青い精霊の森から(6部) はだい悠
* * * その大人の男はトキュウの様子を見ながらしばらく黙ったあと再び話し始めた。 「最近の若者は本当に根性がないなあ、すぐ値を上げるんだから、お前本当にやる気があるのか、情けねえやつだな、まあ、言ったってしょうがないか。まだ子供見てえなもんだからな、さあ、帰るぞ、今日は止めだ、なんか調子が悪い」 そう言って大人の男は歩き出した。トキュウも立ち上がりついていった。 歩きながら大人の男は独り言のように話し始めた。 「あの野郎は本当にしぶとかったなあ、大人しそうな顔してぜんぜん強そうには見えなかったんだけどなあ、ちょっと脅せばすぐに判子つくと思ったんだけどなあ。いいか、まあ、お前みたいなのに言ったってしょうがないけど、この仕事はな舐められちゃいけないんだ。あんまり下手に出て弱みを見せちゃいけないんだ。なにせみんな新聞屋だと思ってすぐにバカにして来るからな、だから、いいか、相手がちょっとでもスキを見せたら、そこをどんどん突いていくんだ、そこが弱点だからな。別に悪いことやってんじゃないから、絶対に容赦しちゃだめだよ。必要なら脅したっていいのさ、なにせこっちだって生活が掛かってんだからな。それにさあまり大きな声ではいえないけどさ、こっちには天下の大新聞社がついているんだからな、、、、」 と大人の男は喋り続けていたが、トキュウはついていくのがやっとで頭には何にも入ってこなかった。 トキュウは再び大人の男のバイクに乗った。そして公園まで送ってもらうと、少し体を休めようと考え、公園の林の方へ歩いていった。そして出来るだけ静かな奥のほうに入っていってある木陰を選ぶと、そこに体を横たえ眼を閉じた。するとすぐ意識がなくなった。 太陽は傾き、林のなかが薄暗くなり始めたとき、トキュウは目覚めかけていた。風にそよぐ木の葉の音を感じていると、ふと頭に昼間見た赤い郵便受けに張られたシールの花模様が浮かんできた。するとそのとたんにトキュウの頭は、トキュウの意思を無視するかのようにトキュウの過去の記憶をたどり始めた。そしてそれはある地点まで行くと止まった。そこは暖かそうでもあり冷たそうでもあり、様ざまな感情と雰囲気に満ちた広がりを持っていた。しかしトキュウにはそれが何であり、そこがどこであるのかまったく判らなかった。ゆっくり眼を開けると気分が良くなっていることが判った。しかし、どうしようもなく心細く、心臓の鼓動が聞こえてきそうなくらい寂しさを感じた。 トキュウは、誰かの足音が聞こえてきたような気がしてその方角に眼を向けたが誰もいなかった。トキュウは怖くなってそこを離れた。そしてミュウのマンションに行くことにした。 ミュウの部屋には誰もいなかった。 トキュウは昨夜以来ほとんど何も食べていないことに気づいた。そこでミュウの冷蔵庫から食べ物を今のテーブルに運ぶと、空腹に任せて食べた。するとまもなく玄関のほうがざわつき、ドアが開けられいっきに少女たちの賑やかな声が響いた。 「開いてるの?」 「開いてる、開いてる」 「大丈夫なの?」 「ミュウ、来たよ、いるの?、あっ、いるいる、けど」 「あんた一人なの?」 トキュウが頷くのを見て少女たちは我先に話し始めた。 「ねえ、ミュウはどこ? 独りで何やってんの?」 「あっ、あたしも食べようっと、お腹すいてんだ」 「シャワーこっちだっけ」 とモチが言うと、少しも間をおかずにレイが 「あたしまだ化粧中途半端なんだ」 と言ってレイが急いでバックをあける。 「あんた、トキュウって言ったよね、どうしてここに居るの?」 トキュウが食べるのを止めて答える。 「腹が減ったから」 「あっ、そう、それだけ、ふ―ん、どこへ行ったんだろう? ミュウは」 「ねえ、あんた、判らない? 判らないの、変なの」 「ほんとに良いわね、ミュウのとこに、いつも食べ物があって」 「なにせ、ミュウは金持ちだからね」 そのとき上半身裸で部屋を横ぎったモチにレイが言った。 「やだあ、それじゃ丸見えじゃん」 するとマイが言った。 「へいき、へいき、トキュウはもう見慣れてるもんね」 「何それ、変なの」 「あたしたちは変わったのよ、前と、だから違うのよ」 「変ったって、何が?」 