ブランコの下の水溜り(18部) はだい悠
「いや、そんなことないと思うよ、いくら昔に発見されていたからって、自力でそう云う法則を発見すると云うことは、すばらしいことだと思うよ。たとえ何の役にも立たなくたってね。だって"行列"を最初に発見した人だって、こんな遊びから入ったのかもしれないよ。それにさ今は、なんの役にも立たなくても、いつかは役に立つことがあるかもしれないよ」 「そういってくれると僕もまんざらでもない気分になるよ。でも本当にいいたかったことはこういうことじゃないんだ。実はこの法則を発見するためには、朝から部屋に閉じこもってさ、ほかのことは何にも考えずに、何度も試行錯誤を繰り返しながらただこのことだけに神経を注いでたんだよ。そして夕方になって、やっと発見してね。やったと思って、それまでの緊張を解きほぐすようにボォッとしていたんだよ。そしたら、そのときだった、奇妙なことが起こったんだよ、笑い声が聞こえるんだよ、甲高いケラケラとして笑い声が、それは外からじゃない、ボクの頭のなかからだよ。どんなに笑うまいとしてもだめなんだよ、そうだなあ、むしろ冷静でいようとすればするほど甲高くなるように気がしたんだよ。このまま気が狂ってしまうのではないかと思った。十分ぐらい続いたかな、頭を振ったり手で抱えたりしているうちにどうにか収まったけどね。よく気分が滅入るときがあるけどそう云うのとは違うんだよね。いったいどういうことだったんだろうね。ボクは異常なんだろうか?」 「、、、、、、なんだろう?、、、まあ、朝からそう云うことだけをやってたんだから、それでだろうけど、、、、、うん、そうだ、たぶんこうだよ。その法則って言うのはまったく抽象的で論理的なことだよね。つまりそのあいだは感覚的というか、感性的なものがまったく抑圧されていたわけで、それで法則を発見した後に、それまで抑圧されていたものが解放されて一挙に吹き出そうとしたんだよ。だって笑いの素は頭のなかだけど、笑いそのもは肉体的で感性的なものじゃない、もしあなたが法則を発見したあとに、真面目腐った顔をして冷静にしていないで、喜びを素直に笑わして、人が見たらバカと思えるくらい、笑ったり飛び跳ねたりしたら、そう云うことにならなかったかもしれない。頭のなかから聞こえたのは、頭のなかの感性的な部分を扱っている部分が肩代わりをしたんだよ、たぶんね。ようするに、まあ、個人差はあるんだろうけど、普通の人間には論理的抽象的な面だけではなく、感性的な面も必要だってことじゃないかな。だって生きてることってそもそも感性的なことだからね。だからそれは偏った状態から本来の正常な状態に戻ろうとしたために起こったので、決して異常なことなんかじゃないよ。むしろ正常な人間の証拠だよ」 高志は窓の外にボンヤリと眼をやりながら聞いていた。その表情から彼が納得したかどうか走ることが出来なかった。しばらくして高志が呟くように言った。 「、、、、、論理的抽象的ね、、、、論理的なら核武装だね、、、、、」 「、、、、、、、」 窓の外は暮れかかっていた。清二か言った。 「どう、町に出てみない。年末だから賑やかだろうね。たまには賑やかなとこもいいよ」 高志は何も答えなかったが、立ち上がって外出の準備を始めたので了解したようであった。 部屋を出るとひとりの老女にとすれ違った。高志が声を低めて言った。 「感じの悪い婆さんだよ」 「隣だろう」 「なぜ知ってるの?」 「いや前に来て、居なかったときに見たから」 「昼でも夜でもよく会うんだよ。何かいいたそうな顔をしてさ感じが悪いよ。まるで監視されているみたいだよ」 「気のせいさ、確かに目つきは悪いけど、暇でほっつき歩いているんだよ。それとも嫁と折り合いが悪くて居ずらいからかな、、、、隣りには他にどんな人が住んでいるの?」 「いや、判らない、全然付き合いがないから、だってここに移ってからまだ一年たってないよ。洋子は知っているかもしれないけど、でも話題にしたこともないよ」 町は年末のあわただしさに溢れていた。その肉感的で躍動的な華やかさや賑やかさは高志の部屋で熱っぽく話したことを忘れさせ、しらけたものにするほどであった。車も人通りも激しい交差点に出ると、ヘルメットをかぶりハンドスピーカーを持った学生風の男のアジ演説が聞こえてきた。 