ブランコの下の水溜り(25部)

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          はだい悠








「そんなことないよ、人間が自由気ままに子供を生んでいたら、人が増えすぎて大変なことになるよ、現代はどうしても計画性が必要なんだよ。それにこれからの世界は、子供が子供らしく生きられる時代じゃないことは判っているじゃないか、、、、ボクはね、少なくても、子供と云うものは、自分の親を超えなければ生まれてきた意味がないと思っているよ。そうじゃなければ人類の進歩はありえないからね。でもボクから、ボクより優秀な人間が生まれてくるとは限らないからね。むしろ僕のような性格の人間が生まれてくることのほうが心配だよ。でも仮にボクより優秀で性格的に強い人間が生まれてきて、人類の進歩に役立ったとしても、しょせん自分の子供のために犠牲にとなり、老いてしわだらけになって死んでいくと云う、くり返しの連鎖に組み込まれるだけだよ。それもほとんどが隣のばあさんのように、せっかく自分が犠牲となって育てた子供たちにイヤがられ、ある日突然孤独のうちに死んで行くんだよ、、、、」
「、、、、でも、子供ために犠牲になるといっても、それはある意味では自然的な無償行為に近いからね、むしろ犠牲となる喜びを感じているのかもしれないよ。たとえば、隣りの婆さんだって、確かに、あなたの言うとおり、自分の子供たちに冷たくあしらわれ、孤独であったかもしれない、でも、その一方で老いて弱っていく自分に変わるように子供や孫たちが成長していくのに喜びや安堵感を覚えていたことも確かだと思うよ。それに、繰り返しと簡単に言うけど、人間の場合動物と違って、単なる繰り返しではないと思うよ。そのあいだに人間的ないろいろなことを伝えるからね。そこなんだよ、どうも可笑しいのは、さっきも言ったように子供のころから親たちの犠牲や愛情のおかげで人間的や考え方や感じ方を学んできた人間が、そう云うものを否定できないような気がするんだよ。つまり否定することさえ学んだ人間的関係を否定することは根源的な矛盾と云う感じがするよ。あとそれからね、内輪のことでちょっと気が引けるけどね、この際ついでにボクの両親について話させてもらうよ。ぼくの父は教養もなく、遊びも知らず、酒もタバコもやらず、性格的には小心で大人しくて、その割には短期で、いつも自分の周りの狭い社会の世間体だけを気にしていて、とりえといえば、真面目に働くことぐらいで、婿として家と家族のために若いときから農業と出稼ぎで、働き尽くめに働いてきた男でね、今では年老いて骨の皮と云う感じだよ。それに比べたたらボクは、まあ性格的には多少似たところがあるけど、少なくとも父よりは視野は広いし知識もあるから優れていると言っても良いはずだよ。あなたの言い方によればボクは親を超えているから、子供としての役割を充分に果たしていと思ってもいいはずだよ。でもね、子供のころからずっと見続けてきた父の働く姿を思い浮かべるとね、僕のほうが優れているなんて決して思えないよ。ボクには何かがかけているような気がするよ。それはたぶん、ボクがまだ、子供と云うものに、その栄光に満ちた愛情や、輝かしい思い出となるものを与えていないからだろうね。子供のころの思い出にこういうのがあるんだよ。僕の両親は、農繁期になると、よく洋子さんのうちに手伝いに行ってたんだよ。両親はいつも夜遅く帰ってくるもんで、子供たちは夕食を済ませると、布団に入って帰ってくるのを待っていたんだよ。ある晩、ボクは姉や妹たち四人で二つの布団に入って父たちが帰ってくるのを、今か、今かと待っていたんだよ。と云うのも、父たちは、農作業の休憩のときに出されたお菓子や果物を子供たちに食べさせようとして、自分たちでは食べないで持ってくるから、それを待っていたんだよ。でもその日はいつもの帰る時間になってもなかなか帰ってこなくてね、そのうちに姉の発案で、父たちが、いまどこに居るかを予想し始めたんだよ。たぶん待ちきれなくて不機嫌になる僕をなだめようとして、そうしたんだろうね。僕の家からは三百メートルぐらい離れていたからね、今、向こうの家を出たとか、今、森の中の道を抜けたとか、今、家の前の小川のところを歩いているとか、と云う感じでね、そして今、庭の桃の木下歩いているから、もうじき、玄関の戸が開くぞ、開くぞって言っていると、本当に、玄関の戸が開いてね、父たちが帰ってきたんだよ。僕たちは布団から飛び出すと、狂喜して駆けつけたもんだよ。