「よく判んないけどさ」 ・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ トキュウは少女たちにどう話しかけて良いかまったく判らないことに気づいた。そして今まで、同世代の女の子たちをどんなに苦手にしていたかを改めて思い知らされた。そこで自分からはなるべく話しかけないようにした。 やがて少女たち全員テーブルの周りに集まった。そしてトキュウの存在を忘れたかのように話し始めた。 初めに化粧を直したレイが。 「ねえ、モチ、昨日あれからどうなった?」 「聞きたい? そうね最初恐怖って感じ。とにかく怖いの。それからあとは、スピード、スピードって感じ。光がどんどん流れていくの、ボォッとして何も聞こえないの、それから空を飛んで、電波塔の光のそばを通って、星が手の届きそうなところに見えたの」 「ウソみたい、夢を見たんじゃない」 「夢じゃないほんとよ」 「なんかやばいもの飲まされたんじゃない?」 「それでどうなったの?」 「あたしにも良く判んないんだけどさ、気がついたら真っ暗だった。そうだよね、林の中だったもん、それだけ」 「とっても、ふ、し、ぎ」 するとマイが 「ねえ、聞いて、聴いて、あたしにも不思議なことがあるのよ。あたしってあんまり部屋を掃除しないでしょう、でも、ときどき綺麗になっているときがあるのよ」 「気持ちワル」 「だれか、はいってんじゃないの」 「そんなことない、カギはちゃんとかけてあるよ。このあいだも眠っているときに音がして、眼を開けたら、女の人が、何かをやっていたの」 「へえ、誰だったの?」 「判んない、眠いからまた寝ちゃったの」 「もしかしたら幽霊じゃないの?」 「その部屋で昔何かあってさ、怖くないの?」 「ぜんぜん、あたしって幽霊怖くない人なの」 「ふ、し、ぎ」 「あたしは、いや」 すると今度はサクが話し始めた。 「あたしだって不思議なことがあるのよ。あたしっ方向音痴でしょう。前にさ仕事の面接に行こうとしたら、道に迷ってさ、どうしてもたどりつけないの、すると眼の前に一匹の犬が歩いていてさ、その犬歩きながら私のほうをチラッと見るの、その犬昔家で買っていた犬にとってもよく似ていたの、それでさ、その犬についていくとその場所に行けたの、ほんとよ、ほんとだって、それだけじゃないの他にも二三度あったんだから」 「ウソみたい、作ってない、信じられない」 「ほんとだって、ふ、し、ぎ」 するとマイがふたたびさえぎるように話し始めた。 「ねえ、聞いて、不思議なことってまだあるのよ。あたし小さいとき空を飛んだことあるの、ほんとよ。ちいさいときハトさんを追いかけていたら、ハトさんが言ったの、もしあたしを捕まえたら空を飛べるようになるって、そこでいっしょうけんめい追いかけてハトさんを捕まえたの、それで高いところからハトさんといっしょに飛んだの」 「ふーん、ほんとに飛んだの?」 「ほんとに飛んだの、ほんのちょっとのあいだだったけど、フワットね」 「うそみたい」 「それ飛んだんじゃなくって落ちたんじゃないの」 「ほんとだってば」 「いいじゃないの、マイがそう思っているなら」 「ねえ、そのあと救急車で運ばれなかった?」 「ないって」 マイの話しが一段落するこんどはモチが話し始めた。 「ねえ、聞いて、聞いて、あたしにも不思議なことがあったの、この前さ、交差点で待っていたら後ろからぼそぼそと声を掛けられたの、 『車に気をつけろ』 って、振り向いたらホームレスみたいなオヤジたった。それで気味悪くなって走って横断歩道を渡ったの、そしたら後から歩いてきた人たちにダンプが突っ込んで、沢山の人が死んだり怪我したりしたの」 「何、それ、そのホームレス、モチを助けたってこと」 「そうなのかな?」 「モチを知ってたのかな?」 「判んない?」 「でもどうしてダンプが突っ込んでくるのわかったんだろうね、ふ、し、ぎ」 そしてレイが話し始めた。 「でも不思議といったら、車に跳ね飛ばされてもなんともないっていうのも不思議だよね。ねえ、トキュウ、あんた本当に大丈夫たったの? かすり傷ひとつで」 「もう、大丈夫?」 「うん、なんともないよ」 と言ったあと、トキュウは初めて少女たちの会話に入れた気がした。するとレイが話し始めた。 