酔いがさめて(前編) はだい悠 普段よりも少し遅く起きたキヨシは、食堂の椅子に腰を掛けると、妻花江の出したお茶になかなか手をのばさなかった。なぜなら、花江のお茶の出し方がいつもよりも乱暴であったし、その後もじっと横に立っていたからであった。キヨシは、昨夜なにかヘマをやったのだろうかと思いながら目をしばたかせたり、薄くなった頭と供えもちのように膨らんだ腹を交互になでたりして、なにか考え事をしているかのように装っては、妻が離れるのを待った。 「ふうん、とぼけちゃって。」 そう言いながら花江はその場を去った。 キヨシはやはり何かがあったのだと確信しながら、ようやくお茶をすすり始めた。そして、きっと昨夜のことが関係しているに違いないと思い、再びそのことを思い返してみたものの、起き立てで頭がボォッとしているせいか、思い出されるのは十名の従業員といっしょに行きつけの飲み屋に飲みに行ったということだけで、その後どうなったかはまったく思い出すことは出来なかった。ましてや、妻が機嫌を悪くする様な事などにはまったく思い当たる節がなかった。しかし、妻がなにかにひどく怒っていることだけはひしひしと感じていた。 台所から戻って来た花江は、今度はキヨシの前に腰掛けると無愛想に言った。 「ねえ、どういうつもりなの?」 「はい、なんでしょうか?」 「へえ、ずいぶん下手に出てきたわね。やっぱり少しは反省しているのかしらねえ。」 「だから、なんでしょう、奥さん。」 「もう、あきれた、まだ、とぼける気なの。ゆうべのこと少しも覚えてないの?」 「はい、ちっとも。」 「しょうがないわねぇ、まったくなにが楽しいんだか、ぐでんぐでんによっぱらちゃってさ、みんなに抱えられて帰ってきたよ。」 「まあ、今までにも良くあった事じゃないの、なにもゆうべに限って、目くじら立てなくても、、、、」 「そうじゃないのよ。その後のこと。色々あったのよ。」 「わしがゲロでも吐いたっていうのかい?」 「ふん、かってに言ってれば。無責任なんだから。さらにそのあと、あんたがだらしなくロを開けて寝ているときになにがあったか判る?上田さんも三郎さんも落ち込んじゃって、もうこの会社は終わりだとか、社長は頭がおかしくなったんじゃないかって言ってさ。」 「だから、なにがあったんだよ。」 「もう、まだ、とぼける気なの、いい気なもんね。」 「よわったなあ、そう言われたって、なにが在ったのかさっぱり判らんのだよ。」 「それじゃあ、ずばり言うけど、なんで世話人に徳ちゃんを選んだのよ。」 「いや、知らない。わしは選んでないよ。」 「「まあ、あきれた。あんたって言う人は、ゆうべ皆の前でなにを言ったのか覚えてないんだ。」 「わしがなにを言ったって言うんだい。」 「ほんとうにしらばくれちゃって。自分でトラブルの種をまいといて、これだからねえ。たまげた。みんなで飲みなおし始めて、しばらくして言ったそうじゃないの。今度の現場は大手の建設会社の大きなところだから全員であたるって、しかも公共工事だからなにかと厳しいので、きちんとした代表者というか、打ち合わせをしたり連絡を取ったりする世話人みたいなものを出さなければならないって、それを徳ちゃんにやってもらおうって言ったそうじゃない。みんなは最初は、あんたが言い間違えたと思ったそうだけど、そこで上田さんが、徳で良いんですかって聞くと、あんたは、うん、徳だ、徳にやってもらおうと、ニコニコしながらハッキリと言ったそうじゃないの。いくらもう出来上がっていたかもしれないけど、よりによって、徳ちゃんの名前を出すなんて。世話人といったって、代表者みたいなもんでしょう。連絡とか打ち合わせの係りとか言ったって、実際は、安田さんや三郎さんにあれこれと指図をしたりするんでしょう。昨日まで、下で働いていたものから、今日になって急になにかを言われるなんて誰だってきっと面白くないと思うわ。ましてや、入ってきて一年?二年?二年か、あっ、まだ二年か、そうでしょう、まだ二年でしょう。