まるで餌を待つツバメの子供たちのようにね、、、、、その父がこのあいだボクのところに来たよ。六十を過ぎているのに、まだ出稼ぎで働こうとしているんだよ。別に生活に困っているわけではないんだから、もう働かなくてもいいんだけどね。それには家に居ずらいということもあるようだけど、働くことが習慣になっているせいか、体を動かしていることに安心感を覚えるようでね。僕には何にもいえないよ。ただ、そのようにして今まで生きてきた父にとっては、生きがいとか楽しみとか喜びとかはいったいなんだったんだろうかって思うよ。おそらく父にとっては、家族のために自分の欲望や肉体を犠牲にして、ただひたすら、働くことか生きがいで喜びであったんでろうね。だからこのまま人並みの遊びも道楽も知らずに心でも少しも悔いることなく、父なら満足なんだろうね、、、、、なんかつまらない話しをしてしまったかな、、、、、ただ人間が生まれることと死ぬことは、まあ、これでいいとしても、問題はそのあいだのことなんだよ、どうにも納得ができないことがあるからね、ボクの言い方だと、子供の居る家庭と云うのは、いかにも幸福そうで楽しげに見えるけど、実際にはそうでもないからね。それと同じ量の不幸と苦しみが、つねに付きまとっているからね。それにあなたの言うとおり、これからの社会は子供にとって大変なことは間違いないからね。それに親自身にとってもね。子供にとっては自分が何をしようが何を考えようが根本的には自由だからね。親の思うようにならないことはハッキリしているよ。とくに最近の子供は何をしでかすか判らないからね。でも子供が何をやろうが本当は親には関係がないんだよ。子供が自我に目覚めた時点で親にはもう責任がないんだよ。たとえそれ以前のしつけが悪くてもね。親は子供に対し子供のために働いているところを見せさえすれば、あと変にかまわなくてもいいんだよ。それで子供がおかしくなるようであれば、子供のほうが悪いんだからね。それに家族そのものだって、同じようなもんだよ。現に僕の父だって、自分が守り養い育ててきた家族なのに、その家に居ずらいって云うことがあるからね。家族として生きるってことは、お互いが犠牲となり、拘束し合い、お互いのために働くということだからね。そのためには、イヤなことや、不本意なことを我慢してやらなければならないだろうし、仕事が過酷で単調であれば、見るからに愚鈍で野卑になり、視野が狭くなり、利害関係に挟まれて、身動きが取れなくなって屈辱的な思いをしたり、悲しいことのためにわめいたり、血の涙を流したりしなければならないし、下手をすれば犯罪者にだってなりかねないからね。それに比べたら子供がいないと云うことは、精神的にも経済的にもはるかに楽だからね。ほとんどのエネルギーを自分のためにだけ使えるし、イヤなことはやらなくてすむし、利害関係のなかで身動きが取れなくなるということもないから、物事に対してつねに理性的にとりくめるし、知識も広まるし、真理をきわめて、人間的な穏やかな気持ちで、芸術を楽しんだり、健康のためにスポーツをしたり、高尚な趣味を楽しんだりして、人格的にも成長して、知的で柔和な顔になり、充実した人生を送れるはずだよ。でもね、ボクはそうはなりたくないけどね。それにたとえそうであっても、平凡に喜怒哀楽にまみれて生きている人間を超えていると云うことはできないような気がする、、、、」
「、、、、、そうじゃないんだよ、、、、、、」
と高志が独り言のように言った。そこには先ほどまでのような清二に対する反発心はなかった。そしてまた沈黙が続いたあと高志が力なく言った。
「、、、、、ぼくは洋子を愛してないのかもしれない、、、、、」
 清二が少し苛立ち気味に言った。
「、、、、判らない、ボクにはまったく判らないよ、、、、ボクは原始的な人間だから、、愛しているからいっしょに住むと云うような愛情よりも、いっしょに住んでいるから自然と生まれてくる愛情のほうが本物だって思っているんだよ。それにいっしょに住んで でいれば、当然愛情は沸くものだと思っているから、よっぽど憎み合うようなことがないかぎり、いっしょにすんでいながら、愛情がわかないなんて、ボクにはまったく考えられないことだよ。まさか憎み合っているわけではないだろう。そうだよな、あなたたちの様子からして、そうではないことはハッキリしているよな、、、、、、、それではいったい何のために結婚したんだろうね?世間にはよく見栄や世間体で結婚する人たちがいるけど、あなたたちはまさかそうではないだろう。もうテレビドラマみたいなことは言わないでよ、さあてと、、、、、、、、」