その前を通り過ぎると高志が髭を剃った顔を清二のほうに向けながら、苦々しい表情でやや興奮気味に言った。 「あう言うのはどうも好きになれない。だいいち何を言っているのか全然判らないよ。ただうるさいだけだよ。誰も聞いてないのにさ、自分に酔っているんだろうね。、、、、暴力で世のなかは変わらないよ、君は関心ないみたいだね」 「、、、、関心、うぅぅぅぅん、そうだ一休みしよう」 通りはあまりにも騒々しく、歩きながらだと落ちついて話しもできそうになかったので喫茶店に入った。 窓際に席を取った。 少し落ち着いてからとおりの風景に目をやりながら清二が話しかけた。 「本当にこのまま永久に繁栄しそうな勢いだね、、、、、町に出るのま久しぶりじゃないの?あれは挑発的だからね。気にならないほうがおかしいよ。たぶん、少しは自分に酔っているところもあるだろうね。なにせ今がいちばん生意気盛りだからね。関心ね、ボクは昔主体性がないとか日和見とか言われたよ。自分ではまったくそんなつもりはなかったんだけどね。まあ、周りから見たらどことなく安穏としていたように見えたんだろうね、でも直接政治に関わらなくても若いときって言うのはそれなりに大変なんだよ。それは荒れた時代でも平和な時代でも変わりないよ。それで昔ボクにそう云うことを言った人間が、今は平凡で安穏とした生活をしていたりしてね。別にそんな生活が主体性がないとか日和見とかと云うわけではないけど、『昔は格好いいこと言いやがって』と少しは皮肉もいいたくなるけど、まあ、お互い若くしてすねっかじりで生意気盛りのことだから仕方がないけど、、、、、関心ね。いや政治に関心のない人はいないと思いますよ。誰だって若いときは一度ぐらい、自分が前面に出て世のなかを変えようと思ったことがあるんじゃないの?。でも、色んなことを経験して、そのうちに、そう云う思いがだんだんなくなっていくんだろうけど、ただそう云う人でも政治にて対しては、その人なりていうか、自分にあった関心の示し方をしていると思うよ。なにせ浮浪者だって、みんなから邪魔者扱いされている者だって、政治に関しては、イッチョ前に意見を言うからね。目には見えないことなんだけど皆敏感に反応してもつともらしいことを言うからね。常日頃自分のやっていることからして、こっち(自分)は何をいうかと云う気持ちになるけど結構的を射たところがあって無視できないんだよね。ほんといってボクは政治の話をするのが苦手のようなんだよね。話しやすい話題の割には身近でないせいかなんとなくぴんとこなくてね、それをもったいぶって話すのはどうも照れるよ。それに、政治の話をするときってなんか変じゃない。普段他ことでは何かと一致するのに、たとえ仲の良い友達同士でさえも、政治の話しになるとさ、自分にとっては神聖にして不可侵であるかのように、頑固に言い張ったりして変によそよそしくなるんだよね。どう奥さんと話しをしてこんなことになることはなかった?」 「そういえばそうだね。よく意見が食い違うときがあったよ。そのせいか最近はあまり話してないけどね。でもそれは二つのまったく違う人格だから主義主張が多少食い違っていても別に不思議じゃないよ。むしろそう云うことは尊重されるべきことで、僕たちのあいだではそのことはお互いに了解済みだよ。ところで君の関心の示し方って云うのはどんなの?」 「、、、、ボク?ボクは、、日和見ですから。まあこれは冗談として、でも周りから見たら冗談かもしれないな。みんなの先頭に立って運動しているわけてもないし主義を表明しているわけでもないし、だいいち正直言ってね、この年までまだ選挙に二三回しか言ったことがないんだよ。よく言うえば政治家を信頼していると云うことだろうけど、悪く言えば無関心と云うことだろうけど、まあ弁解するわけではないけれど、同じ所に長く済んでいなかったり、職業をちょくちょく変えたりしているうちに、自然とそうなったんだろうね。ボクは今まで僕のような人間をいっぱい見てきたよ、いまもそう云う人間のなかに居るけどね。他の人はどういう理由で政治に無関心なのか判らないけど、ボクの周りに居る人はほとんどが選挙なんか、俺たちの生活には関係ないよと思っているよ。