「ねえ、あたしのこと聞いて、あたしのことそんなに不思議なことじゃないんだけど、ちょっへんなことなの,このあいださ、変なオヤジが寄ってきて言うの、 『中学生の娘がいるんだけど、君のようにならないようにするためにはどうしたら良いんだ』 って、なに、これと思った」 「レイのようにならないようにって、どういう意味なんだろう?」 「ええ、あたしにはわかんない」 「たぶん遊んでるってことじゃない、それとも不良?」 「バカってことじゃない」 それを聞いて少女たちは声を合わせて子供のように笑った。 「それで何て言ったの?」 「お、か、ね、お金よって、小遣いたくさん上げればあたしのようにはならないって言ってやった」 「それって新しいナンパじゃない?」 「わかんない」 そして再びモチが話しだした。 「ねえ、あたしさあ、このあいだオヤジと付き合ってやったの、でもお金くれなかったのよ、朝まで付き合ってやったのに、まったく頭に来ちゃう」 「もう止めなよ、オヤジなんかと付き合うのは、何が良いの、あんな豚肉みたいな顔したオヤジ、ちっとも楽しくないじゃい、いつもあたしたちを変な目でみるのはオヤジだよ」 「でもさ、あたしたちに近づいてくるのは親父が一番多いよ」 「そうだよ、すぐ声を掛けてくるもんね」 「いいじゃない親父だって、嫌うことないよ。あたしたち同じ人間だよ。みんな仲間じゃないか、来るものは拒まずってさ」 「そうだよ、あたしたちの良いことはみんなと仲良くすることじゃん」 するとマイがさえぎるように言った。 「でも朝まで良くやれるね、あたし朝って大っきらいなの、何かしらけた感じがしてさ、耐えられないの、朝に大勢の人たちがまじめそうな顔をしてまっすぐ歩いているのを見ると、なんか見気持ちが悪くなるの、あたし変な目で見られるより、耐えられない」 「あたしも朝はイヤ、だって怖いもの、ガラスがいっぱいいてさ、ゴミをあさってんの、そばを通っても逃げないしね、どこから出てくるのかしら」 「野良猫もうじゃうじゃいるしね」 「あっ、あたしネズミみた」 「見た、見た」 「ねえ、どうしてそんなに居るのに死んでるとこ見ないんだろうね」 「あたし、おばあちゃんに聞いたことがあるけど、猫って死ぬときは、飼い主から離れて、と語かわからないところでひっそりと死んでいくんだって」 「うそ、まるっきりアンビね」 「みんな飼い主のとこで死んでるよ。このあいだテレビで猫の葬式やっているとこ見たもん」 「じゃカラスはどうなの?」 「カラス? カラスはやっぱりひっそりと死んでいくんじゃないの、どっかの山の中でさ」 「ねえ、ねえ、最近急に見えなくなった子たちがいるよね、あたしたちが来たときには目立っていた子たちが、チャイとかブンとか」 「あたし、なんか聞いたことがある。死んだみたい」 「へえ、ひっそりと、それじゃカラスと同じじゃない、あたしたちもそうなるのかしら、さびしく」 「バッカじゃないの、なるわけないじゃん、だってあたしたちはこんなに自由にさ毎日楽しくやってんのよ」 「なんで死んだの?」 「病気みたい」 「何の病気?」 「判んない」 「あれじゃない、うつされたんじゃない」 「サク、あんたも気をつけたほうが良いよ、あんたを見てるとなんかハラハラするよ」 「だいじょうぶ、あたしはだいじょうぶ、絶対に病気なんかにならないから、だって占い師が言ってたもん、あたしは幸せになるって」 「ああ、それじゃますますだらしなくなるね、ところでお金返してもらった?」 「ううん、まだ」 「それはそうだよね、見ず知らずの人にお金貸したんだもんね」 「へえ、なんで貸したの?」 「だって、こまってたもん」 「それで住所は聞いたの?」 「聞いてない、でも二ヵ月後には必ず返すからここにきてくれって言ったの」 「バッカじゃない」 「それはいつ?」 「もう少し」 「あきらめたほうがいいって、そんなおとぎ話見たいなこと」 するとレイが割り込んできた。 「いいんじゃないの、返してもらわなくたって。そんなに困ってないんでしょう、あたしだったらくれてやる。いつも、もらってるばかりじゃダメよ。こっちからくれてやるのよ。もうそろそろこっちからやってやるのよ」 「そうだね、あたしって前にさ、大勢にやられそうになったの、そこでやられる前にやってやろうと思って、こっちから一人一人指名してさ、やってやったよ。