 そう言いながら清二は立ち上がった。それを見て高志がやや驚いたような表情で言った。
「帰るの?」
「うん、帰る」
「そう、なにか用事でもあるの?」
「別にそう云うわけでもないけど、暗くなってきたことだし、それに今日はご馳走にありつけそうにないしね。またそのうちに来るよ、、、、」
 清二は高志が表情を和らげ納得顔をするのを見て部屋を出た。
 その帰り道、清二は日が暮れて人影が多くなった表通りを歩いていた。そして前方から歩いてくる小柄な男が何となく見覚えがあるのに気づいた。あと数歩のところまで近づいたとき、その男は三好であることが判った。しかし向こうはまったく気づいていないようであった。それもそのはずで、三好はうつむき加減で歩いていたのである。今頃なぜこんなところを歩いているのだろうという不審の念とともに、顔をあわせたくないと云う気持ちがあったせいか、清二は声をかけることもできなかった。
 三好は周囲にはまったく興味なさそうにうつむいてはいたが、その表情をうかがい知ることはできた。それはかつて三好が、飲み屋のホステスの前で、甘える子供のようにいじける真似をしたときに見せた同情を誘うような可愛い子振った表情であった。
 それを見て清二は急に腹が立ってきた。それは三好が世間向けの顔として、仕事しているときとはまったく逆の善良面した表情をしているので、彼の自己欺瞞的な性格から繰り出されるところの、彼の曖昧さや卑劣さやだらしなさが余計に許せないものと感じられたからである。そしてすれ違いざま清二は殴りかかりたいような衝動に駆られた。それは今までの彼の傲慢さで冷酷な扱いに根を持っていたからではなく、かつて彼が、木村をつまらない男としてあざけるように言ったことや、木村が事故を起こしたのは三好に原因があるのではと云うことが頭に浮かんできたからであった。清二はいかにも頼りなさそうな足取りで歩いていく三好の後ろ姿を立ち止まって見ていたが、見え透いたポーズをとりやがってと思いながら振り返ると、再び歩き出した。 清二は木村が怪我をしたことに、三好が直接関係なかったかもしれないと思いながらも、三好が木村の妻といっしょに、木村のことをつまらない男として、もっともらしく話したに違いないと、いやもしかしたら、あざけりながら話したに違いないと思うと、腹立ちは収まりそうになかった。
 確かに、真面目だけがとりえで感覚的なものには楽しみを見い出すことができず、無口で面白みにかける人間であった。それに比べて、三好や木村の妻は、感覚的なものに貪欲で、流行にも付いていくことができ、どんな話題にも、楽しみを見い出すことができる人間たちである。それに、三好は同じような人間たちの間だけで通用する男の美学として、できるだけ多くの女たちと付き合うことが、男らしく格好言いと信じ込んでいる人間である。とくに人妻と云う言葉の響きから、自分は周りの男たちから羨ましがられていると云う錯覚に陥っているのである。だがそこには、男の美学といえるようなものは何もなかった。三好は決して金回りが言い訳ではなく、ただ毎日を欲望の赴くままに、飲み屋街を彷徨うように生きているだけの利己的で卑劣で狡猾な人間なのである。外見的にも、ややくたびれかけた四十過ぎの小男で、顔だって醜いサル顔なのである。ただ三好は、女に取り入るには、自分を卑しめてまでも女の虚栄心をすべからく満足させることが、もっとも有効であると云うことを心得ており、それを恥ずかしげもなく実行できる人間なのである。木村の妻とて、似たようなもので決して正確もよくなければ美人でもなく、人妻と云うイメージには程遠い女である。二人の関係には、精神的緊張感も、危なっかしい雰囲気も伴っているわけではなく、鬱陶しいオスとメスのような惰性的な関係に過ぎないのである。
歩きながら清二はそう思ったものの慰めにもならず、腹立たしさは収まりそうになく、 三好とはもう二度と顔を合わせたくない気持ちであった。
 その夜、清二は久しぶりに銭湯に行った。そして体を洗っているとき、後ろのほうから親しみを込めた声で、自分の名が呼ばれるのに気づいた。振り返ってみると、その声は石田であった。石田は照れくさそうな笑みを浮べながら近寄ってくると清二の隣に座った。
「いつまでたったも清ちゃんは太らないなあ」
と明るく言いながら、清二の背中を冗談ぽく平手でたたいた。
「もう腰の方は良いのか?」
「ええ、なんとか」