しかし無関心と言ったからといって、そう云う人々は別に人をだまして金を巻き上げているわけでもないし、人をこき使って暴利をむさぼっているわけでもないく、ごく普通に働いて生活している人たちだからね。なかには暴力的でごろつき見たいなのがいるよ、でも、そう云う人間が問題を起こすのは何も高度な政治的主張からではないからね、仕事のこととか、日頃の態度とか、日常的でほんとにくだらない些細なことが原因だからね。そう云う人間のなかに居て、国の政治がどうのこうのと言ったってしょうがないからね。僕にできることといったら、そう云う人間が周りのものにイヤがられることをしたり勝手なことをしようとしたら、あまりにもつまらないことだから、何とか止めさせるようにしたり、他のおとなしそうな普通の人間と協力したり友情を育てたりして、どうにかうまくやっていこうとすることだけだよ。だからけっこう身のまわりのことや、身近な人間ことで何かと問題があったりするんだよね、それだけでも人間にとっては精いっぱいなところがあるんだよ。この社会には僕たちのような人間を無関心だとして、偉そうな顔をして簡単に片付けるような、自分だけが関心を持っているような独りよがりの人間が居るけど、案外その人間のうぬぼれであったり、そう云う人間のほうが世間知らずであったりするんだよね。確かに直接政治は参加していないかも知れないけど、でも身近な人間とのあいだに色いろな友情を育て上げたり、その人があまり変なことをしないように見守ったりして、どうにかうまくやっていこうとすることは、みんなの前で、もっともらしいことを主張することと比べて、それほど劣っているとは思えないよ。人にはそれぞれ社会や政治に対してその人の境遇や立場に合った、それなりの関わり方や関心の示し方があるとボクは思っているよ。それに身近なことだからと言って、それが必ずしも目先の問題であるとき限らないと思うよ。 「、、、、、君がそう云う様ざまな人々のなかで、君なりに頑張っているのま判るけど、でも、政治と云うのは、そう云う個人的で日常的なものではないからね。社会的な問題だよ。とくに国の政治はね。それに結局は、政治は国民の選挙によって決定されるて居るんだよ」 「うん、いやボクは選挙には反対していないよ。だって今はそれ以外のいい方法が見付からないからね。ただいままでの成り行きで選挙に行かなかっただけだよ。やっぱり日和見かな、、、でも選挙ってどうしてあのように熱狂するんだろうね。みんな目立つような服装してさ、ところかまわずマイクでがなりたててさ、困るんだよ政治をお祭り騒ぎといっしょにされちゃ、人間が熱狂するのは異性に対したときだけでいいよ、もう少し冷静にやれないもんかな。それになんていやらしいほど、低姿勢なんだろうね。何か魂胆があるとしか思えないよ。考えようによってはバカにしているとしか思えないよ。あう言うのを見ているとはっきり言って選挙なんかに行きたくないと思うのが本音だよ。それに選挙にいくときは、これから何か重大なことをしに行くんだなと、気負ったりして妙に英雄的な気持ちになるんだよね。どうも虚栄心をくすぐられているところがあるみたいだよ。なぜ冷静で素直な気持ちで出来ないんだろうね、苦手だよ。ただし、そうだなあ、もし"政治家を必要としないような社会にしよう"と云う考えをもっている政党や政治家がいたら喜んで選挙いいくよ。しかし他にもっといい方法がないみたいだしな。でもあれだよ、ボクみたい人間が、じゅっぱひとからげに無関心だなんていわれているけど、ボクは、舐めちゃいけないよという気持ちをいつも持っているよ。他のものがどう思っているか判らないけどね。もし自分たちの都合の良いことをしようとしたり何かを無理やり押し付けようとしてたら抵抗するつもりだよ。もちろんそのときどきの境遇や立場の上でね。だから場合によっては暴力的なことになるかもしれない」 「暴力で社会を変えられないよ。仮に変えられても、そのための犠牲ははかりしれないし禍根が残るだけだよ。暴力、、、、、暴力は、、、、、いけないよ」 「うん、そうだろうね、出来るならそうなってはほしくないよ。まあ、はっきりいってそのときになってみないと僕にもよく判らないよ。