ざまあ見ろって感じね」 「あんたはえらいよ、そうこなくっちゃ」 「それ以来、あたしは何でもやれると判っ たわ。もう何があっても無敵ね。子供のころからあれやっちゃいけない、これやっちゃいけないって、しかめっつらしてさ言われてきたけど、いざやってみるとどおってことないのよね」 「そうよ、あたしなんか神社でやったことがあるけど、どおってことなかったわ」 「あたしなんか、賽銭箱の上にのっておしっこしたことあるけどね」 「あっ、どうかしら、おしっこしながら歌を歌うって言うのは、面白いじゃない」 そのとき買い物袋を下げてかえったきたミュウが言った。 「ああ、もういやんになっちゃう」 「どこへ行ってた?」 「不動産屋から来るように言われて、一ヶ月以内に出て行ってくれって」 「部屋代払ってないから?」 「違う、ちょっと騒ぎすぎたみたいね、近所から文句でて、いいさあ、次の部屋探すから、でもなあ」 「難しいのよね、部屋を借りるって、あたしも大変だった」 「部屋、盗るわけにも行かないしね」 「ねえ、あたしの家は広いしさ土地も持ってるから、そこにみんなで住まない?」 「それ、山とか畑じゃない」 「あたり、よくわかったわね」 「もう、やけくそ、みんな食べて」 そう言いながらミュウは買い物袋をさかさまにして中味をテーブルの上にぶちまけた。 マイがモチに言った。 「この匂い、なんかいや、よく食べるね」 「どうして、美味しいじゃない、チョコレート」 「あたし作っていたことがあるから」 「どこで?」 「工場で」 「へえ、真面目に働いていたことがあるんだ」 「すぐ止めたわ、だって毎日同じことのくり返したもん。歌手になるのに関係ないもんね」 「じゃ、いつでも好きなだけだべれたんだ」 「最初はそう思った。でも、そんなんじゃなかった。流れ作業で働いていると、だんだん食べ物っていう気がしなくなってった。ああ、この匂いなんか気持ち悪くなりそう」 「マイはどこ出身だっけ」 「いわない、だってもう関係ないよ。あたしたちには、誰がどこ出身で何をやってたかなんて、ねえ、みんな、歌でも、テレビでなんか言う人も、今が一番大事たって言ってるじゃない」 「そうだけど、喋りぜんぜん変じゃないよ」 「ねえ、どんな喋り方してたの?」 「おしえない」 「こっちに来て覚えたんだね」 「そうよ、あたし天才みたい、おしゃべりの」 「そういえばマイは、外人ともうまく喋れるよね」 「マイがおしゃべりの天才なら、あたしは化粧の天才かしら」 「それならあたしは遊びの天才ね」 「あんたはあれの天才じゃない、そんなんじゃデザイナーになれないよ。まっ、あたしは絶対ダンスの天才ね」 「ほんとうにダンサーになるつまりなんだ」 「ねえ、トキュウは何になるつもり?」 トキュウは自分のことが話題にされることを恐れていたので少し無愛想に応えた。 「まだわからない」 「トキュウはあたしたちといるの楽しくない見たいね」 「あたしたちのこと避けてるみたい」 「なんか普通の男の子と違うよね」 「ほんとうはあたしたちのこと嫌いなんじゃない。なんかそんな気がする」 トキュウがしぶしぶ応えた。 「嫌いじゃなくって、怖いって言うか」 「うそっ、アンビーよ」 「あんなに強いのにね」 「こんなに可愛いのにね」 それを聞いて少女たちは再び子供のように声を合わせて笑った。そしてマイが言った。 「でも、あたしたちのいいとこは、嫌われたからって、嫌ったりしないってことだよね。皆といっしょに仲良く楽しくやろうとすることだよね」 「そうそう」 そのときサクがトキュウの腕を見ながら言った。 「ああ、血がにじんで黒くなっている、そのバンドエイド代えたほうがいいよ。昨日あげたのまだあるよね」 そう言われてトキュウはポケットに手を入れ、なかに入っているものを全部つかみ出すと、それをテーブルの上に置いた。そして紙切れのあいだに挟まっていたバンドエイドを探し出すと、それをさっそく貼ろうとした。 「ねえ、水で洗ってから貼ったほうがいいよ」 そう言われてトキュウは席を立った。 洗い終わって戻ってこようとしたとき、少女たちがざわついていた。サクが手に持った一枚の写真を眼にしながら叫ぶように言った。 