 石田は機嫌がいいと云うよりも、何となくそわそわとした感じで、なにかを話したくてたまらないと云う感じだった。
「オレ、またしくじったよ。頭にきてね、現場監督を怒鳴りつけちゃったよ。向こうは何も悪くないんだけどね。こっちが仕事が思うように行かなくてイライラしているちゅうのに、ぼけっと見ているからね、オラ何見てるんだよ、見世物じゃないんだよって思わず怒鳴っちゃったよ。イライラするとオレも訳が判らなくなるところがあるからなあ、それでもう来なくてもいいって言われたよ」
と石田は苦笑いを浮かべて言った。その自嘲気味の言い方には、他人に侮られまいとして肩ひじを張っているときのような力強さはなく、かつて清二の前では一度も見せたことがないほどの、自分の気持ちを正直に打ち明けるような素直さがあらわれていた。
 それは他人に対して自分の弱さをさらけ出すことであり、清二には、彼の意地っ張りな性格からしてまったく意外な感じがした。そして、彼が親しみを込めた笑みを浮べながら、なぜ自分の隣に座ったのか判ったような気がした。
 石田は、自分の行為に対する後悔とともに、寂しさを感じていたのである。そしてその寂しさを清二と話すことによって紛らそうとしていたのである。
 石田と三好の大きな違いは、石田はそう云う寂しさを感じることが出来る人間であるということであった。
 三好は、その人懐っこい性格からして、相手が初対面でもすぐ仲良くなれる人間であった。だが、その関係も案外表面的なもので、それに長く付き合っているうちに彼の心の奥底に流れている冷酷さや卑劣さに気づいてくるので、友情へと発展することはないのである。三好は友人を必要としない人間なのである。
 それに比べて石田は、頑固で天邪鬼で気難しく、三好よりははるかに近づきがたい感じのする人間であった。それに三好と同じように、苛立ちやすく、怒りっぽかった。
 ただし三好の場合は、気まぐれで不可解なことが多かったが、石田の場合は、周りのものも納得の出来るそれなりの理由があった。それに三好のように、苛立ちをすぐ表すということもなく、多少我慢して、つもりに積もってからいっきに爆発させると云う傾向があった。そのためにその行為は、見境のない狂気じみたものにならざるをえず、要領よく立ちまわる三好と違って、取り返しのつかない結末になることがあるのである。石田がそうなるのは、彼が単に病的なかんしゃくもちで、自己破壊的な気質の持ち主であるからと云うよりも、彼は本質的には、他者に対して遠慮深く、気を使う人間であるためでもあり、また自分の過ちや失敗を他人のせいにしたり嘘をついたりして言い逃れをすることのできない不器用な人間であるためでもある。それに頑固で天邪鬼であると云うのも、それが彼の生来の性格であると云うよりも、今まで彼がこの社会で生きてきたあいだに、彼のそう云う不器用さのせいで、イヤな思いをしたり行きづらさを感じたりして来ているために、社会やその周りの人間たちに対して、子供のように、すねた態度をとらざるをえなくなっていると云うことなのである。本来石田は律儀で思いやりのある人間である。だから、彼がたとえ、気難しくて暴力的であっても、長く付き合うことによって、彼とのあいだに友情をはぐくむことはできるのである。石田は三好と違って友人を求める人間であった。
 清二は、部下の前で己の弱さをさらけ出さずにはいられないほどの石田の寂しさを思うと、なんて言って良いのか判らず黙っていた。
「、、、、、、、、、、まだまだ、元山の好きなようにはさせる訳には行かないよ、、、、、」
と石田は、落ち着きなく眼の前の棚の上の石鹸を置きながら独り言のように言った 。
 清二はやはりそうだったのかと思った。と云うのも、自分を見失うほど石田を苛立たせているのは、もしかしたら元山が関係しているのではないかと予想していたからであった。なぜなら、石田よりも世知にたけ、お山の大将でなければ気がすまない元山が、たとえ仕事のことがわからなくても、石田の存在を無視して、自分の思いどうりにやろうとすることは、充分にある得ることだからだ。それに、そのために石田がどんなに苛立とうが、それほど気にかけないほどの神経の図太い男であるからだ。石田は元山に自分の職域を犯されつつあることに不安や恐れを感じているようであった。清二はそんな元山に対して何も言うない石田に不満を覚えたが、元山の喧嘩に強そうな堂々とした風貌を思い浮かべると仕方のないことのように思われた。そしてできるかぎりの同情の気持ちを込めて言った。