今はちょっといきがって言ってみただけで、もしかしたにボクは本当は日和見で無関心なのかもしれない。だってボクは暴力にはとても臆病だよ、そう深刻に考えることないって、あくまでも仮定の話だから、、、、、もう止めよう、今の僕たちには直接関係のない話のために、お互いイヤな思いをすることないよ。せっかく町に出てきたんだから、はぁっと行こう、そうだ、これからのみに行こう」 それから二時間後、二人は飲み屋を出て人通りの少ない道を歩き出した。清二が言った。 「見たあの女、僕たちホモダチって言ったらいっしゅん目を輝かせたよね。本気にしてんの。そんなに興味あるのかな、多少そう見えるところがあるんだろうね」 「ふん、酔っ払っちゃって、もう止めようそんな気持ちの悪い話は」 「そうだ今晩は泊めてもらおうかな、いっしょに寝ようよ」 「止めように、ボクは冗談でもそう云う話はイヤなんだよ」 「よし、今度はここに入ろう」 二人はストリップ劇場に入った。 劇場内は四五十名の男たちでほぼ満員の状態であった。固定した椅子はなく、自由に席が取れるように移動の出来る円筒形の椅子があった。その椅子が少ないのか半数以上が立って見ていた。 清二と高志はそれぞれ自由に見る場所を選んだ。 清二たちが入ってきたときは、ちょうど前のショウが終わり、次のショウが始まろうとしていたときであったので、素直な期待感を持って臨むことが出来た。 リズミカルな音楽とともにまばゆい照明がステージに当てられ、華やかな衣装を身につけた"オンナ"が踊りだした。 清二はすぐに恍惚状態に入った。 踊りはまあまあで顔も美しい女優ほどではなかったが、痩せ型の均整の取れた体や、そのしなやかな動き、それに高いヒールの靴や華やかな衣装は、"オンナ"感じさせるに充分なものがあり、少なくともさっきまで路上や駅で見かけた女たち、普段日常的に接している女たちよりは歴然と眼を見張るものがあり、それはまさに"美しく躍動する性対象"であった。しかしその恍惚感も数十秒で収まり、気の強そうな女の顔つきや、あまり乗り気でなさそうな笑みを浮かべた表情や、その踊りの手抜き加減が気になった。 "オンナ"は身につけたものを、一枚、一枚、おどりながらとり始めた。その順序や間の取り方は決して悪いものではなかったが、動きが何となくぎこちないため、思わせぶりなものや女性的恥じらいを読みとることはできなかった。しかし見たいと思う気持ちを満足させることは出来た。全裸になった女は、最後に中央の回転するステージに腰を下ろして、客席に向かって自分の陰部が見えるように股を広げ、ゆっくりと回転し始めた。 ときには目の前の客に応じるかのようにその回転止めたりした。客は自分の視界に入ってこないあいだに妄想を膨らませることができ願望を満たすことが出来た。自分の陰部を見せている"オンナ"の表情は不思議なほど冷静でありむしろ無表情に近かった。女の目がガラスだまのように光っていた。それを涙と見るのまは愚劣きわまる感傷であった。それはまったくの照明のせいだった。それにその"オンナ"の客を侮るかのようなキツそうな目から、その厚化粧の下に隠れた、滅多なことでは動揺しないぞと云う、冷酷さを感じさせるほどの気の強さを読み取ることができたのであった。それは自分の行為に無感覚である蝋人形のような目に過ぎなかった。 "オンナ"はときおり無表情な視線を客席に投げかけた。それはまるで自分の行為の無意味性を感じているかのようであった。そして奇怪なことが起こった。"オンナ"が冷静な言い方で、立ってみている客に向かって、空いている席に座るように言ったのだった。自分の陰部を見せながら、そのいっぽうでは客に向かって冷静に指示をすると云う"オンナ"の行為にはなんとも機械的なものが感じられて場をしらけさせるものがあった。 入れ替わり立ち代り"踊り子"があらわれ、似たようなパターンが何度も繰り返されると、だんだん興奮しなくなっていった。 それは、清二がここに来る前に持っていた女性に対するイメージ、あでやか、しなやか、柔和、奥ゆかしい、清麗、純真、などが、全裸の女性を目にしているうちにだんだん破壊されていき、もはや再生不可能になっていたからである。全裸の"オンナ"は無感動な物体以外の何者でもなくなっていた。 