ブランコの下の水溜り(23部)

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          はだい悠








「まあ、あなたはそうだろうけど、でも普通の人は不治の病で、あと何日で死ぬといわれると、死ぬことが怖いと思うじゃない、、、でもそれも体がまだある程度は健康でさ、意識もちゃんとしていて、想像力が充分に働くときだから、死ぬことが怖く感じるんだと思うよ、、、、長いあいだ病気を患っているうちに肉体が衰弱してさ、生きる気力もなくなっていて、意識も朦朧としているときに、死ぬことなんてそれほど怖くないと思うよ。たとえば、山登りをしていて、遭難したときだってそうだよ。眠れば凍え死ぬと判っていても、眠るからね。死ぬことよりも眠る快楽を選ぶんだよ。死ぬことがそんなに怖かったら眠らないはずだよ。むしろ死ぬのは心地よいのかもしれないね。それは疲労や寒さで肉体が衰弱していて、生きる気力がなくなっているからなのだろうね。それにさ、ボクは百キロもあるような重いものを運んだり、腕力で支えたりして仕事をしているんだけど、そう云う作業に夢中になっているときの気持ちっていうのは、そう云う重いのが倒れたり落ちたりする危険性は充分にあるにもかかわらず、そう云うことに対する恐怖心はほとんどないんだよね。もし万が一それらが倒れてきたり落ちてきたりして押しつぶされて死んでも、仕方がないやと云う気持ちなんだよね。もちろん、倒れてきて押しつぶそうとしたら生きるために全力で抵抗すると思うよ、でもその力が、人間の体力をはるかに越えたものなら、諦めが付くような気がするんだよ。それだとさ、落ちたら確実に死ぬような高いところから落ちているときの気持ちって云うのは、意外とあっさりしたもんだったりしてね。房うそう云う光景を頭に思い浮かべるとさ、落ちいてるあいだは恐怖感に襲われて、気を失うように思われるけどね、まあボクはまだそう云う高いところから落ちたことがないから判らないけど、ぜひ運良く助かった人からそのときの気持ちを聞いてみたい気がするよ。でも現実落ちても助かった人がいると云うのに、怖かったと云う話も、なんともなかったと云う話も伝わってこないとこを見ると、たぶんそう云う人たちは、あまりにも突然のことなので、しかもほとんどが短い時間なので、落ちているときの気持ちを全く覚えていないのかも知れないね、、、、、こういう話があるの知ってる?高いところから落ちたとき、地面にたたきつけられる前に途中でショックで死ぬって言う話、それがね決まって地面から一定の高さのところで死ぬんだって、さてそれは何メートルでしょう?」
「そう云うことって本当にあるのかな?」
「あるんだって、それは一メートルなんだって、一命取るっていてね」
「、、、、なんだ、とんちか、、、、」
「それじゃこう云う話はどうだろう。今度はとんちじゃないよ。山登りで遭難して、凍死するとき、眠ったからといってもそのまますんなりとは死なないそうだよ。死ぬ何秒かまえに一度目が覚めるんだって、体は完全に冷え切ってまったく動かないんだけど、意識だけはハッキリして、寒々として夜空には星も見えるし風の音も聞こえるし自分が誰であるかもはっきり判るんだって、そして、自分は今死ぬんだなあと云うことを味わいながら死んでいくそうだよ」
「それはありそうな話だね、、、、」
「確かにありそうだけど、でもちょっと考えてみるとこの話も変なんだよね。だって凍死した人間が、死ぬ前に一度目が覚めたなんて言うはずがないじゃない」
「なるほど、なるほど」
と高志はおどけたように言った。だいぶ気分も和らいできたようであった。しばらく沈黙が続いたあと、高志がつぶやくように話し始めた。
「ああ、また、始まったか。本当にもう、時間関係なく始めるんだから、いま聞こえたろう?」
「何が?」
「チンと云う音、隣のばあさんが、仏壇の鐘をたたいたんだよ」
「いや、何も聞こえなかったよ」
「このマンションはね、となりとは壁を挟んで対象にできているんだよ。隣のばあさんの部屋はね、たぶんこの壁の向こう側になっているんだよ」
「でも、コンクリートの厚さは二三十センチあるよ。聞こえるかな?気のせいじゃないの?」