「あの人は何にも知らないんだよ。そのくせすぐでしゃばるんだから、ちょっと口が達者でバカ力が在るだけなんだよ。石田さんのほうが仕事では知っているんだから、ハッキリと言ったほうがいいよ。あの人に仕事を任せていたら滅茶苦茶にされるだけだよ、、、、、」
 だが本来なら、清二はそれに付け加えて
「あんな奴を無視して、いっしょに組んでやろう」
と云うべきかもしれなかった。と云うのも、清二は石田が苛立つ原因や理由が判っていたので、ちょっと気を使うことによって、彼を苛立たせることなくいっしょに仕事をやっていける自信があったからであいる。
 だが言うことはできなかった。なぜなら清二はもうすでに会社を辞めることを決心していたからである。石田は清二の言うことにうなづいてはいたが、その落ち着かない様子からして、それほど耳には入っていないようであった。
 清二は石田と顔をつき合わせていることにだんだん苦痛になってきた。それは自分が辞めることを隠しながら、石田の意気消沈した姿を見ているのが辛くなったからである。
 そこで、普段よりも早めに切り上げると逃げるようにして銭湯を出た。
 その後、清二は食堂に入った。そして夕食をとりながらテレビから流れるニュースを興味深く見た。
 それは浮浪者同士の殺人事件のニュースだった。捕まった犯人によると、その男は被害者となった男にいっしょ酒を飲もうと誘ったそうだが、
「お前みたいな奴といっしょに酒が飲めるか」
と断れら、それが頭にきて包丁を持ち出して、寝ているところを突き刺したと云うものであった。
 だがその犯人の捕まり方がなんとも奇妙であった。仲間を殺してから、二日後、その男は財布を盗まれたと云うことで警察に行ったということであった。しかし浮浪者が盗まれるような財布を持っていたと云うのが変であれば、血のついた服を着たまま、しかも凶器の包丁を持って警察に行ったと云うのも変なことであった。
 清二には、彼が無意識にではあるが、捕まることを望んでいたような気がした。つまり、人間社会からはまったく見向きも去れずに、孤独に生きてきた彼にとっては、たとえ、相手が警察であっても、ひとりの人間として扱われることに無常の喜びを感じていたに違いないからである。彼はたとえ殺人者として罰せられようとも、このまま孤独で生きるよりは、人間社会に参加して、他の人間とのかかわりのもとで生きることを選んだのである。

 食堂を出た後清二は、人気ない帰り道を歩き始めた。だが、そのうちに急に落ち着かない気持ちになった。それは殺された国沢のことがふと頭に浮かんできて、もしかしたら国沢も、先ほどの殺人犯のような気持ちであったかもしれないと云う気がしたからである。つまりあの殺人犯が被害者となったものに何かを求めたように、国沢も自分に何かを求めていたのではないかということであり、そして自分が国沢を気の許せないイヤなやつと云うことで意識的に無視したと云うことと、さっきの被害者となったものが誘いを邪険に断ったこととは、似たようなことではないかと云うことである。
 国沢のさまざまな言動を思い浮かべると、決して間違いではないような気がした。国沢は誰が見ても、傲慢で野卑で残忍で冷酷で凶暴な男であった。そして、異常にプライドが高く、自分のことを信じきって生きているかのように自分の感情や気質に正直すぎるくらいに正直であり、自分より弱そうな人間に対しては、威圧的な言動をとり、相手が強そうであれば、心では舌を出しながらも黙って従うところがあり、黒塚に似ているといえば似ていた。しかし黒塚と大きく違うところは、黒塚のようには卑劣でも嘘つきもなく、また利己的でもなく、自分はこの社会から非難されるようなことは決してやらないと云うように、自分なりに倫理観を持っており、少なくともそのことに忠実であろうとしていた。だからその意味では二重人格者の黒塚よりは生きていくうえでは不器用であった。それに強そうなものに服従する場合でも、黒塚は絶対者のようにあがめ恐れて奴隷のように卑屈になって従うのであるが、国沢は調教師の前の猛獣のように、あくまでも自分を気迫と力で押さえ込むものに対して従うので、スキがあればいつでも逆らおうとしていることであった。
その意味では清二は明らかに失格者であった。なぜなら、清二は三好や石田たちのように怒鳴ってりしないで、冷静な気持ちで国沢を普通の人間として尊重して親切に扱おうとしていたからである。だが国沢はそんな扱いはまったく望んでいなかったのだ。彼は自分を押さえつけるように感情をむき出しにして怒鳴ったり威圧されたりしなければ気がすまないのである。とくに見るからに弱そうで何の権威もない清二に命令されることは、納得しがたいものがあったに違いなかった。国沢が清二に対して先輩らしくないといって言いがかりをつけたのも、単に清二の過ちを責めているだけではなく、そう云う意味も含まれていたのである。