「やっぱりそうじゃない、トキュウはこんな子が好きだったんじゃない」 「なに、なに、それ、へえ、これがトキュウの彼女の写真なんだ、気持ち悪い」 「どれ、どれ、キャア、なにこれ、ぜんぜん可愛くないよね、つまらなさそう」 「でも、なんか、どっかで見たことがあるような顔だね」 「判らない、よくある真面目な、あれ、優等生の顔じゃない」 その写真は、トキュウのポケットから出されて、テーブルの上に置かれたままになっていた物の中から、モチが無断で取り出したものだった。 トキュウはとっさにあのときの写真だと判ったが、好奇心のとりこになっている少女たちから写真を取り上げることは無理だと思い、彼女たちの好きなようにさせていた。やがて少女たちの好奇心から開放されてその写真がトキュウに手に戻ってきた。そして所々に汗によると思われるしみができ、表面を蔽う細かい皺でやや見にくくなっているその写真を眼にしていると、トキュウは、急に溢れる涙を手で拭いながら、子供のように泣いてしまった。それはまず理由もなくいきなり涙が溢れてきて、その後徐々にその理由が頭に浮かんでくるという状況だった。それを見て少女たちが言った。 「あれ、なんか悪いことしたみたいね」 「彼女の悪口言われたからじゃない」 「そんなんじゃないよ、なぜもっと大事にしなかったんだろうって」 とトキュウは涙声で応えた。 そのときそれまであまり関心を見せていなかったミュウが、トキュウからその写真を取り上げると、不敵な笑みを浮かべてじっと見つめていた。そしてひきつるように笑いながら言った。 「あっはっは、何なの、この写真、まるで宇宙人みたいね。これがトキュウの彼女だなんて笑っちゃうわね。まさか、これがトキュウの彼女だなんて、おもしろいじゃない、ぜひ、あってみたいよ。ねえ、トキュウ、どうしてこの写真持ってんだい?」 「ずっと前にある人から、その写真のこを探しているって言う人から頼まれたんだよ。もし見かけたら電話をしてくれって、そのときにもらったんだよ、でもこんなにくしゃくしゃになってしまって、もっと大事にしてろばって思って、それで」 「でも、そんなことで泣くことないじゃない」 「ちょっと変だよトキュウは」 「子供だって泣かないよ」 「いやほんとうは好きなんじゃない、好きじゃなければもってないよ」 「きっとそうだよ、どうもあたしたちには興味ないみたいだもんね」 「それで見つかったのその子は」 「ぜんぜん」 「そりゃあ、そうだろうね、だって、トキュウの眼は節穴だもん、まあ、たぶん、永久に無理ね、今まで見つからないんだったら、あっはっは、なんておもしろいんだろう、こんなおもしろい人探しなんて初めてだわ。あっはっは」 トキュウにって少女たちのどんな冷やかしもほとんど苦にならなかった。それよりも少女たちの眼の前で子供のように泣いたことがすぐこの場から離れたいくらい恥ずかしかった。そこでトキュウは少女たちが再び自分たちの話題に夢中になり始めたのを見て、コッソリと部屋を抜け出した。 夜の闇に輝く喧騒の町は、待ち焦がれたかのようにトキュウをむかい入れた。トキュウは何かから開放されたかのように、なぜか気持ちよかった。そしてちょっぴり懐かしさをかんじながら仲間たちと合流した。 そしてそれからは、今まで以上に自分から進んで、仲間とはより親しく、その他のグループとは激しく敵対しながら、たむろし、ふざけあい、遊び、ときには思い出したかのように、衝動的に食べ物を採取したり、獲物を狩ったりしながら、誰よりも夜を楽しむようかのように精力的にさまよった。 数日後、ミュウがサイスの指令を仲間に伝えた。 今夜の十二時を合図に、みんなで手分けして繁華街のあちこちの交差点や人ごみで賑わう場所に、発炎筒を投げ込むようにと、そしてミュウは顔見知りとできるだけ多くの若者に発炎筒を渡した。vvv そして十二時。町のほうぼうで少年たちによって投げ込まれた発炎筒が燃えた。町あっという間に煙に包まれ騒然となった。車は渋滞し初め、ほとんどの人々はとまでい立ち止まった。パトカーは予期されていたかのようにさっそく集まりだし、警官の姿が至るところに目立ち始めた。v しかし煙が立ち込めた幻想的な光景は、たとえ華やかであっても、それまでの町の光景に少し飽き飽きしていた人々に新たな夢を見させようとしていた。