そんな徳ちゃんの言うことを、この仕事を十年以上もやっている人たちが、はい、そうですかなんて聞けると思っているの?もうやってられないと考えるのも当然だと思うわ。あんたってそんなことも判らない唐変木じゃないでしょう。ねえ、ほんとうはさ、酔っ払って何がなんだか判らなくなって、言い間違えたんでしょう。そうでしょう。」 「いやあ、覚えてないんだよ。なにを言ったか。まったく、なんで徳を選んだのか、正直言って、わしにもよく判らない。みんなと飲み始めたところまではハッキリと覚えているんだよ。だからそのときまで、世話人は、ヤスダにしようかサブロウにしようかって迷っていたのもはっきりと覚えているんだよな。でも、その後の事となるとまるっきし記憶にないんだよなあ。ほんとうだよ。」 「あたしは、あんたが酔っ払って言い間違えたと信じているから、そのことをあんたが訂正すれば、それでみんな丸く収まると思っているよ。ねえ、そうするんでしょう。今晩仕事が終わって、みんなが事務所に帰ってきたときそのことをハッキリ言うんでしょう。」 「う、うん。みんなは仕事、、、、」 「当たり前じゃない、いま、何時だと思っているの。」 「いや、そうじゃなくて、様子はどうだったのかって、、、、」 「いつもと変わらなかったわよ。当たり前じゃない。あんな話し本気でみんなが信じている訳ないじゃない。」 「うん、それはよかった。、、、、なんで徳なんか選んだのかなあ。どっちにしようかって迷っていた事だけは覚えているんだけどな、、、、その後の事となるとなあ、、、、」 「あたしはなにも迷うことないと思うわ。あんたがサブロウさんにしたい気持ち、それは判るわ。なにせ実の弟だもんね。では、ハッキリ言って、あたしはきちんと仕事をやるヤスダさんのほうが良いと思うわ。サブロウさんねえ、あの人は仕事よりお酒でしょう。二日酔いといっては仕事を休むし、寝坊しては昼頃に現場に入るし、現場監督とはよく喧嘩をするし、いやになると途中で現場を投げ出すし、なにもかもヤスダさんとは正反対でしょう。ヤスダさんが居なかったら、今ごろ家はどうなっていたかねえ。せっかくの大きな仕事、なんか目茶苦茶になりそうな予感がするわ。サブロウさんなら、、、、」 「そうです、その通りですよ。あなたのおっしゃることに間違いはございませんよ。わしだって、ヤスダに任せれば、奴の生真面目な性格からして何とかやってくれるだろうとは思っているよ。けど、そう思い通りに事が運ぶなら、なにも初めから迷いはしないよ。ヤスダは、仕事の虫っていうか、根っからの職人っていうか、それが返って災いしているんだよなあ。ヤスダは大手の仕事が大嫌いなんだよ。なぜだと思う、判らないだろうなあ。大手の仕事っていうのはだな、とにかくうるさいんだよ、細かいんだよ。あうやってはいけないとか、こうしなければならないとか、規則や約束事がいっぱいあって、仕事が思うように出来ないんだよ。そのほかにも仕事中に、安全講習会とか事故防止訓練とか、様々な集まりや会議みたいなことがあって、落ち着いて仕事が出来ないんだよ。それがヤスダは大嫌いなんだよなあ。この前やったときなんか、面倒くさくっていやだ。仕事が出来ないのは死ぬほどつらい、もう二度とこんな仕事はやりたくないっていってたよ。でも、ほんとうの、、、、まだみんなもよく判っていないと思うけど、ヤスダにする最大の障害は、はたして、サブがヤスダの命令をおとなしく聞くかって事なんだよな。それこそ下手をすると空中分解になってしまうよ。」 「それじゃいうけど、徳ちゃんがやるとうまく良くとでも思っているの。徳ちゃんの言う事こそ誰も聞かないでしょう。徳ちゃんが入って来たころのこと覚えてるでしょう。仕事も遅く失敗ばかりしてさあ、しょっちゅう怒られてばかりいたじゃない。それで何か問題が起こると、徳ちゃんが関係なくても、いまだに、すぐお前が悪いとか、お前のせいだとか言われて、みんなから、からかわれたり笑われたりしているじゃない。