 つまり国沢は、感情を向きだとにして怒鳴られたり、威圧されたりすることによって生ずる相手との肉体的感情的な関係を望んでいたのである。国沢が清二を標的にするようにして言いがかりをつけたのは、清二が弱そうであったり、また清二の人間的扱いに、何となく冷ややかなものや、侮蔑的なものを感じ取ったからと云うだけではなく、清二が親方たちのように乱暴な扱いをしなかったからである。現にそう云う扱いした人間は、国沢に言いがかりをつけられるようなことはなかった。このことは国沢がいきり立って、清二の腕や胸倉をつかんだあと、急に落ち着きを取り戻したことや、清二と子供っぽい指きりげんまんしたことによくあらわれていた。そして国沢が清二に最後に言った言葉、
「お前はバカは、利巧なのか、どっちなんだ」
と云う捨て台詞に彼の内面の葛藤がよくあらわれていた。つまり国沢にとって清二は、清二にとって国沢が、凶暴そうで何となく気の許せない奴であったのと同様に、国沢にとって清二は、眼の前に居ながら何にも関わりがもてない不可解で気の許せない奴であったに違いなかった。なぜなら、国沢は肉体的感情的な関係でしか相手を知ることができないからであり、また動物のように優劣の順位性のもとでしか自分と云うものを見い出せない人間であるからである。だから清二が、国沢の度重なる挑発行為を意識的に無視したことは、国沢の動物的プライドを激しく傷つけたことになり、あのように、気が狂わんばかりに苛立たせたのに違いなかった。なぜなら、動物のように順位性を必要としている国沢にとって、その行為は、不可解な存在でしかない清二とのあいだに優劣の決着をつけようとする止むに止まれぬことだったからである。
 清二に限らず誰が見ても、国沢は非人間的な荒々しい世界で生きているように見えるが、彼はあくまでも自分の生理や感情に忠実に生きているのであり、たとえ、そのために、他の人間と衝突して血を流そうとも、彼にとってそのことは、自分の過剰なエネルギーを放出させることができる生き生きとして世界なのである。国沢は激しく人間を求めながらも、その人間と折り合うことができずに、脅迫や隷属や憎悪や恐怖や怨恨などのどろどろとした感情の世界のもとでしか生きがいを見い出せない人間であった。


 翌日の午後、清二は再び高志訪ねた。じっとしていられない春の陽気のせいもあったが、どうしても高志に話したいことが思いついたからである。
 高志は居たが洋子は出かけているようであった。高志は起きてたからだいぶ時間が経っているようで、顔色もよく身なりもいつものパジャマ姿ではなくきちんとしていた。
 清二が今のソファアに座る前に外のほうを見ながら言った。
「公園にでも散歩に行かない?」
「うぅん、公園ね、、、、、春だからね、、、どうも最近は以前のように、自然に興味がないんだよ、、、、自然に触れたからって、どうなるもんでもないって気がしてね、、、、」
と高志は断ったが、表情にはだいぶ余裕があった。清二はソファアに腰をかけながら言った。
「それもそうだな、どうってことないかな、、、、自然なんて深入りするとかえって危険だからね、、、」
「危険?」
「危険っていうか、怖いっていうか、ほんとうは自然って、無秩序で怖いものなんだよ。確かに、人間には自然は必要だけど、でもそれはあくまでも人間によって秩序付けられた自然なんだよ。しかも周りにありすぎても困るし、なさ過ぎても困ると云うしろものなんだよ。とにかく人間は自然を必要としている以上に人間を必要としているんだよ。だから、自然を頭で思い浮かべたり、たまに触れたりするのはいいんだけど、もし人間が、他に人間がいないような自然の中に住み着いたら、よっぽど知恵や意志がしっかりしたものでないと、自然の非情さや冷酷さに巻き込まれて、何をしでかすが判らないような人間になると思うよ、、、、ほんとうは今日はこういうことを話に来たんじゃないんだけどな、、、、、」
「せっかく誘ってくれるのに、いつも断ってばかりいて悪いんだけどさ、今日はどうも気分がスッキリしないんだよ」
「でも顔色はいいじゃない」