立ち止まった人々はこれからいったい何が起こるのかと胸をときめかせた。 そして深夜の町自体が人々の狂おしい期待と底なしの好奇心によって何かに変容しようとしていた。 やがて、どこかの通りに高らかなエンジン音が響き渡ると、バイクに乗ったサイスがもうもうと煙を巻き上げながら悠然と現れた。見ると十本ほどの束ねられた発炎筒が、バイクの後ろに紐で結びとめられ、乱暴に引きずられていた。 最初サイスは、以前のように通りから通りへと、車や人間の通行を妨害しながら、自由自在に、しかも人間の眼をひきつけるかのように、ときには蛇行したり同じところを何度も旋回したりしながらゆっくりと走りまわっていたが、そのうちに警官とフェンスによって、通りという通りが次々に封鎖されていき、徐々にその行動範囲が狭められていった。そして気が付くとひとつの通りだけということになってしまっていた。そして見物する人もそれに合わせるかのように移動した。 やがてその通りも、時間とともに狭められていき、長さ五十メートルほどの一区画だけになってしまっていた。そしてそれもどんどん狭められていき、ついにさいすは小さな円を描くだけしかできなくなっていた。 舗道側はどんどん増えていく人々で埋め尽くされ、通りの両端は、サイスを捕らえようとする警官とフェンスでふさがれた。それはもうどこにも逃げることができないという完全に包囲された状態だった。 そのとき群集に紛れ込んでいたトキュウは、人々の口から発せられた思いがけない声を聞いた。それは決してサイスに対する非難ではなく、こんなにもあっさり捕まってしまうなんて、期待していたことが何も起こらなかったじゃないか、という不満と落胆の声だった。そしてみんなつまらない映画を見たときのような幻滅の表情をしていた。 サイスは諦めたようにバイクを止めた。結びとめられていた発炎筒はもう煙を発していなかった。サイスはゆっくりと紐を解いてそれをはずした。警官が取り囲むようにサイスに歩み寄った。そしてトキュウもこれで捕まるんだと思った次の瞬間、サイスは再び爆発的にエンジンをふかすと、いきなり群集をめがけて突進した。それを見て群衆は二つに割れた。するとそこに地下手地の入り口が現れた。そしてサイスはそこに飛び込むかのように一瞬に内に消えてしまった。 それを見て群集はどよめいた。なかには歓声を上げるものさえいた。群集はその本来の生命を取り戻したかのように生き生きとし始めた。 警察は急いで駆けつけたが後の祭りで、右往左往するだけだった。トキュウはとっさに思った。きっともうひとつの出入り口から出てくるに違いないと、そしてそこへ駆けつけたが、すぐに後から警官がやってきてそこを封鎖した。しかし五分経っても十分経ってもいっこうに出てくる気配はなかった。そして二十分ほどすると、遠くにバイクのエンジン音が聞こえてくると、やがてだんだん大きくなって、再びサイスが群集で混雑する通りに悠然と現れた。そしてサイスは再び挑発するかのようにゆっくりは走り始めた。 トキュウは不思議だった。だが、サイスは自分たちにはない何か地区別な能力を持っている凄い人間だと思うと夢を見ているような興奮を覚えた。 サイスは相変わらず自由自在に走りまわっていたが、今度は少し様子が変だった。警察が作戦を変えたようだった。サイスが走る場所は時間が経つにつれて徐々に群集の集まりやすい繁華街から遠ざかっていった。そしてついに、両側が線路と大きな川に挟まれた人通りも少ない道路に追い詰められた。道路の両側は先程よりも堅固に封鎖され、線路側には容易に越えられそうもない金網のフェンスが切れ目なく続いていて、川側には大人の背丈ほどのコンクリートの堤防が走っていた。その封鎖された道路の途中にはアーチ型の鉄橋が掛かっていたが、そこもすでに完全に封鎖されていた。 警官が動き出した。両方から挟み撃ちにするかのように、サイスをはさんでお互いの距離を縮めていった。じょじょに押し寄せてきていた野次馬は警察の後ろからついていった。トキュウたちもその中に混じっていた。 片方は鉄橋を通り越して勢いよく迫ってきた。そしてサイスをはさむ距離が十メートルほどになったとき、歩みを止めた。サイスは観念したかのようにバイクを止め大人しくなった。