清二は目を閉じて日常的な風景のなかのうつくしい、女性のイメージや、処女、オマンコ、など刺激的な言葉を意識的に思い浮かべながら、眼の前の女性が全裸であることを改めて認識しなければ興味を持つことができなくなっていた。 ときおり笑いが起こることがあったが、それは本来ここで行われていることは、日常的に見たら衝撃的なことであったが、だんだん見慣れてきているうちに衝撃性も感じなくなり、ただたんに滑稽さを感じていることの客席としての反応であった。男と女が現れ劇仕立てのものが行われた。欲情的なものを狙ったものであろうが、女に演技力がなかったり、構成が不味かったりして、そこからなんら意味を読み取ることができなかったので、想像力に訴えるものがなく、直接的な行為からくる滑稽さだけが感じられて何の興奮も呼び起こさなかった。 "オンナ"が産婦人科医が使用する金属製の器具を持ち出し自分で使用したり、客に使用させたりして自分の性器の内部を見せ始めた。おそらくこれは男たちが頭のなかで思い描いたことを単純にショーにしたのだろう。なぜなら男たちは興味深くこのことを頭のなかに思い浮かべるからである。そしてそのときにはいつも、女性のイメージが、それも魅力的なものとしてイメージが、伴っているのである。 しかしこのことを実際に行うとなると、その行為の最中には頭の中からあらゆる女性的なイメージは消滅して単なる産婦人科医となるしかないのである。だからもしこの行為で何らかの興奮を覚えるとすれば、それは女性の美や行為に対して、屈折した感情や劣等感を抱いている男であろう。しかし気が強そうな、しかも蝋人形のような女たちにそのような感情を抱くことはむずかしいのである。客のなかには照れるものも居た。おそらくそのとき男の頭には日常的に接する女性たちの観念が浮かんできたのだろう。ショーも最後のほうになり左右二箇所のステージで"オンナのダンサー"と客のあいだで性交が行われ始めた。しかしこの事象を表現する適切な言葉を人類は発見してこなかった。それは興味をそそるものでなく、感動を呼び起こすものでもなく、ましてや欲情的なものでもなかった。そこでは何事も起こっていなかった。無意味に思えるほどの運動があるだけであった。 目の前で行われていることは、イメージとしては反道徳的なことであるかもしれないが、決して反道徳的な行為ではなかった。なぜこのような無意味なことが行われるのか判らないほどであった。考えられることとしては、客寄せのためである。つまり客はこの場所から離れることによって、目の前で行われていることを"美しい女とやれる"という扇情的な言葉で初めて表現することができるようにからである。 清二は他の客が何かのきっかけで、またはちょっとした物音がするたびに、なにかが起こったかのような気がして、右から左へ、左から右へと移動して参観するのであるが、そこでは相変わらす何事も起こってなかった。ただ客のなかには、いま初めて眼にするもののように頑固なまでに女性に対するイメージを再生させながら眼の前の行為から欲情的な意味を読み取り、興奮している者も居るに違いなかった。 しかし清二は長く見ているせいか、頭が麻痺してどんなイメージや意味も頭に思い浮かべることはできなくなっていた。清二と同じように移動してみているものが他にも沢山居たので、これは決して清二だけのことではないようであった。 目の前で何が起こっているのかまったく判断ができないほど清二の頭は空虚感で満たされた。それは清二の人間性や精神性の完璧な崩壊であり、それはまさにエロティシズムの崩壊とともに起こったのである。 つまりエロティシズムと人間の精神性とは表裏一体をなしているのである。 それはまた人間の精神性とはいかに歴史的なものであるかということであった。人間の精神性は本来まったく中立的な性行為を半ばネガティブなものとして、公言するのみはばかりながら、長い歴史を通して発展させてきたのである。そしてその充実した精神的な状態で、性行為にかんする見たり思い浮かべたりして、人間性や精神性とともに発達してきた言葉であえて、本来は無意味で中立的なものを何か意味のあるものにするときに、欲情的な感情が起こるのである。