「いや、聞こえるよ、ボクは今まで何回となく聞いているからね。耳が慣れれば君だって聞こえるようになるよ。ただ念仏を唱える声は聞こえないけどね。でも、鐘の音は確かに聞こえるんだよ。どうも気になるんだよな、、、、、それが時間にはまったく関係ないんだよ。夜中にも聞こえるときがあるからね。何を考えているんだろうね。まったく薄気味の悪いばあさんだ。年だから死期を悟っているのかな。外であったときなんか知り合いのような顔をして挨拶をするんだよ。なんか隣に住んでいることを知られているような気がして、何となく感じが悪いよ。だから最近なんか外に出るのも気を使うよ、、、、もしかして隣に住んでいることを知っていたりしてね、、、、いや、そんなことは、、、ないか、、、、それにしても、奇妙だと思わない? 確かに間にはそう簡単には壊れない壁があるんだけど、でも空間的には、話もしたことがないような見知らぬ人間同士がわずか五十センチぐらいしか離れていない所に居るんだよね。だから、物音ひとつしないような静かなときなんか、もしかしたら一挙手一投足が向こうに知られているんじゃないかと思うことがあるんだよ。それで時には向こうでも、そう思っているんじゃないかと思ったりして、何となく息苦しくなることがあるんだよ。ほら、、、、また聞こえた。もうおしまいかな、、、、、」
清二は耳を済ましていたつもりではあったが今度も何も聞こえなかった。少しまを置いたあと高志が話し始めた。
「、、、、君はさっき、人が高いところから落ちているとき、あまり瞬間的なことなので意識がなくなるみたいなことを言ってたけど、、、、本当に意識がなくなって何も感じないと思う?」
「、、、、落ちれば死ぬようなところから落ちたことがないから、はっきりとは言えないけど、ただ僕が落ちたのは低かったので、そのあいだはほんの一瞬かと思うけど、でも、意識はちゃんとあったよ。足をすくわれたとき、これはヤバイと思い、下はコンクリートだけど平らであることがわかっていたので、うまく落ちれば、たいしたことにはならないだろうと判断して、手に持っていたものをとっさに放して、手で受身を取ったつもりだからね。でも、落ちたところに角材があるとは計算外だったよ。そうだなあ、高いところから落ちた場合、ボクなら、ああ、だめだ、どうにでもなれと、あきらめの気持ちになると思うよ、でも地面にたたきつけられるまでは、それがどんなに短いあいだでも、風を感じたり地面が近づくのが判ったりして意識はあると思うよ。ただし地面にたたきつけられたときは、意識はなくなると思うけど、それで死んじゃえば、一巻の終わりだけど、もし運良く助かれば、苦痛に耐えながら、ああ、助かったんだと思うだけだろうね、、、、」
「よく人は、自分のやったことを、あとで、あれは無我夢中でやったことだからとか、咄嗟のことだったから、とか、まるで自分のやったことを覚えてないようなことを言うけど、ボクは人間が何かをやる場合、たとえそれがどんなに気が動転していても、どんなに短いあいだのことでも、ちゃんと意識を持ってやっていると思うよ。覚えていないと云うのは嘘をついているとしか思えないよ」
「、、、、、、うぅん、ただ落ちた人が落ちているときの気持ちをいえないのは、落ちて地面に打ち付けられたときの苦痛が大きすぎて、そのときのショックの記憶だけが強く残り、落ちているときのことはまったく思い出せなくなるからじゃないの、それともおもだしたくないのかなあ、、、、、」
「でも、落ちているときの意識はあるはずだよ」
「うん、そりゃあ、あるだろうね。僕の場合、苦痛がそれほどでもなかったせいか、前後のことはよく覚えているけどね。落ちた直後も、痛みで苦しかったけど、頭ではいろいろなことを思っていたよ。腰を打ったからもう使い物にならなくなるんじゃないかってね、大して使ってないのにねえ、、、、、」
と清二は冗談ぽく言ったが高志は少しも表情を変えなかった。
 この問題に高志は執拗にこだわっているように清二には感じられた。しばらく沈黙が続いたあと、ふたたび清二が話し始めた。