そして四五人の警察官が近づき始めたとき、だれもが今度こそは捕まるだろう思ったその瞬間、警察はまたもやへまをやってしまった。サイスが突然激しくエンジン音を響かせると、バイクをた雲に操りながら一瞬のうちに堤防に乗り上げると、その上を、鉄橋に方に向かって走り始めた。サイスは橋に近づいても堤防から降りなかった。そして橋を封鎖している警察を避けるように、そのまま橋を支えているアーチ型の鉄骨の上を上り始めた。うろたえる警察官をあざ笑うかのように、悠然と昇り続けた。そして高さ三十メートルほどもあるその橋の頂点に何事もなく達すると、今度は反対側に向かっており始めた。そして向こう側につくと、ほとんど無警戒に近いその封鎖線を難なく突破すると再び道路を走り始めた。しかしサイス橋腰もスピードを上げなかった。警察が追いつくのを待つかのようにゆっくりと走り続けた。 だいぶ数は減ってはいたがほうぼうから集まってきた野次馬にまぎれて、トキュウたちもサイスの後を追った。 やがて体制を整えた警察は再びサイスをひとつの通りに追い込んだ。その道路は川に沿って走る堤防と建ち並ぶさまざまな公共施設の堅固な塀と門扉にはさまれていた。今度は警察は、堤防はもちろん、門扉のない施設の中にまで入って厳重に警戒していた。そして道路の封鎖も二重三重にしていた。 再びサイスの封じ込め作戦が始まった。そして次第にサイスの行動範囲は狭められていった。 トキュウは今度こそ捕まるような気がした。しかし、どうしても逃がしてやりたかった。そこでトキュウはひとり群集から離れて、警察の眼を盗むようにコッソリと、建ち並ぶ建物の裏側に周り、闇にまぎれてある施設の塀を飛び越えてそのなかに進入した。 トキュウにはその施設がなんであるかは判らなかったが、運良くそこには警察官の姿はなく、場所もちょうど封鎖されている道路の中ほどであったので、そこの門扉の隙間から、道路の様子をはっきりと見ることができた。サイスは目と鼻の先に迫る警官隊に囲まれながらも悠然と走りまわっていた。しかしトキュウの眼には絶体絶命のように映った。トキュウは偶然にも門扉が動くことを確認すると、そこからサイスを逃がすことを考えた。そこでトキュウはサイスが目の前を通り過ぎようとしたとき、門扉をあけながら大声で 「ここから逃げろ」 と叫んだ。その声に気づいてかサイスは飛ぶように走りこんできた。 トキュウは警官が追いかけてくるのを見て、急いでその場を走り去りながら、サイスに声をかけた。 「いま、裏門をかけるから」 と。そして裏門につくとそこを開け、サイスが来るのを待った。しかしバイクの音はするがいっこうにサイスを現われなかった。そして実際にやってきたのは複数の警官だった。そこでトキュウはすばやくその場を離れ、金網のフェンスを飛び越えて隣の建物に移動し、そこからサイスの様子を覗った。 その施設の広場をサイスは相変わらず自由自在に走りまわってはいたが、正門も裏門は封鎖され、その上多くの警察官に取り囲まれていたので、トキュウは万事休すであることを実感した。 そのとき建物のあちこちに灯りがつき始めた。ヤガテ窓のカーテンが開かれ、そこに老人たちの姿が見え始めた。この施設は老人ホームだったのだ。 トキュウは今度こそ本当に捕まると思った。だがその瞬間だった。またもやサイスが攻勢に出た。エンジンを最大限にふかしスピードを上げると、花壇やテーブルや椅子を蹴散らしながら走りまわり、そして強引に警官隊の包囲網を切り裂くと、その建物の玄関のガラスドアに突進した。カラスは砕けて激しく飛び散ったが、サイスは難なく侵入に成功した。そしてサイスの姿は建物のなかに消えていったが、外では警官隊があわただしく動きまわり、好奇心旺盛な野次馬はすでに門扉の外にまで押し寄せてきており、周辺はますます騒然となった。 サイスはここがどういう場所かまったく意に返さぬかのように今までどおりに自由自在に走りまわっているようで、建物のなかからはエンジンの爆発音が響き渡り、その至る所からガラスの割れる音や物が倒壊する音が聞こえてきた。そしてじょじょに老人たちが建物のそとに出てきた。しかしトキュウにとって不思議だったのは、その老人たちの誰一人として恐怖や不安の色を浮かべていなかったことだ。むしろ楽しいことを待ち望む子供のようにみんなウキウキとしているように見えた。 