あんなに頼りなかったのに、わずか二年でそんなに成長しているとは、とても思えないわ。もっとも、ついた親方が親方だから、無理もないけどね。徳ちゃんの失敗って言うけど、半分以上はサブロウさんに責任あると思うわ。教え方が悪いのよ。だって、徳ちゃんと一緒に入って来たマモルくらヤスダさんのもとで働いているせいか、失敗したって言う話しあまり聞かないでしょう。きっとヤスダさんの指導が良いのね。あたしは本当は言いたくないんだけど、サブロウさんてヤスダさんの半分ぐらいしか仕事が出来ないんじゃないの。」 「お前がそこで言うならわしにも言わせてもらうよ。べつに弟をかばうわけじゃないけど。でもね。確かにお前の言うとおり、ヤスさんがいなかったら、今頃どうなっていたか判らないよ。わしもこんな体だから。でもね、半分って事はないだろう。どんな仕事だって、人より倍働くって事は、大変なことかんだよ。せめて、一.四とか一.五とか言ってくれなくちゃ。うんそうだよ、確かにヤスはきちんとしすぎるくらいにきちんとしているよ、完璧に近いくらいだ。あいつに任せていればまず間違いない。会社にはなくてはならない人間だ。その通りだ、そうだ、でも、、、、」 「でも、でもなんなのよ。とにかく、今晩みんなが帰って来たらちゃんと言ってね。夕べ言ったことは間違いだったってね。きっとよ。」 「う、うん。それにしてもなんでそんな事言ったのかなあ。不思議だ。あっ、そうだ、酔っ払って言ったのなら、なぜそう言ったのか、同じ気分になれば判るかもしれない。どうだろう、いま、ビールでも、、、、 「なに、バカなこと言ってるの。」 そう言いながら花江は席を立った。一人になったキヨシは間が悪そうにして、七月の強い日差しに照らされた窓の外の風景に目をやった。そして、今日も暑いなか大変だろうなあ、と社員のことを思いやった。 午後になるとキヨシは、家の隣に建て増しされた事務所にこもると、書類などに目を通してすごした。そして、妻が買い物に出かけるのを見計らって、昼前に軽くあしらわれた計画を実行に移した。ビールを二本持ち込んで飲んだ。キヨシは飲み終えるとすぐら空き瓶を台所のケースに戻した。そして冷房を利かせて昼寝に入った。 社員十名で、下請けとして、またときには孫請けとして、どんな土木工事でも引き受ける会社を経営しているキヨシは、六十前のやや太り気味の中年男であった。性格はおうようで楽天的であった。だいいち見た目からして、このような仕事をやっているものに見られるある特有のあくの強さとか抜け目のなさといった感じはまったくなかった。そのせいか、この年まで、自分の家族や会社の将来についてまじめに考えたことは一度もなかったと言っても良いくらいであった。だから、息子が一人居て、親元を離れてサラリーマンをやっていたが、将来いっしょに住もうとか、親の仕事をついでくれないかなどとは夢にも思ったことはなかった。 キヨシは帰ってきた花江に揺り動かされた。 「ねえ、でんわ、元請からのでんわ。」 −−−−−−−− 「はい、どうもお待たせしました。」 −−−−−−−− 「はい、どうも、社長にはいつもお世話になりっぱなしで、、、、」 −−−−−−−− 「いやあ、ちょっと気持ちがよかったもんで、ちょっくら昼寝を、、、、」 −−−−−−− 「いや、とんでもないっす。ちょうど起きようかなあと思っていたところで。えへへへへ、、、、」 −−−−−−−− 「ああ、社長の耳にはもう入っておりますか。いや、社長がだめだって言ったら、だれか他のものにしますけどね、、、、」 −−−−−−−− 「あっ、そうですか。かまわないですか。」 ーーーーーーーー 「そうですか。どういうのかって事ですね。サブのところで働いている徳っていう奴なんですけどね。年は二十二かな。仕事をしててもあんまり目立たないから、社長はご存知ないかもしれませんね。