「、、、、、、、、ただあとで思い出せなくなると云うのは本当のことかもしれないね。よく野球でさ、滅多にホームランを打ったことがない選手が、いい場面でたまに打ったりするとさ、そのときの打った球種がなんだったかよく思い出せない人がいるじゃない。でも、あれは打ったときはどんな球種かちゃんと判っているんだよ。その後の嬉しさが先立って思い出せなくなるだけなんだよ。それは意識の種類が違うからだと思うよ。飛んでくるボールを捉える感覚的な意識と、その後の飛び上がりたいばかりの嬉しい気持ちとは別物なんだよ。だから、楽しいことや嬉てことが何かをやったあとに来ると、その前の意識状態を忘れてしまうのかもしれないね。そうだよ、落ちて助かった人が、落ちているときのことを忘れてしまうのも、命が助かったと云う嬉しさのためだからじゃないの、、、、、でもそうすると、なにかをやって、そのことがイヤなことであったら、イヤな気持ちが続いているから、そのことをずっと覚えていると云うことになるね、、、、そういえば、ボクが落ちたとき、意外と軽かったなあと、ほっとした気持ちはあったけど、何となく感じの悪いこともあったからなあ、、、、、」
「いやな、ことをね、、、、」
と高志は呟くように言いながら布団の上にうつぶせになると、ふたたびたまってしまった。清二は自分の話に結論らしいものが出て、何とかまとまったので、満足感でほっとしていたが、高志はそれほど納得しているようでもなかった。しばらくして高志が話しかけるように言った。
「、、、、どうやらボクは普通の人のように我を忘れて何かをやると云うことが出来ないみたいだよ。何をやっていても、自分と云うものが意識されるんだよ。たとえそれが、突然でも一瞬のことであってもね。自分は今こういうことをしているんだとか、こう思っているとか、こう感じているとか、何をやっていても、いちいち細かく意識されるんだよ。すると、そう云うふうに意識している自分は何のために、こういうことをしているかだろうかと、思ったりしてね。やっていることが苦痛になったりするんだよ。それに何かをやろうとした場合、自分はこれからこういうことを、こういう目的で、やろうしていることが、意識されるとね、急にそのことを、やりたくなくなったりするんだよ。だから、どうしても何をするのも、億劫になっているんだよ、清二君も何かをやっていてさ、ふと、自分は何のためにこんな事をやっているんだろうと思ったりすることはない?」
「、、、、うぅん、ねえ、ないこともないけどね。今の仕事を始めた頃は、仕事の内容が判らなかったせいか、どうしても、身が入らなくて、たぶんそんな気持ちでみんなの仕事振りをボンヤリと見ていたもんだよ。でも、それが上の者には怠けているように見えたらしく、よくどやされたもんだよ。今は仕事のことを知っているのでそう云うことはほとんどなくなったけど、だいいちそう云うことを思っていたら仕事にならないからね。重いものはどうしたって重いし、決められたとおりにやらなければ仕事はすすまないし、とにかく自分の手足を動かさなければ、どうにもならないからね。むしろ最近は、それと逆っていうか、変なことがよくおきるよ。頭ではこうしようとか、こうしなければならないと思ってるんだけど、からだが云うこと利かないんだよ。そう云う行動は明らかに作業にはマイナスだと思っているんだけど、どうしても抑えることができないんだよ。まるで体のほうが勝手に動くみたいな感じなんだよ。そうだねたとえば、ある作業をやるのに必要な工具がなかったので、その工具が置いてある場所まで取りに行ったとしよう、それを探しているうちに、頭でさらにその次の作業に必要な工具もないことが判るので、それもいっしょに持ってくれば良いんだけど、どういうわけか、最初に必要と思った物だけをもって来るんだよ。歩きながら頭ではあれも必要になるのになあと思いながらも、体の方はそのまま歩いて行っちゃうんだよ。結局あとでもう一度取りに行くんだけどね。そう云うふうにね、冷静に考えれば明らかに不合理なことを平気でやるんだよ。まあ、疲れて頭がボォッとしているために、それに多少せっかちな性格のせいで、そう云う不可解な行動を取るのかも知れないね。でも自分では自分のやっていることが判っているので、自分で自分に腹を立てたりしてね。まったく笑い話だよ」
 清二が言い終わっても高志はうつ伏せになったまま、なんの反応も見せなかった。
 清二は腰のほうはだいぶ楽になっていたので、体を起こして窓の外に目をやった。