だから、精神性の高い状態に在ればあるほど、欲情的な感情は強いのである。 このように人間性や精神性が崩壊して無感動で空虚な状態になることは決して堕落でも退廃でもないのである。これによって人は普通の人として生きる限り、自分の人間性や精神性に対する考えを見直すことができるようになり、本当の意味での人間性や精神性と云うものを知ることができるようになるのである。 ショウが終わりは、客は狭い通路を通り、ぞろぞろと外に出た。清二と高志は外に出たところでいっしょになった。お互いに何もいわずに歩き出した。見慣れた町の風景やありふれた女たちの姿に、清二は妙に懐かしさを覚え、幼な子の笑顔を見ているようなほのぼのとするものを感じた。そしてじょじょに普段の自分に戻っていくような気がした。 しかしまだ空虚感でいっぱいだった。何も話す気にはなれなかった。高志も同じ気持ちのようであった。結局清二と高志は、別れるまで何にも話さなかった。 年があけ、再び仕事が始まったが、鈴木の姿は見えなかった。 鈴木は忘年会の翌日、部屋を出て行ったまま冬休みのあいだ一度も戻ってこなかった。清二は、彼は別れた妻のところに行っているに違いなく、仕事が始まれば戻ってくるものと思っていたのだが。しかしその後再び彼の姿を見ることはなかった。 鈴木が何も言わずにいなくなったので、清二は彼が辞めて言った直接の理由を知ることはできなかった。しかし居なくなった前日の言動からして、それは理由もなく給料を下げられたことにあるような気がした。 清二は、周りに誰も居ないとき、社長に、彼に金を貸してなかったかどうか訪ねられた。清二は金は貸したことはあったがチャンと返してもらったと答えた。社長の独り言のような話によると、鈴木は日頃から金の貸し借りにはだらしがなかったそうで、彼の飲み屋での"つけ"は、その正確な金額は話さなかったが相当な額のようであった。その苦々しい表情には彼に対する単なる不満をこえて、私怨さえも感じられた。元従業員の鈴木に不始末のために、社長としての面子をつぶされ、その借金の肩代わりをしないかぎり、肩身の狭い思いをして夜の街を飲み歩かなければならないという不満も判らないでもなかったが、清二にとっては、なぜ社長が、それほどまでに辞めていった鈴木を一方的に悪く言うのか理解できなかった。ただそこには、二人の長い付き合いから生じた他人にはうかがい知れないような因縁があるようであったので、同調も不満も示すことはできなかった。 もちろんそこにはどんな理由で辞めて行ったにせよ、居なくなったものを悪く言うことによって、残っているものとの関係が深まると云う、自然的な感情の流れに支えられた意識的な思惑がないわけでもなかった。 確かに鈴木は、清二との間でも金に関してはだらしがなかった。しかし清二は彼との友情のため、きちんとけじめを付けていたのだった。 黒塚は仕事に出てきた。 彼は冬休みのあいだ自分のアパートに帰っていたようだった。清二は彼こそ辞めていけばいいと思っていたので、何となくがっかりした。だがそう思っていたのは清二だけではなかった。若いジュンは休暇前の彼の不可解に言動を話題にして不満を見せた。それによると黒塚は、忘年会の翌日の夕方、ジュンの部屋に紙袋を下げてあらわれ、今日で辞めるからと挨拶をして出て行ったのだそうである。しかしその三時間後にジュンが買い物から帰ってきてみると、黒塚が何食わぬ顔をして自分の部屋に居座っていたのだそうである。 黒塚は以前に比べて何となく大人しくなったような気がした。村岡とのごたごたでやはり少しは反省したのでろうと思った。しかしそれはとんだ見込み違いであった。彼はあの位のことで反省をして性格が変るような男ではなかった。もし彼が反省をするような男であったのなら、あのように偏屈な性格にはならなかったろうし、あのようなトラブルを押さなかったに違いない。 黒塚が大人しくなるのは周囲に村岡が居るときだけで、彼の眼の前では決して以前のようにわがままには振舞わなかった。何となく村岡を恐れているようであった。しかし彼の本質である傲慢で卑劣で狡猾で誹謗好きな性格は、彼の爬虫類のように顔が変らないように変ることはなかった。 