「いや、体調は、そんなに悪くはないんだけど、精神的にっていうかね、、、、最近とにかく変な夢ばっかり見るんだよ。自分でも?そんな夢を見るのかわからなくてね。以前やったように分析してみてよ。一昨日はこういう夢を見たんだよ。冬でもなさそうなんだけど、とにかく寒いんだよ。そしてね、人々がお互いに殺しあって、その人間を食料にしているんだよ。冷害にでもなったとしか思えないけど、でも冷害ぐらいで殺しあうとは思えないけどね、、、、どう、判るかな、、、、」
「、、、、、、暖かくなってきたとはいえ、朝晩はまだけっこう冷え込むからね、布団を蹴飛ばして寝てたんじゃないの?」
「、、、、、それじゃ、今日見た夢はどうだろう。場所はどこかわからないけど、ソ連がいきなり攻めてきたんだよ。まあ日本には、スキを見せたら攻めてくると思っている人たちが結構いるけど、でもいくらなんでも理由もなくせめては来ないだろうと僕は思っているんだけどね。それにアメリカとソ連ではどっちが好き勝手いうことだって、日本ではソ連が身近でないせいか、アメリカが好きな人が多いようだけど、でもボクから見れば、どっちも似たようなもんだと思っているから、どっちも好きでも嫌いでもないんだよ。それなのにどうしてそう云う夢を見たんだろうね?」
「、、、、その夢見てるとき怖かった?まさか喜ばなかったろうね」
「うん、怖かったよ、だって戦争だからね、、、、」
「そうだろう、、、、、、たぶん、あなたは皆の仲間入りをしたんだよ。と云うのは、いま、時代の雰囲気としては、あなたのように好きでも嫌いでもないて思っている人間よりは、アメリカよりもソ連が嫌いで何をするか判らない国だと思っている人間のほうが、はるかに多いよね、つまりこの日本では今圧倒的な多数派なんだよね。そこでそう云う多数派が見るような夢を見たと云うのは、知らず知らずのうちに、あなたはこの人間の群れ集団での共同性を獲得したんだよ、つまりあなたは、日頃何をしたってつまらないと言って、この人間群れ集団のことを否定してさ、自分がこの社会から孤立しているように思っているかもしれないが、実は無意識のうちにはこの人間群れ集団に入りたがっているんだよ。自分で言うのもなんだけど、ボクは自分では納得できないことはやらないと云う、けっこう反抗的に生きているつもりなんだけど、でも、それでは全てのことに反抗的かって言うと、そうでもないんだよね。実はボクは巨人ファンでね、勝てば試合経過を思い浮かべて密かに喜んでいるんだけど、負けるとさ、あそこで打てなかったからだとか、あそこで代打を出さなかったからだとかって、自分のことのように残念がったり悔しがったりして夜も眠れないときがあるんだよ。ところで、巨人ファンっていうのは圧倒的多数派だよね。それで普通は、反抗的人間っていうのは、そう云う多数派を毛嫌いするもんだよね。でもボクはそれだけは別なんだよ。つまり、全ての多数派的なものを嫌いながまら、反抗的に生きていると云うことは、この人間群れ集団からまったく孤立していると云うことだからね。しかしそれではあまりにも寂しいということを、たぶん無意識なんだろうけど感じているんだろうね。そこで、何かひとつの多数派に属してさ、多くの人たちと思いや喜びを共有したりしては、自分はこの社会に必要な構成員であるかのように思い込んだりしながら孤独感を紛らそうとしているんだろうね、、、、もう止めようよ、こういう話をしていると気が滅入っていきそうだよ。せっかく今日は大事な話しをしに来たんだよ。実はね、今日来たのは高志さんに折り入って話しがあったから来たんだよ」
「何だよ、ビックリするじゃないか、そんなに改まって、、、、」
「うん、それじゃ結論から先に言うけど、いっしょに仕事をやらないかって云う話だよ。「えっ、ボクに土方をやれっていうの?」
「、、、、、まあ、あなたから見ればみんな土方に見えるだろうから仕方がないことだけど、実はまだ何をやるか決めてないんだよ。あっ、早々、ボクは今の仕事を辞めたんだよ。結局、ボクには会わないということなんだろうね。ボクはあなたが思うほど楽天的でもたくましくもないみたいだよ。他の人間なら気にしないような細かいことを気にしたり、どうでもいいようなことにこだわり続けたりしてね、正直いって、神経が参りそうだったんだよ。もちろん、そうなったのには、僕の性格的なのだけではなく、周りの人間や仕事の内容が多少は原因となっているんだろうけどね。それに、そのくらいのことは我慢をしてやれないことはないんだけどね。でも、いっしょに働いていても友情もわかなければ楽しくもない、それどころか憤りがわいてい来るようでは、なんのために生きているのか判らないからね。その点、ボクとあなたならきっとうまくいくと思うよ、まだ何をやるか決めてないけど、ぼくとあなたが組めば何をやったってうまく行くはずだよ。たぶんイメージとしてはありふれた肉体仕事になるかもしれないけど、でも仕事は見かけじゃないからね、きっと楽しいものになるはずだよ、、、、、」