 暮れかけていた。西の空はだいだい色に染まっていたが雲のない東のほうはまだ青みが残っていた。
 いつのまにかうつぶせの姿勢から頭を上げ清二のように窓の外に眼をやっていた高志が、両手で頭を抱えるようにして窓から目を放すと、投げやりな感じで独り言のように話し始めた。
「ああ、また一日が終わっていくよ、何にもやらないうちにさ。毎日が同じだよ。せっかく自由になったと云うのにさ、ボクは自由なんだよね。もう何をやったってかまわないんだよ、もう僕を拘束するものはなにないんだよ。でもこのざまだよ。毎日こうやってボンヤリとして一日の終わりを迎えているだけなんだよ。もうボクは三十だよ、何かをやらなければならないと云うのに、ボクは三十になる前までは、三十になったらちゃんとやってやるさと思っていたんだよ。でも今のボクはいったい何をやっているんだろうね。ああ、こういう穏かな夕暮れなんてくそくらえだよ。いっそのこと毎日おお嵐にでもなってくれたら、どんなに気がやすまることか、なにか大きな事件でも良いよ。みんなが不安のあまり今やっていることが手につかなくなるようなね。そうすれば皆はボクと同じことになるよ。ああ、いやだ、これだとボクは皆のやっていることを価値のあることだと認め、皆を羨んでいる見たいじゃないか。ボクは皆のように生きることを否定しているはずなのにね。人間はもっともらしい理由をつけても所詮惰性で生きているに過ぎないんだよ。現に何のために生きているかって質問されても、満足にこちえられる人間なんていないじゃないか。仮にいたとしてもさ、子供のためとか、人類の進歩と平和のためとか、どっかの政党のスローガンのような陳腐なことしかいえないじゃない。人間は皆偶然に生まれ、そして年老いて死んでいくだなんだよ。それなのにまるで人生が楽しいかのように毎日あくせくと動きまわって、いったいどうしようというんだろうね。名を上げたいのかね、偉くなりたいのかね、でも、それは、その人間が生きている間だけのことじゃない、しかも、それは人間同士が、お互いにケツの穴をなめあうように、褒め合っているだけのことじゃない。死んでしまえば人からも忘れ去られ何もかもおしまいなのさ。子供ために生きるって言うのも美しいことかもしれないけど、芸がないよ。それは生まれて死んで行くだけの動物のようにただひたすら自分を犠牲にして生きることだからね。それに、いずれはその子供大きくなって自分の子供のために犠牲になり、そして老いて死んでいくんだよ。結局単なる繰り返しに過ぎないじゃないか。ましてやこれからの社会は子供が子供らしく育つような社会にならないことは確かだよ。人類の進歩と平和のために生きるって言うのも訳のわからないことだよ。人類の進歩ってどういう状態のことを言うんだろうね。ボクはちゃんと答えられる人はいまだに見たことがないよ。まあ、いいや、とにかく人類が進歩して平和になったとしよう。でもあと何十億年もすればこの地球はなくなり、人間そのものが、この宇宙から消えてしまうんだよ。そうすれば、子供も親もなく、犠牲も繰り返しもなく、進歩も平和もなく、人間も人間の歴史も何もかもなくなるんだよ。どうして人間はそのことに気が付かないんだろうね。最後のひとりになった人間はそのときいったい何を考えているんだろうね。いっさいがなくなると云うのに、人間の栄光はいったいとどこにあるんだろうね、人間が生きるって云うのは幻なんだよ。人生なんてろくなもんじゃないのさ、、、、、」
 清二は思った。
最近高志が再び清二と知り合ったときのように厭世的なことを云うようになったのは自分がやろうとしていることが思うように行ってないからだと。
「仕事によっては、たとえばボクのやっているような仕事では、三十過ぎてもいちにん前になっていないような奴は、まずろくな人間でないと云うことになるけどね、でも高志さんのやっていることは、まったく別のことだから、それに、そんなに年齢にこだわることはないと思うよ。三十なんて単なる目安に過ぎないよ。確かに三十前に何かを成し遂げたって云う人はいるだろうけど、でも三十過ぎてからの人が多いんだから、それに人間にとって、何もしないでぼんやりしていることも大事なことなんだよ。神経をすり減らして毎日あくせくしていたら、それこそ発揮すべき才能も発揮できなくなっちゃうだけだよ。偉大な芸術家も発明家も何もしないでボンヤリしていることが、けっこう多かったと云う話しじゃないか。焦ることはないさ」