見た目はほんとうに頼りなさそうなんだけど、それほどぼんくらでもないし、まあ真面目と言えば真面目だし、でも出来る出来ないかは、つかみ所がないところもあって、いまのところは、なんとも。仕事ははっきり言って、ちょっと遅いかな。でも、言われたことは最後までちゃんとやる男なんですけどね。まあ、サブのもとで今までやってきてるんだから、我慢強いところも在るし、、、、代表者といっても、世話役みたいなもんで、たいした仕事じゃないんでしょう。まあその気になれば奴にも勤まるんじゃないかと思うんですけどね。」 −−−−−−−− 「あっ、そうですか。」 −−−−−−−− 「ああ、他の親方たちね。実はですね。正式にというか、まだはっきりとは決めてないんですよ。いちおうみんなに言ってみただけって言うか。いやだというものが出てきたら、べつに変えてもいいなあとは思っているんですけどね。えへへへへ。いやあ、オレのひざさえ悪くなかったら、若い者には負けずにバリバリと走りまわるんですけどね。」 −−−−−−−− 「はい、かなり良くなって来ているんですけどね。ご心配いただいて本当にありがとうございます。」 −−−−−−−− 「ああ、この間のトラブルのことですか、本当に迷惑をおかけしました。とんだへまをやっちまって。」 −−−−−−−− 「へえ、なにがあったというか、なかったというか。とにかくあの日は、もう前の日からごたごたしてましてね。明日は四つの現場に行かなければならないということで。ところが朝になると、サブが二日酔いで休んでしまって、それでとりあえず徳を、さっき話しに出てきた男なんですけどね。その徳を一人で現場に行かせたわけですよ、ところが、ところが、どうしたわけか、徳の着くのが遅れちゃって生コンを無駄にしてしまったということなんですよけどね。徳には、他に工事のことを知っている者が居ないから絶対に遅れないように言ったんですがね。徳も決められた時間を守らないようないいかげんな男ではないんですがね。なんか途中で交通事故の現場に出くわしたということで、けが人もいっぱい出てて、それで徳がけが人を自分の車に乗せて病院に連れて行ったということで、なにも徳がやらなくても救急車に任せておけば良いんですけどね。それで生コン代をパァーにしたということで、みんなからはドジだバカだって怒られるわ。なにもとく一人の責任ではないような、色んなことが積み重なってあの様になったような気がしますけどね。徳も徳で、みんなから、なんやかんやって言われているあいだじゅう、すまなさそうな顔をして頭をかいているばかりで、変な奴っていえば変な奴なんですけどね。」 −−−−−−− 「はい、判りました。それでは正式に決まりましたら連絡させていただきます。お世話さまでした。今後もどうぞよろしくお願いいたします。それではどうも、失礼いたします。」 受話器を置くとキヨシはソファーに背を持たせかけた。そして、変な奴といえば変な奴、とつぶやきながら、昨夜酒の席でなぜ世話人を徳に決めたのかようやく考え始めた。 夕食を終え、キヨシは居間でくつろいでいた。そこへ後片付けを済ませた花江がやってきて、前に座ると、楽しそうに笑みを浮かべて話しかけた。 「ねえ、みんなに言ったんでしょう。夕べのこと、あれは間違いだったって。」 「ああ、うん、うん。」 「なあにその言い方。あっ、言ってないのね。どうしてみんなが集まっているときに言わなかったのよ。」 「いやあ、ついうっかりしてな、忘れたんだよ。」 「うそ、あんた嘘ついてる。あんな大事なこと忘れるはずないわ。あういうことはなるべく早く言ったほうが良いのよ。こじれるとあとで大変なことになるわよ。ねえ、なぜあれほど念を押したのに言わなかったのよ。」 「う、うん。そんなにまくしたてられてもなあ。いや、本当の子というと、どうしようかなっというか、これで言いのかなって言うか、、、、実はね、元請と電話で話したあと、夕べなぜ徳を選んだのだろうかって、じっくり考えたんだよ。