忘年会でのごたごたを思い出せないのか、それともとぼけているのか、はためにはまったく判らないほど、黒塚はみんなと顔を合わせても平然としていた。それに比べて村岡は黒塚以外の者に対して、あの夜の自分の非礼を謝りだいぶ気にかけているようであった。その成果清二はに黒塚がますます忌々しいものに思えてきた。 村岡はそれから二週間ほどして辞めて行った。 あまりにも突然であったので、しかも彼か日ごろから何も言わなかったのでその理由を知ることはできなかった。彼か辞める二村日前、清二は彼が着替えているとき、偶然にも彼の太ももに刺青が彫られているのを見た。人が良さそうにいつもニコニコして怒りや憎しみに無縁そうな男が刺青をしているのはまったく意外であった。しかしいつも人が良さそうにニコニコして大人しそうと云うのは、シッカリした意志や考えを持っていないかぎり、ある意味では他者に侮られやすいと云うことでもあった。これまで彼がそれなりにシッカリとした意志や考えを持っているようには見受けられなかったが。 おそらく彼は若いときから、いやもっと先の子供のころから、その生まれつきの性格が災いして自分が理由もなく他人から侮られることに悩み苦しんで生きて来たに違いない。そこで彼はそう云う輩をけん制する意味で刺青を彫ったのであろう。確かにそう云う輩には効果が合ったに違いない。しかし彼の思惑に反して、そのことは彼にとっては新たな躓きであり、また新たな挫折の始まりであったに違いない。なぜなら平凡な人間から見れば、何となく感じが悪く気にかかるものであり、そのような周囲の眼は自然と彼に対してまともな生き方を許さないように働きかけるからである。だから今まで彼の人生は彼なりの挫折の繰り返しであったにがいない。黒塚とのいざこざも紛れもなくその典型である。彼はおそらく、この職場において他人に侮られたり他人とトラブルを起こしたりすることなく、平凡な人間として皆とうまくやっていくことを心から望んでいたに違いない。なぜなら彼は本質的に気がやさしくて、和やかな雰囲気を好む協調的な人間であるからである。それにつまらないことでもう二度と挫折感を味わいたくなかったに違いないからである。しかし彼の意に反して、悪夢のように恐れていたことが起こってしまった。周囲のものが、いかに彼に対して同情的であっても本質的に非暴力的である彼にっては、暴力を振るってしまったと云うことや、そんな些細なことで逆上してしまう自分は、周囲の仲間と違うと云う孤独感や、そして、今回もうまく行かなかったと云う挫折館を味わったに違いなかった。 そのような村岡は、自分の失敗や挫折に傷つきながらも、そこから何かを学び取ろうとする人間のようであった。 それに比べて黒塚は自分の挫折を挫折と受け止めることができず、そこから何かを学び取るどころか、その原因を他人のせいにして、ますます傲慢に卑劣に振舞おうとする度し難いほどの意固地で自己本位の人間のようであった。 村岡が辞めていってから十日ほどして、今度は若いトオルが辞めていった。 なぜ辞めたのかトオルは何も言わなかったので知ることはできなかった。ただ最近のトオルは以前のように若さに任せていきがったり高慢な態度をとることはほとんどなくなり、むしろ彼本来の性格を思わせる、他人に対しては思いやりがあり、やや遠慮がちで、気のよい面が目立ち始めて大人しくなってきていた。そして以前ときおり見せていた大人の世界に入りきれないような途惑いや不安をはっきりと見せるようになり、何となく元気がなくなってきているようであった。仕事に対しても以前のような辛抱強さはやひたむきさはなくなり、何となく注意散漫な感じがした。それには昨年暮れに起こした暴行事件が影響を与えているようであった。それはトオルが作業現場での怪我でしばらく休んだあと、再び働き出して二三日後のことだった。社長の話によると、トオルが友だちと通りすがりの若い女をからかっているとき、それを近くで見ていた三十代の男に注意をされたので、カッとして友達といっしょにその男に暴行を加え怪我させたと云うのであった。それを聞いて眉をひそめるというより、むしろ仲間意識が強く直情的な彼の性格を思いながら、しょうがないなあという気持ちで、あきれたように苦笑いを浮べたのは清二だけではなかった。