と清二は慰めるように言ったが高志はあまりよく聞いてなかったようで、再び自棄気味に話し始めた。
「よくさ、近い将来、地球が人口過剰になり、住むところがなくなったら、宇宙に住めばいいと言ってる楽天的な科学者や未来学者がいるけど、まあ、無理だろうね、、、、、」
「無理かな?そのときまでに科学技術は進歩してないかな?せっかく未来に夢を持たせてくれる話なのにね、、、、、」
「いや、科学技術はそれなりに進歩していると思うし、やればできることはないと思うよ。無理というより無意味といったほうがいいかも知れないな、確かに楽天的な人たちには夢を見させてくれる話だけどね。でも、宇宙に地上と同じような快適な空間を作るなんで、大変なことだよ。膨大なお金が掛かるだけだよ。それよりも南極やヒマラヤに住むほうがはるかに経済的で住み易いはずだよ。だいいち人間が長時間この重力のある地球から離れて生活するなんで大変なことだよ。今だって、何日間はなれるだけでも、大変じゃない。その困難さを克服してさ、何もない無重力の宇宙に人間にとって何不自由ない快適な空間を作ると云うのは、今までの生物の進化過程を人間の頭で再現するくらい難しいはずだよ。と云うのも、人間はこの重力のある地球上で何億年もかかって進化してきた最後の生物だからね。そう云う困難を克服すると云うのは結果的には人間と云うものがこの重力のある地球でどういう進化過程を経て、どういう環境にいるか、そして、人間にとってどういう環境が良いかを完璧に知ると云うことだからね。だから人間がこの地球から離れて生活するなんて不可能のような気がするよ。それは物体がね、自分のすべてをエネルギーに変えないかぎり、元いた場所から、光のスピードで離れることができないと云うような不可能さと似ているような気がするよ」
「、、、、、でもさ、いざ地球がだめになると判ったら、人間たちは、この地球から脱出することを考えるだろうね。そのときまでには科学技術も相当に進歩していると思うから、結局は、どうにかそう云う困難克服してさ、人間が゛住めるような星を目指して出発するんだろうね。そして何世代後には人間がすめるようなところにたどりついて、再び地球でのような生活を始めるんだろうね。でもね、そのあいだは宇宙船の中での生活だからね、いくら人間にとって快適に作られていても、地球に住み慣れているボクにとっては、なんとなく息苦しい感じがするね。それにさ、人間が住めるような所にうまくたどりついたしても、そこで生きていくことがそんなに簡単にいくとは思えないしね、なんか気が遠くなりそうな先のことでSF小説の題材になりそうな話だから、本当にどうなるかボクにはよく判らないけど、大変なことになることは確かなようだね。そうするとさ、僕たちが、今の地球に生まれたと云うことは、よっぽど幸運なことかもしれないね。お互いよかったね、今の地球に生まれて、、、」 「、、、、まあな、、、、ただね、地球脱出した人間たちが、仮に人間がすめそうな所にうまく辿りつき、地球に居るときのような生活が出来たとしても、いずれはその場所からも脱出しなければならなくなるんだよ。そしてその次からもね。結局人類は死滅する運命にあるんだよ。だって、この宇宙そのものが、最後にはなくなるんだから。いや、この宇宙がなくなるという言い方は本当はおかしいんだよ。なぜならこの宇宙があるかないかは人間が決めたことだからね。しかもその宇宙から作られたに過ぎない人間がだよ。そもそも宇宙にとっては、宇宙と云うものは最初からないのかもしれないし、最初から何も変化していないのかもしれないからね。、、、、、そうだなあ、よくさ、宇宙の大きさやその果てはどうなっているのかって、考えていると、訳が判らなくなることがあるけど、でもそれは当然といえば当然なんだよね。と云うのも人間の考え方や感じ方と云うのは、人間がこの地球上でほ、時間や空間や重力に拘束されながら生きているあいだに自然と身に付いたものだからね。それでもって時間や空間や重力を超えた宇宙を理解しようとすることには、最初から無理があるんだよ。