そしたら、まあはっきりとは判らなかったんだけど、なんとなく判ったんだけど、徳でもそんなに悪くはないなあということなんだよ。それにいったん決めたんだから、とりあえず徳でいってみることにしようかなという気になっていたんだよ。それでね、、、、」 「まだそんなこと言ってるの。他の人たちは黙っていでしょう。たったの二年しか経験のないような者の言うことが聞けるかって思うよ、きっと。」 「うん、それはそうだけど、そうならないような感じもするんだよなあ、、、、」 「感じで大事なことを決められたんじゃ困るのよ。みんなから怒られたり笑われたりしている者が勤まるわけないでしょう。もし、失敗でもしたらどうするつもりなの、内だけじゃないのよ、迷惑がかかるのは。元請だって。ほかの仕事仲間だって。全体の信用問題なのよ。ああ、どうしよう出入り禁止業者なんて言われたら、、、、もし、そうなったらみんなばらばらになって、会社もなくなってしまうのよ。」 「だいじょうぶだよ。そういうときは俺が足を引きずってでも出て行くよ。もしもだよ仮に、そうなったとしても、こういう仕事っていうのは何度でもやり直しが聞くんだよ。まさかお前、この会社を大きくしようなどといまだに思ってんじゃないだろうね。俺にもっともっと頑張れって言うの、今のままで良いじゃないの、このぐらいの大きさで良いじゃないの。みんながみんな大きくなろうとしたって、大きくなれるみんばゃないよ。それよりもだよ、誰かがこういう仕事をしなければならないんだよ。それにこういう仕事しかできない人もいるんだよ。そういう人たちがいっしょに集まって仕事するしかないんだよ。人にはそれぞれ分相応ってものがあるんだよ。だいじょうぶ、仕事が嫌でなければなんとでも生きていけるんだよ。ほう、そうか、するとお前は、まだまだどんどん働いて、もっともっと大きな会社にしろって、本気で思っているのか、ひざが痛くて満足に歩けない俺にむかって、、、、 「なにもそこまで言ってないでしょう。なんか不利になるとすぐ興奮して話しをそらしてしまうんだから。」 「えへ、えへへへ。たしかに、徳って言うのは、お前の言うとおりだよ。でも、それは悪いところだけ見るからだよ。人にはみなそけぞけ良いところと悪いところがあるんだからね。サブにだって悪いところばかりじゃなく、きっと良いところもあるはずさ。良いところ、サブの良い所だろう。だから、悪いところといったって、見方によっては良い所にもなるんだよ。サブはよく、適当とかいいかげんとか、サボるとか仕事熱心じゃないとかいわれているけど、適当とかいいかげんとかという事は、あまり細かいことにこだわらない、かたぐるしくないということだからね。下のものから見れば、気楽で仕事がやりやすいって言うことだからね。それにサボるとか、仕事熱心じゃないという事だって、休みたいなあとか、サボりたいなあと思っている者にとっては、とてもありがたいことなんだよ。このようにちょっと見方を変えるだけで、まわりに迷惑ばかりかけていると思われているサブにも良いところが出て来るんだよ。もしかしたら、サブは思ったより役に立っているかもしれないよ。」 「なに言ってるのよ。屁理屈もそこまで行くとおめでたいね。ふんだ。」 「逆にヤスダは良いところばっかしだ。誰も悪く言わない。真面目だし、前向きだし、仕事も文句のつけようもない。まさに仕事一筋って感じだよな。でもしいて言うならちょっと厳しいかな。もう少し付き合いがよくても良いんじゃないかな。なんとなく冷たい感じがするかな、少し面倒見が悪いかなって言えないこともない。それにそこまで仕事が出来るなら、自分で独立してやればいいんだけど、でも、ヤスダはそれをやらない。俺かに見たらヤスは充分にその力を持っていると思うんだけど、でもやらない。なぜだと思う、さっき言ったことも少しは関係していると思うけど、人にはみんな得て不得手、短所長所があって、それぞれ周りからとやかく言えない生き様ってもんが在るんだよ。