被害者との示談もどうにか成立し、まだトオルが未成年ということもあり、それに社長や親方たちが、嘆願書をだしたりしたので、どうやらおおごとにはならずに済んだようだった。それでも裁判所に出頭したりして様ざま手続きがあったようで、再び働き始めたのは新年になってからであった。 そう云う事件を起こす若者は大きく分けて警察沙汰を鼻にかけるタイプと、恥ずかしいことをしたと思うタイプがあるようで、それによってその後の人生が大きく変るのであるが、環境にも影響されやすいトオルは後者のようだった。 誰ひとりとして彼を特別視するものは居なかったが、彼の元気のなさや不安そうな表情からすると、彼ははた目には判らないような疎外感や孤独感を感じていたのかもしれなかった。それには彼が仕事を休みがちであったため、以前のように思うように仕事ができないことや、自分より後から入ってきたものより仕事ができないことから来る焦りや、自信喪失が大きく作用しているようであった。しかし職場にはそういった彼の気持ちを思い計るような者は居なかったし、仮にそう云う気持ちがあっても、現実のきびしい作業の流れのかなでは、彼が不振から脱出するまで彼を特別視して、作業の遅さを大目に見たりして思いやりをい示すことはできないのである。それに彼もそう云うことを望まないに違いないからである。だから、あくまでも彼自身の力で立ち直るしかないのである。だが彼は辞める道を選んだようであった。 黒塚に対してほとんどのものが冷ややかな態度をとっていても、彼が孤立しないのは、彼にやや同情的な久保山が居るせいである。久保山は奥山や国沢のときもそうであった。みんなから嫌われるものを自分の部屋に招き入れ、酒を振舞い、彼らの愚痴を聞いてやったりして、なぜか同情的であった。清二は、それは彼の心の広さであり、また一筋縄では行かない人間の不満を聞きながら、彼らをなだめて、つまらないトラブルを起こさないようにするための彼の知恵だと思っていた。 黒塚の場合、奥山や国沢よりも、筋の通った話ができ、単なる不満だけではなく、社長や親方たちや、仕事のやり方に対してもっともらしい批判が出来る人間であった。それに対して久保山も日頃からそのようなことに対して批判的であったので、同じ部屋に住んでいると云う理由だけからではなく、特別馬が合うようであった。だから二人の部屋からは毎夜のように、酔いに任せた批判的な声が高らかに聞こえてきたのである。清二は彼らに部屋の前を通り過ぎるたびに、その内容を耳にするのであるが、二人とも酒を飲むと、くどくなるようで、ずっと同じことの繰り返しで、変り映えのしないものであった。黒塚は、自分の今日栄進を満足させるために、または単なる不満のはけ口の為にいっているだけで、決して批判いえるような代物ではなかった。しかし、かといって、久保山の行っていることが正当な批判と云うわけでもなかった。と云うのも清二は最近、彼は果たして、社長や親方たちを批判できるほど仕事ができるかどうか、疑問に思えるようになってきたからであった。 清二は入ってきたときは、なにも知らなかったので、それまでの経験や知識に裏打ちされた批判をなるほどと思いながら、彼には親方になれるほどの力量があると思っていたのであったが、仕事に慣れてきていろいろなことを知ってくると、彼の実力がどの程度ものものかだんだん判ってきたからである。だがそれは別の言い方をすれば清二よりも彼のほうが伸びなかったと云うことである。でもそれは清二よりもはるかに年上で体力のない彼にとってはやむをえないことであった。なぜならこういう肉体労働は、いくら知識があり頭の働きがよくても、体力が伴わなければそれを生かすことはできないからである。 こういう仕事を新しく身につけるには自分の肉体を動かしながらなのであって、いくら他の似たような仕事の経験があっても、肝心の体力がなくそうすることができなければ新しく技を習得することはできないのである。むしろ余計な知識や経験は帰って邪魔になるときがあるのである。しかし清二は、経験もあり年上でもある彼に対する敬意は失わないつもりであった。それに彼は、以前清二に対してよく見せていた作業中での冷淡な態度もなぜか最近ほとんど見せなくなっていた。 ![]() ![]() |