だから本当に宇宙と云うものを理解しようとするには、今まで無意識のうちにやっていた考え方や感じ方から脱け出して、まったく新しい考え方をしなければならないんだ。その新しい考え方と云うのはあまり長続きがしないんだよ。どうやら人間はこの地球の重力から脱け出すことと同じくらいに、従来の考え方から脱け出すことがむずかしいようだね。だから、宇宙には大きさがあり、その果てはどうなっているのかと思うのも仕方がないことかもしれないよ。ただその新しい考え方によりれば、さっきも言ったように、宇宙と云うのはあると言えばあるし、ないと言えばないんだよ。それに宇宙にとっては大きさもなければその果てもないんだよ。もしかして生成もなければ消滅もないのかもしれないよ。そんな宇宙の包まれて人間はただひたすら幻のように生きているだけなんだよ、、、、、、、、、、、」
 いつのまにか、部屋の中はお互いの顔が読み見えないほどに暗くなっていた。話に夢中になるあまり電気をつけることを忘れていたのである。清二には高志の言うことがあまりよく理解できなかった。ただ高志が奇をてらっていっているのでも、単なる思い付きで言っているのでもないことは判っていた。
 部屋の外で物音がした。洋子が帰ってきたようであった。高志は電気をつけて、部屋から出て行った。高志がなかなか戻ってこなかったので清二も部屋を出た。
 居間の方から話し声が聞こえてきた。清二が居間に入ろうとしたとき 「こんな所にだんなさんと二人きりで住んでいる洋子には判らないわよ。わたしはもうイヤなの」 と云う聞きなれない女の声が聞こえてきた。お客が来ているようであったので清二は思わず歩みを止め居間に入るのを辞めた。
 客の女はその興奮気味の話し声からして、洋子に何か相談ごとを持ちかけているようであった。清二は自分の出る幕ではないと思い部屋に戻った。
 部屋に戻った清二は腰に圧迫感を覚えたので横になった。そしてしばらくすると眠気を覚え、そのうちに眠ってしまった。
 清二が再び目覚めたのは夢の中からであった。
 いつのまにか部屋には豆電球だけがつけられており、体には毛布がかけられていた。
 体が汗ばんでいた。それはよく効いた暖房のせいと云うよりも、むしろ夢のせいであった。
清二は状態を起こして豆電球だけの薄暗い部屋を呆然とした気持ちで見まわしたあと。首をうなだれ今見た夢を思い起こした。
 殺伐とした雰囲気の夢は、現場で働いている自分の姿であったが、清二はどういうわけか、作業を思いどうりに進めることができず、あせりながらただオロオロするばかりであった。眼の前にはまるで自分を圧迫するかのように無限に広がる白い壁しか見えなかったりして、不安な印象しか与えないものであった。
 清二はゆっくりと顔を上げてもう一度部屋を見まわした。眼の前に見える壁は、内装が施され、綺麗ではあったが、その内装の背後に隠れている灰色のコンクリートは、働くものの血や汗だけではなく、憤りや怒りや屈辱などのさまざまな思いをしみこませているような気がした。
 高志が部屋に入ってきた。そして清二がおきているのを見ると電気をつけた。
「起きましたね。疲れているみたいだね」
「、、、、、、、そんなはずはないんだけどね、、、、、いま、何時かな」
「八時過ぎだよ」
「お客さんは帰ったの?」
「うん、帰った。ほんとに困ったもんだよ、あれは相談に来たというより、愚痴をこぼしに来たようなもんだよ。自分だけが不幸だと思っているんだから、、、、」
そう言いながら高志は布団の上に腰を下ろした。そして話を続けた。
「少なくとも、僕たちよりは生活には不満がないはずなんだけどね。どうも、僕たちのほうが幸福そうに見えるらしいよ。いまさら、夫と考え方が根本的に違っていることが わかったといわれてもね。どうしようもないんだよ。しまいにはもう生きているのがいやになったと言い出す始末でね、本当に困ったもんだよ。でもあれは、夫との考え方の違いが問題と云うよりも、むしろ姑との関係が問題みたいだよ。どうやら嫁と姑の関係は、女たちにとっては永遠の問題のようだね」
と高志は、夕暮れ時、自分が厭世的な気持ちになっていたことを忘れたかのように、いくぶん声を弾ませて言った。
