようなリズムでドアを叩き始めた。しかしいくらたたいてもなかからは何の反応もなかった。すると大人の男は無言でその場を離れると、そのままトキュウの存在を忘れたかのようにトキュウには何も話しかけることもなく、凍ったように表情でそのアパートを離れると、どこへともなく歩き出した。そして次の目標となるアパートの前に立つと、後から歩いてきたトキュウに話しかけた。 「良いか、この仕事はうまくいけば二三十分で一日分は稼ぐんだ。考えようによっては楽な仕事だ。だから、やり方をよく見とくんだぞ」 そう言って、その大人の男は眼の前のアパートに向かって歩き出した。そして最初の部屋の前に立つと、今までと同じようにドアを叩いた。するとすぐに返事をする若い女性の声が聞こえ、ほどなくしてドアが開けられた。 大人の男は今までとは違ってややぶっきらぼうに話しかけた。 「やあ、こんにちは、新聞です。お世話になってます。またお願いできますか? 今度も三ヶ月で良いです」 「ええ、わたしはじめてなんです」 「へっ、そうですか、そんなことはないと思うんですが。それでは三ヶ月で良いですね」 「えっ、待ってください、新聞は取りません」 「そんなこと、言わないで、お願いしますよ、サービスしますから、ええと、はい、これ洗剤です」 「いいです、ほんとうに、けっこうです。わたし読みませんから」 「そうですか。でもこれからは色んなことを知らないといけないでしょう。読まないと情報は得られないでしょう」 そしてドアを突然閉められた。大人の男は悔しそうな顔をして言った。 「まあ、色いろあるさな。最近は生意気な女が多くなって」 次に大人の男は隣のドアを叩いた。 すぐに若そうな男性の声がしてドアが開けられた。大人の男は先程よりもぶっきらぼうに言った。 「こんにちは、新聞いま、どことってます?」 「いや、別に興味ありませんから」 「じゃ、ぜひ、うちをとってください、三ヵ月でいいんです。判子もってます? じゃここについてください」 「何を言ってるんですか、いりませんから」 と若そうな男性の声がしてドアが閉められそうになったとき、大人の男は片足をドアの隙間に入れてドアが閉まらないようにした。 「なにをするんですか、やめてください」 と若そうな声の男が言ってドアをさらに閉めようとした。 「いたいじゃないか」 と大人の男が言った。 「だって自分から足を挟む人が悪いんじゃないですか、こっちには入らないでといっているのに、もう帰ってください、足をどけてください」 「いたい、イヤだね、だからねえ、ここにチョンチョンと判子を突くだけでいいんだから、三ヶ月でいいよ」 「いりません、とにかくいりませんから、足をどけてください。あっ、何をするんですか、入って来ちゃダメじゃないですか」 ドアの隙間から体を入れようと大人の男に対して、部屋の住民それを必死で阻止しようとしていた。 「だから三ヶ月でいいんだから、判子押してよ」 「なんと言われたって、いらないものはいらないんです。帰ってください、ダメなものはダメ。あっ、そうだ。もうそろそろここを引っ越すんです。だから取れないんです」 「いつ?」 「来月頃」 「嘘ついてないだろうな、そのときに来て見るからな、もし居たらどうなるかわかってんだろうな」 「それは脅迫ですか」 「違うよ、だから、、、、」 トキュウは二人がやりあっているあいだ、ドアの隣にある赤い郵便受けにぼんやりと眼をやっていた。その郵便受けはところどころ塗料がはげ、黒くさび付いていた。そして何気なくその郵便受けに張られてある花模様のシールに眼を止めていると、急激に気持ちが悪くなり吐き気を催していた。トキュウはその場を離れてアパートのわきの排水溝に顔を向けてしゃがみこんだ。そして次々と襲ってくる吐き気に身をゆだねるようにじっと眼を閉じた。しかし、何も吐くことはできなかった。結局全身がしびれるように不快さだけが残った。トキュウは思った。今日はあんまり寝てなかったし、食べ物もまだなんにも食べてなかったし、それにこんなに暑いんだから、気持ち悪くなったのだ、と。 そこへ大人の男がやってきた。 「お前こんなところで何やってんだ。ちゃんとやり方を見てないとダメじゃないか」 トキュウはしゃがんだまま言った。 「キュウに気持ちが悪くなって」 「お前はずいぶん弱いな、なあんだゲンキの話と違うじゃないか、なんか凄く喧嘩に強い奴がいるって聞いたけど、お前じゃなかったのか、たいしたことないな」 ![]() * * * ![]() |