それにだよ、そこまで申し分んのない人間のもとでなら、辞めていく人が少なくてもいいはずじゃないか。でも、実際は サブのところとほとんど変わらないよ。だから、良いとか悪いとか一概にいえないんだよ。判るかなあ。そこで徳の良いところなんだけど。徳の良いところなあ。道具を大事にする。いつも身のまわりをきちんと整理している。これはものすごく良いことなんだよ。それにみんなはよく、鈍感とか融通が利かないとか言うけど、いわれたことは時間が掛かるけど最後まできちんとやる、これは目立たないことだけど、とても大切なことなんだよ。それにだよ、人のことを悪く言わない、これはお前のように人と人を比べたり評価したりしないからなんだね。それは、そんなこと出来ないとか、そんな余裕がないからだと思う人がいるかもしれないが、これは、たぶん徳が、周りの人間を俺だちのようにあまり気にしないからなんだろうね。それで何を考えているのかよくわからないって言う人も居るかもしれないけど、考えによっては、心がのんびりとして穏やかであるとか、心が広いとかって言えないもともないんだよね。ちょっとボォッとしすぎなところもあるけどね。あっ、そうだよ、そうなんだよ。徳の良いとこは、仕事が好きって言うことよりも人間が好きって言うことかな。これはものすごく良い事なんだよ。それにさ、お前はよく、たったの二年じゃなにも判らないだろうって言うけど、なんとなく年数以上の経験を積んでいるような気がするんだ。」 「それはそうでしょう、失敗ぱかりしているんだから。もう、十年分の失敗を経験しているはずだわ。 「そうなんだよ、そこなんだよ。十年分の失敗を経験しているってことは、この仕事を十年やっているのと同じようなもんだからね。それにサブの失敗もいやというほど見てるだろうしな。とすると、案外捨てたもんじゃないかもしれないよ。そうだそうだ。」 「どさくさに、訳のわからないこと言わないでよ。ねえ、わたしにいい考えが在るんだけど、聞いてくれる。孝次にやってもらったらどうかしら。孝次なら経験がなくでも文句言う人いないんじゃないかしら。」 「だめだめ、こんな土方仕事嫌いだって、ろくに顔を見せないじゃないか。」 「ふん、それならどうするのよ。」 そのとき玄関のチャイムが鳴った。 「あっ、来たわ、きっとヤスダさんね。今日限りで辞めさせていただきますって。ああ、大変、大変なことになったわ。」 と花江はうれしそうに言いながら席を立つと、急ぎ足で玄関にむかった。まもなく、花江につれられて、徳が居間にやってきた。 キヨシが驚いたように話しかけた。 「なんだ、おまえか、どうした。」 「えっ、ちょっと、お話しが、、、、」 「あ、そう。まぁ、こっちに来て座れよ。」 「このままで、ちょっと汚いもんで。」 「あっ、かまわない、汚れたらあとで洗濯すればいいんだから。相変わらず、お前はまっ黒になっているなあ。」 「えへへへ、、、、、」 「でも、あとしばらくしたら、それともおさらばだな。」 「あのう、そのことなんですが、もう、参っちゃって参っちゃって、朝からずっと、先生、先生、親方、親方って、ニヤニヤしながらみんな言うんですよ。もう一日じゅうからかわれっ放しで、嫌で嫌でたまらなくて、オレには勤まらないですよ、みんなの代表者なんて。まだ二年しか経っていないし、先輩たちに比べたら、まだなんにも判ってないですから。たぶんみんなは、今までオレがやってきた失敗を見てますから、オレの言うことなんかバカにして聞かないと思いますよ。それに指し図って言うか、オレに言われるのが嫌で辞めていく人が出るんじゃないかと思うと、とても心配です。それから、オレだって、先輩たちに何も言えない様な気がするんですよ。ですから、夕べの話しは断りたいのです。誰か他の人にやってもらおうという訳には、、、、」 「ふん、うん、いや、そういうことは俺の決める事じゃから。」 「ええ、そうでしょうけど。でも、オレには、ちょっと。、、、、それではどうしても聞きたいことがあるんですけど。