 まもなく洋子がやってきて夕食の準備ができたことを告げた。
 食事をしながら高志は冗談を言ったりして陽気だった。
 洋子も笑みを絶やさず楽しそうであった。
 そんな二人を見ていると清二は理由もなくほっとした気持ちになった。
 夕食後清二は洋子の運転する車に送られて帰った。


 仕事を休んでいるあいだ清二はほとんど何もしないで部屋でじっとしているだけの毎日が続いていたが、そのうちに焦りにも似た妙に落ち着かない気持ちになるときがあった。
 それは退屈であるからではなく、もう長い時間外を歩いてもそれほど気にならないほど腰が回復しており、何となく仕事が出来そうな気分になっていたからである。とくに部屋を出て外の空気に触れてその匂いを感じたりしたときには、頭のなかを活気にみちた現場風景がよぎり、体全体から力がみなぎってきて、もう働きたいと云う気持ちになるときがあった。だが、まだ重いものをもてるほどには回復してなかった。


 そんなある日の午後、ジュンが清二の様子を見にきた。清二にとっては、自己の翌日に社長を見て以来の、久しぶりの会社の人間だった。
「今日仕事はどうしたの?」
「休んだよ」
とジュンは投げやりに言った。
 ジュンは顔もスタイルもよく、外見的には申し分なかった。ただ性格的に少しわがままで、傲慢で、気みじかで、飽きっぽく、気まぐれなところがあり、ときおりズル休みをするのであった。
 清二はジュンが入ってきたころ、その若さと容姿なら、何となくもっと割りのあう仕事がむいているような気がして、こういう仕事をするようになったのには、何か致命的な欠点でもあるのだろうかと思わざるをえなかった。その後いっしょに働いているうちに、彼が今までちょくちょく仕事を変えているのは、やはりそう云う性格が災いしていることが判った。ただ、ジュンの我侭や傲慢さは、黒塚や、そのほかのジュンよりははるかに年高の人間のような、侮辱や屈辱や不審や暴力が平気でまかりとおる人たちの社会で痛めつけられながら、そこで長く生きているあいだに自然と身についたもののために、もう改めようがないものとちがって、まだ大人の社会の複雑さや、その仕組みを知らないために、若者特有の強引さで、自由奔放に行動しているだけの、悪意のない子供っぽいものであるため、彼の心がけ次第によって、改めることができるものであった。それに彼は本質的に気は優しく思いやりのある常識的な人間であるので、その恵まれて体力と知力を生かして、今の仕事を真面目に辛抱強くやれば、優秀な職人になれることは間違いなかった。
 清二にとって、ジュンは、年の差から来る趣味趣向の違いはあったが、仕事仲間では、最も話の通じる男であり、友情も感じていたので、彼がズル休みなどしないでもう少し真面目にやってくれることを願っていた。
「仕事は忙しくないの?」
「いや、わかんないよ、もういやになっちゃったよ。ああ、辞めようかな」
とジュンは、開けっ放しの窓に腰をかけながら言った。清二が応えるように言った。 「、、、、うぅん、そうか、でもやめるのはいつだってできることだから、もう少し頑張ってみたら、せっかく今までやってきたんだから、もう少しやればだいだい何でもやれるようになるはずだから、それうすれば、他でも職人としてちゃんとやっていけるようになるよ。辞めるのはそれからでも遅くはないよ」
「ボクはこの仕事を辞めたら、もうこの仕事はやらないよ」
「いや、やらなくてもいいけど、ただ、いま辞めたら中途半端になって、今までやってきたことがムダになるだけだよ。あと何年もかかるわけじゃないんだからね、もう少しやってみたら。ひとつの仕事を完全に覚えるってことはいいことだよ。今やっていることはもう二度とやらないので、覚えたってしょうがないと思っているかもしれないけど、ひょっとして後で今の仕事をやることになるかもしれないし、似たような仕事をやることになっても、今やっていることが役に立つこともあるしね。それよりも、今は、どうせ後で役にも立たないことなので、つまらないことをやっていると思っているかもしれないが、完全に覚えれば、物事を最後まで成し遂げたと云うことだけは残るからね、そのことは自身になって次の仕事でもきっと役に立つと思うよ。今このまま辞めたら本当に何も残らないと思うよ。まだ若いんだから焦ることはないよ。若いときの一年二年はあとで何とか取り返しのつくもんだよ。遊んだと思ってさ、気楽にやってみたら、次の仕事はそれからでも遅くはないよ、、、、」