老人たちと入れ替わるように警官がぞくぞくとなかに入っていった。やがてしばらくすると、突然その二階建ての建物の屋上から、夜空に向かってエンジン音が響き渡ると、その上をバイクで走っているサイスの姿が見えてきた。そしていったんサイスの姿が見えなくなると、突如空中を飛ぶサイスの姿が眼に入ってくるなり、そのまま隣の建物の非常階段に着地するのが見えた。それを見て群集はどよめき歓声を上げた。老人たちもいったい何が起こっているんだろうかという風に、ときおりその方角に眼を向けながら生き生きとした表情で話し始めている。v サイスはその非常階段を上へ上へと昇り始めた。そして十階ほどあるその建物の屋上にたどりつくと、自分の姿がみんなに見えるような場所にバイクを止めて、じっとしていた。おそらく警官がやってくるのを待っているのか。 やがて警官が屋上に差しかかろうとしたとき、サイスは再びバイクを走らせた。そしていったん道路とは反対側の屋上のへりまでいくと、すばやく反転して今度はそこから道路の方に向かってどんどん加速しながら走り出した。加速は最後まで止むことなく、バイクはそのまま建物の屋上から空中に飛びだした。そして道路を跳び越し、川に水しぶきを上げて落下した。あっというまの出来事だった。群衆も警察も堤防に押し寄せた。トキュウも一目散に駆けつけた。 しかし、川は対岸の光景を反射しながら何事もなかったかにように黒ぐろと流れていた。 トキュウは群集にショウとサンドとゲンキとタイヨウを見つけ、いっしょになった。 みんな今眼の前で起こった出来事をどう表現して良いか判らないといった感じで、子供のように眼を輝かせて興奮をかくさなかった。 やがて警察による形だけのだらだらとした捜索が始まったが、トキュウたちはその場を離れた。なぜなら、誰もがサイスはもうどっかに泳ぎ着いて逃げたに違いないと思っていたからだ。 五人は繁華街へと向かった。歩きながらサンドが叫ぶように言った。 「ひゃ、やった、やったぞ。ざまあみろってんだ。あれは完全に警察の負けだ。何にも手を出せなんだから、チカラねえ」 タイヨウも大声で言った。 「ああ、ヘナチンポだ、ヘナチンポ」 ゲンキも大声で言った。 「みんな見た! バイクがそらを飛ぶなんて、あれたしかに飛んだよね」 タイヨウが応えるように言った。 「ああ、と ん だ、と んだ、百メートルは 飛んだぞ」 ショウが声をうわずらせながら言った。 「オレは夢を見ているのかと思ったぞ」 トキュウもみんなにあわせるように大声で言った。 「夢なんかじゃない、現実だよ」 「そうだ、そうだ」 「実際に起こったんだよ」 ゲンキが少し押さえ気味に言った。 「あっ、そうだ、どうしても判らないことがあるんだよ。サイスが地下に入っていったとき、どこから出てきたんだろう?」 ショウが答えた。 「それは決まってんだろう、電車に乗って隣の駅にいったんだよ」 「ええ、だってバイクで電車に乗れないじゃん」 「バカだなあ、お前、何にも判っちゃいないんだな。それじゃサイスが今まで言ってきたこと、意味ないじゃん。よく言ってたじゃないか、俺たちは自由なんだって、何でもできるんだって、決していいことはするなって、俺たちは思ったこと、感じたこと、やりたいことを自由にやっていいんだよ」 「そうだよ、俺たちは自由なんだ、何でもできるんだ」 「あっ、それからもうひとつ判らないことがあるんだよ。サイスが追い詰められたときさ、どうしてあそこの門が開いたんだろう? いったい誰があけたんだろう?」 そのときトキュウが大声で言った。 「オレなんだよ、オレがあけたんだよ」 「そうか」 「やるなあ」 「もう何でもできそうな気がするよ」 「俺たちは無敵だ、もう怖いものなんてないぞ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 五人は興奮をひきずりながら繁華街に入っていった。通りはすでに普段の光景を取り戻していたが、五人にとっては、かつてない以上に音と変化に満ち溢れ、光り輝いていた。 その後のトキュウたちは今まで以上に見慣れない若者たちと激しく対立し、そして衝突しながら、思い出したように食料を採取し、手ごろな獲物を狩った。 ![]() * * * ![]() |