なぜですか、なぜその役割をオレにしたんですか?はっきり言ってオレはみんなのように仕事は早くないので、いつもみんなの足を引っ張っていたような人間ですよ。それに失敗してはよく怒られていましたよ。オレほど失敗して怒られていた人間は他には居なかったですよ。ついこの間も大変な失敗をやらかしてしまって、みんなに怒られたばっかしで、そんなドジな人間をみんなの代表に選ぶのはなぜですか?理由はいったいなんですか?」 キヨシはやや戸惑った表情を見せながら話し始めた。 「なぜ、なぜねえ。それは、もちろんちゃんとした理由があるからさ。まあ、やるとかやらないとか、理由とか、そんなことは話しの最後でも良いじゃないか。それより飯食ったか?」 「いえ、まだ。」 「そうか、。お母さんや、適当な時間になったら、なにか軽くだべられるものを出して。その前にビールでも飲んでと、まあせっかくだからお前も付き合えよ。」 二人は花江が持ってきたビールを飲み始めた。そしてキヨシが先に言った。 「徳、今お前だれと暮らしてんだっけ。」 「おふくろと弟と妹の四人です。」 「あっ、そうか、お父さんはなくなったって言ってたもんな。するとお前は、家族を養っているんだ。えらいな。」 「たいしたことないですよ。なんとかなりますから。」 「ここに来る前は何をやってたんだ。」 「運送会社の運転手。」 「その前は。」 「、、、、高校を二年で辞めて、鉄工所で溶接工を。でも、あるとき大きな工場で換気設備の工事をしているときに、火花が積んであった発泡スチロールに引火して火事になっちゃって、全部こっちの責任ではないのに、なんか、防火責任者を置いてなかったとか、免許を持ってない溶接工使っていたとかで、一方的に責められて、社長はノイローゼになっしまうし、罰金とか補償金とかもあって、なにせ小さな会社だったので、会社までもだめになってしまって、それで辞めることになって。それから次に運送会社に勤めたんです。でも毎日が忙しくて忙しくて、寝る暇もないくらい忙しかったです。それにずっと一人で仕事をするので、なんか退屈で退屈で、頭がおかしくなるくらい退屈だったので、いつも眠気と戦ってました。でも、あるときついに居眠りを運転をしてしまって、車を倒しちゃって、オレは平気だったんですけれど、車と荷物をだめにしてしまって、でも、それは保険で何とかなったんですけれど、なんとなくいずらくなって辞めてしまいました。ついてないって言うか、運がないっていうか、子供のときからいつもそうでした。それで新聞広告を見て社長のところに来たんですよ。」 「そうか、そうだったのか。なあ、徳、あれだろう。マモルはお前といっしょに入ってきたんだよな。たしか、同じ日だったよな。友達だったのか。」 「いや、違います。偶然同じ日だったんです。」 「あっそう。あれから二年か。もうって言うか、まだって言うか。俺はあのときのことを結構はっきりと覚えているんだよ。なんせ、どっちにしようかなって迷ったからな。どっちをヤスに付けてどっちをサブに付けるかってな。話し振りや見た目からして、どっちかというとマモルのほうが几帳面そうだったから、自分のやりたいようにやるサブに付けたら、きっと嫌になって、二、三日で辞めていくだろうと思ったから、それで、たしか、きちんきちんと仕事をやるヤスに付けたんだっけな。そこでお前がサブということになったんだよ。いや、おまえのこと、サブみたいなやつだとか、お前なら、ニ、三日で辞めていっても良いなあと思ったんではないよ。あれだよ、あれ、あくまでも見た目だから。だって、最初はしょうがないじゃない。まだ、どんな人間であるか、実際に働いてみないと判らないんだから。お前だってそう思うだろう。でも、結果的にはそれでよかったみたいだね。どう、サブに付いてみて、、、、」 「いやあ、なんかすごいなあって、世の中にはこんな人も居るんだなあって。驚いたって言うか、悪い人とは思わなかったんだけど、でも、よく思った。