 ジュンは清二の説教じみた言い方が気にいらないのか、窓の外に目をやったりして上の空で聞いているようであった。そして不満そうな顔で言った。
「今の仕事やってたった何にも面白いことがないよ。皆自分勝手でよ。アマガエルは暴れるしよ。そうそう、黒塚のやろうついに正体を現したよ。伊藤さんが怪我をして、休むようになってから、黒塚は急に仕事にやる気を見せ始めたんだよ。それにはちゃんと訳があるんだよ。社長に酒を飲ませてもらったからなんだよ。それで新しく入ってきたものを部下にして、親方面して仕事をするようになったんだよ。たいしたこともできないくせによ。その部下の一人が黒塚と同じ部屋に住んでいるんだよ。その男は酒の飲まない五十くらいの体の大きな奴でね、ちょうどおとといの夜だったかな、黒塚が酒を飲んでいるときに、その男が、黒塚に『あんたみたいな、すぐカッかして怒鳴るような人間とは、いっしょに仕事したくない、社長に言って明日からは親方を変えてもらう』と言ったらしいんだよ。そしたら黒塚が怒ってね。その男が寝ているあいだに包丁を突きつけてね、『お前に舐められてたまるか』って言ったんだって、、、」
「まさにキチガイに刃物だな、それでどうしたの?」
と清二は憤りを覚えながら言った。
「うん、その男は、隙を見て部屋から出たから、なんともなかったけど、黒塚は包丁を持ったまま町のほうまで追っかけたんだよ。本当にみっともないよ」
「そうじゃなくて、それに対して、社長はどうしたの?」
「いや、社長は知らないよ。元山さんがあいだに入って、社長に知らせないようにしたみたいだよ」
「もみ消したのか、余計なことをして、、、、、それで黒塚はまだいるのか?」
「うん、いるよ、何にもなかったような顔をして、、、」
「あきれたもんだな、それにしても、あの黒塚に思ったことをはっきり言うなんて、正直っていうか、向こう見ずな男がいたもんだな、でもなあ、言いたいことを言って包丁をもって追っかけまわされたんじゃ、たまったもんじゃないよ。なぜ本当のこと言ってやめさせないんだろうね」
「わかんないよ、、、、、あんな男が近くに住んでいると思うと夜も安心して眠れないよ。あのアマガエルは本当に気味の悪い男だよ。前にひとりで住んでいるときなんか、 ドアに嗅ぎかけて電気を消してデレビの灯りだけでいるんだよ。それもこっちが外に出たりするとそのテレビも消してしまうんだよ。そしてこっちが部屋に入るとまたテレビをつけるんだよ。いったい何を考えているんだろうね、、、、」
「その気違いに追っかけまわされた男はその後どうしたの?」
「ボクの部屋に居るよ。でも辞めるかもしれない。ボクも辞めようかな、仕事は面白くないし、周りには変なのがいるし、このまま今の仕事を続けても何にもいいことがないよ。今度の給料日まではいちおう出るつもりだけどね、でもその後のことはどうなるかわからないよ、、、、、」
 ジュンがやる気をなくさせたのは、彼の性格的なものが原因しているというよりは、むしろ周りの利己的で思いやりのない年上の者たちに責任があることは間違いなかった。このような人間関係なら、仮に彼でなくても辞めたくなるのは当然のような気がした。清二はもう彼を引き止めるようなことを言うことはできなかった。
 ジュンがさらに話し続けた。
「後それからね、木村さんっていたよね、大人しい人、あの人、現場で足場から落ちて、いま入院しているよ。三ヶ月の重症なんだって、脚と肋骨を折ってね、でもそれでも運がよかったほうだよ。なにせ十メートル以上あったからね。下手をすれば死んでたよ。あの人、高いところものすごく怖がっていたじゃない、でも、真面目な人だから、無理をして慣れない足場作業をやったらしいよ。三好さんもちょっと強引なところがあるからね、とくにあの人は三好さんの言うがままだから、怖いから出来ないなんて言えなかったんじゃないの、、、、」
     










     
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