「、、、ぼくにできるかな、、、、」
「、、、、大丈夫だよ、肉体仕事といったって、いまボクがやっているような仕事はやらないと思うよ、それに慣れればそれほど大変でもなくなるもんだよ。それよりも今までのように、組織のなかで周りの人間の思惑を気にしたりして動かなくてもいいようになると云うことは、そんなに神経を使わなくてもいいと云うことだからね、かえって楽かもしれないよ。なんてったって、僕たちの好きなようにやれると云うことは強みだよ。とにかく人間関係がギクシャクしたものになると云うことは、人間が生きる手段としている仕事を、何よりも大事なものと考えているからなんだよ。だから、特別に金をもうけようなんて考えないでさ、僕たちの友情や仕事での楽しみを最優先してさ、生活に困らない程度に余裕を持ってやればいいんだよ。そうすれば、仕事以外の時間だって充分に作れるだろうし、あなたは暇を見て物をかき続けることはで切ると思うよ」
、、、、、、仕事をやりながらそう云うことができるのかどうかは、ボクには判らないけど、でもそのことはもういいんだよ。それよりも、、、、いくら自分たちの好きなようにやれるといったってね、他の人間と付き合ったり頭を下げたりしなければならないだろうね。ボクは人間嫌いなところがあるからね。はたしてそう云うところができるかな、、、、」
「誰が?あなたが?まさか、あなたが人間嫌いだなんて、誰も信じないよ。女子高生の集団に囲まれて快感を覚えながら歩いたり、右翼にちょっかいかけたりする人間なんだよ。ボクから見たらあなたはむしろ人間を求めているんだよ。本当の人間嫌いと言うのは、うちに閉じこもったままで人間としゃべることなんかできないはずだよ。だから自分が人間嫌いだなんでいうわけもないよ。でもそう云う人間だって、心の奥では人間と云うものをものすごく意識しているんだけどね。つまり人間が周りに居ることが原因でそうなったんだからね。あなたの場合、あなたはただ普通の人たちのような付き合い方ができないと云うだけなんだよ、つまりあなたの人間に対する感じ方や考え方が、他の人たちと違っているために、現代的な付き合いができないでいるんだよ。そのために自分が変人で余計者であるかのように思い込んで、引っ込み思案になっているだけなんだよ。でも本質は求めすぎるくらいに人間を求めているんだよ。それも正常な形でね。だってこの世界で人間を意識しないで生きている人間なんてひとりもいないよ。自分はあくまでも自分だとか、人間は孤独であるといってみたとて、人間がまわりに居ることは大前提になっているんだよ。つまり人間が何かを言ったり考えたりやったりするときは、本人はそうだと気づかないかもしれないが、いつも周りに人間がいると云うことが意識されているんだよ。それからね、頭を下げるといったって、仕事の上での単に儀礼的なもので、、まったく人格的な行為ではないからね、それに組織のためとか訳の判らない仕事のためにやっているわけじゃないからね、自分のために、何をやっているのか判っている仕事のために、やるんだからね、そんなに苦痛でもないと思うよ。大丈夫だよ。心配には及ばないさ、ボクはそう云うことには慣れているから、そう云うことは全て僕に任せなさいよ。それじゃいいね。もちろん、まだ何をやるかは決めてないけどね。でも、あせることはないよ。時間はまだたっぷりあるんだからね。どういうのが合っているか二人で相談してゆっくり決めよう。ああ、ほんとによかったよ。一時はどうなるかと思ったよ、今のままの行ったら、ボクは確実に性格の捻じ曲がった人間になっていたからね、ようやく人間らしく生きられそうな気してきたよ。なんかパァット未来が開けたって感じだね。ボクはね、自分で何をやっているのか判ってさ、仲間といっしょにやっていることに楽しさを感じれば、それでいいんだよ。それ以上のことは何も望まないからね。まあ、何をやるにしても、最初からうまいくなんてことはありえないだろうけどね、でもボクとあなたが力をあわせて辛抱強くやれば、どうにかなるはずだよ」
        










     
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