なんでオレが、マモルじゃなくてオレが、貧乏くじを引いたって言うか、あっ、すみません、なんでオレがサブさんに付いたんだろうって。マモルはどんどん仕事を覚えて伸びていくし、オレは失敗ばかりしてもたもたしているし、あんまり差がつきすぎるので、このまま続けていても意味がないなあとか、またまた運に見放されたのかなあなんても思ったりして。でも、今、特別な理由なんてなかった、適当に決めたんだって聞いたら、ちょっとがっかりしたというか、、、、」 「いやあ、ちっとも適当って訳じゃないよ。というより、はっきり言って判らないんだよ。これはどこの会社だって同じようなもんだと思うよ。お前も見てきているように、今もだいだい一年に十人くらいは新しく人が入ってくるだろう。若いのから年取ったのまで色々と。でも、なんだかんだ言っても結局残るのは一人や二人ぐらいで、入ったのと同じぐらいの人数が毎年色々な理由で辞めていくだろう。徳、お前にわかるか、入ってきたときに顔を見て、こいつは長持ちするだろうとか、こいつはすぐに辞めて行くだろうとか。そうだろう、わからんだろう。長くこの仕事をやってきている俺にもよく判らないよ。くちが達者だからと言って、手や足もよく動くとは限らない。体が大きいからといっても力があるとは限らない。顔が良いからといって賢いとは限らない。年を取っているからと言っても仕事のことをよく知っているとは限らない。仕事が出来るからといってもみんなを引っ張っていけるとは限らない。こんなことはまだまだいっぱいあるよ。要するにオレにはわからねえ。とにかくいちおう、皆といっしょに働いてみるまでは、そいつかどんな人間で今後とうなるかは正直言って見当もつかねえ。だから、初めからあまり深く考えないようにしているんだ。どうせわかりっこねえんだから。それで、聞こえは悪いんだけどさ、だいたいは成り行きに任せることにしているんだよ。判ってくれるかな。な、なんだよ、お前がそんなにサブのとこで働くのが嫌だったんなら言えばよかったんだよ。誰にも遠慮することねえんだから。言えばお前の行きたいとこにまわしてやったよ。たかが土方仕事だから、なにも我慢してやることないんだよ。うん、そうだ。そんなに嫌だったら、なぜ代えてくれって言わなかったの。」 徳は困ったように頭をかきながら言った。 「いやあ、いやと言うより、びっくりしたって言うか、たまげたって言うか、それで、あんまり考えたことは、、、、」 「そうだろう。お前が何にも言わないもんだわら、こっちはそれで言いと思うしかないだろう。そうか、びっくりしたか、無理ねえな。近くには何から何までサブと正反対のヤスが居るからなあ。余計目立つんだろうな。お前もヤスについていたら、あんなに失敗して怒られずに済んだかもしれないな。仕事も今より早くなっていたかもしれないな。サブは何にも教えないもんなあ。」 「ええ、もうなんて言うか、教えないのは、サブさんだけじゃなかったですよ。他の人たちだってぜんぜん教えないし、そりゃあもう大変でした。」 「二年前だから、タケジイとトラタとチョウがいたんだな。奴らは人には教えないだろうな。」 「それで、とにかく何にも知らなかったので、何か言われるまでボォッと立っていると、ボヤボヤすんなとか、遊びじゃないんだとかってよく怒鳴られました。でも、そんなこと言ったって何にも教えないもんだから、本当にこまっちゃってこまちゃって、どうしてよいか判らなくて、それで、もうとにかく何とか自分で仕事を探しては、人のやることを見よう見まねでやるしかなくって、でも、そうは言っても、やり方が判らないもんで、失敗したり、みんなの邪魔をしたりして、すると、今度は余計なことするなと怒られたりして、ますますどうしてよいか判らなくなってしまって、ああ、とんでもない所にきてしまったなあと思ったりして。初めからきちんと教えてくれたらオレにだって出来るのになあと思ったりして、、、、」 二部に続く ![]() |